俗世

 「お坊さんの言うことは絶対です。」
 雨でややインクが滲みてしまっている貼り紙にはそう書かれている。しかし、「絶対」とはなんだ。例えば船上で船長の命令が絶対であったり、機上で機長の命令が絶対であるというのはわかる。どちらの場合も船長や機長が乗客員の命を預かっているわけだし、そのことに敬意を表して我々はその人の命令に従って動かなければならない。ではお坊さんはどのような理由でその一言を絶対とするのか。一体彼は誰の命を預かっているというのか。まさか寺がそのまま浮き上がって空や海を旅するわけでもあるまいし。
 私が貼り紙の前にやや訝しげな顔でいると、横から誰かが話しかけてきた。
 「おや、ここに来るのは初めてですか。」
 「ええ、座禅が体験できると聞いてやってきたのですが、何しろすべてが初めてなもので心細くて。」
 「大丈夫ですよ。その心細さは誰もが皆通った道です。みんな親切に教えてくれますよ。」
 「それはよかったです。」
 ここのことをよく知っているようなので、この意味深な貼り紙についても聞いてみよう。
 「あの、気になったことがあるのですが、この貼り紙、どういうことですか?」
 「どうって、そのままの意味ですよ。」
 「そのまま…?」
 「座禅には作法があるでしょう?それに従ってもらうということです。なに、最低限の礼儀みたいなものです。私語を謹んでくださいとか、勝手な飲食はやめてくださいとか、それくらいのレベルのことなのであまり気にしないでくださいよ。」
 それくらいのことわざわざ貼り紙にまでしなくても普通のことだと思うが、たしかに過去の体験客でそういう不届き者がいてそれをきっかけに貼り紙を設置したという経緯はあり得るな。きっとそういうことだったのだろう。
 勝手に一人で納得し、寺の表門へと歩を進める。門を潜ったところで、中から爆発音が聞こえた。
 「お師匠様、大丈夫ですか!」
 「あぁ、なんとか無事じゃった。」
 「だからあれだけやめておいたほうが良いと…」
 「人間、好奇心には勝てぬのじゃ。年をとると自制心というものがどんどん揺らいでいってしまうのじゃよ。」
 恐る恐るその様子を覗いてみると、そこには機長のコスプレをした坊主が!
 「形から入るのはいいですけどね!寺の中でドローンを飛ばすのは危ないからやめてください!」
 「ええいうるさい、疼くのじゃ。操縦桿を握る手が、震えてたまらんのじゃ!」
 旅客機を模ったドローンが障子のあちこちを破り、天井の木目に傷をつけ、それはさながら酒癖の悪い癇癪持ちのオヤジが一通り暴れたあとのような、あるいは物心もつかないいたずら全盛期のこどもが好奇心のままに破壊していったあとのような、とにかくすごい惨状をいかにして形容するかということで頭が一杯になった。すごい形相でジタバタする坊主とそれをなだめつつ少し冷めた目をする弟子たち。隣りにいた常連客は見て見ぬふりをしながら私は関係ないですよという顔でスマホをいじっていた。私は一歩、また一歩と後退り、寺の敷居をまたいだ過去を抹消することに必死だった。
 行きは徒歩だったが、帰りはタクシーを呼んだ。駅前のケーキ屋で少し高めのシュークリームを買って帰った。おしまい。

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