自身をピーターパンシンドロームだと思う理由を話します(内容が暗いのでR18)

※今回の記事は暗めの内容になっています。
※心が不安定な時は読まない方が良いかもしれません。
※その点をご理解の上、読んでいただけたら嬉しいです。


今の自分が嫌だと感じ、
時を戻してもっと良い自分になれるようにしたいと思う事が時々ある。
でもそれは出来ない事で、たとえ時が戻って若くなったとしても、きっと行動や考え方はそのままだから結局何も変わらないのだろう。

変えることが出来るのは未来。
これから先の未来。

強い意志を持って自分を変えることが出来る人を本当に羨ましく思う。

私だってコンプレックスだらけの自分を変えたいと強く願っている。
だけど行動に移す事が難しかったり、自分の望む姿が歪んで見えるせいで常に迷子になっている。

生まれ持った気質は簡単に変える事は出来ない。
何処で間違えたのか、何処で拗らせてしまったのか。
そもそも元がどうだったのか。
今更考えてもどうにもならないし、
答えが分かったとしても何か変わるのだろうか?

そんな私は自分の事をピーターパンシンドロームなのかもしれないと最近思うようになった。

大人になれない大人だからこそ少年に対して憧れの気持ちを持っていたり、私がなりたかった男性の姿に近い男性を近くで感じていたいと考えるのかもしれない。

本人は子どものように扱ってほしいとは全然思っていないのだけど、
それに近い考え方はあるのかもしれない。

自分で自分の未来を切り開けない。
自分で自分の未来のビジョンを描ききれない。

何事も自分主体で物事を動かせない人になってしまった。

そりゃそうだよね。
物心ついた時から常に心の何処かに破滅してしまえばいいのにと自分の事を思っていたから、未来の為に動くなんてことを諦めていたというか恐れていたというか。。自分の未来なんてどうでも良かった。

私自身、私の事を平均的な人間ではないと常々感じてきた。

話が長くなるけど保育園の頃まで話は遡る。
今思い出してみると、この頃から随分みんなとは違っていたせいでこれからの人生、絶対苦労するだろうなと思えることが沢山あった。

食べ物の好き嫌いが多い事と食べる事が苦手だったせいで、いつも保育園で出された食事を残してしまう。何を食べてもおいしいと感じる事が殆ど無かったような気がする。ある意味可哀想な子どもだ。

そんな私を見かねた保育士は時々、私に意地悪をする。
昼食時間が終わったら休み時間や勉強の時間になるのだが、私だけ食べ残した食事を片付ける事は許されず、全て食べるまで下げてはいけないとそのままにされていた。
みんなが勉強道具を目の前にして勉強している中に、私は同じ机に勉強道具ではなく食べ物が置かれている。その時の感情を全て思い出すことは出来ないのだけど、声をあげずに泣いていた記憶はある。その姿を見て周りの人たちは泣いていると私をバカにしていたのははっきり覚えている。
いつまで経っても食べない私を見て保育士は、作ってくれた人に謝りなさいと言い放って私を解放した。
私は残した食べ物を持って配膳室の前に行き、ぼそっと
「ごめんなさい」と言って部屋に戻っていった。
いつもおかずがこのくらい少なければ良いのにねと言われた時もあった。

1年しか保育園に入っていなかったのだけどそんな日が何日あっただろうか?
とにかく人と違い手間のかかる子どもだった。
昼寝をすればおねしょをする事が多くてその事がとても恥ずかしかった。
子どもの気持ちを考えて少しは気を利かせてくれれば良かったのに、むしろ晒し者のような扱いを受けた記憶がある。

他人と上手にコミュニケーションをとることが出来ない。
話す事がとにかく苦手。訳もなく人嫌い。感情を上手に表せない。
何か話せば揚げ足をとられバカにされる。
プールの時間があれば脱ぎたくないからと参加せず。
上記のような事をみんなは目にしている。

そりゃ子どもでも敬遠したくなる要素満載。
仲良くなるなんて夢のまた夢。

みんなが普通に出来る事を殆ど出来ない。
その事を悩み、どうにかしたいと願ったがどうする事も出来なかった。
自分一人で抱えていた方が楽だった。
誰かにその事を言えばバカにされるから言うだけ無駄だと思っていた。

思い切りのいい子どもだったらどうにかして死のうと思ったかもしれない。
実際に死にたいと思う事がよくあったが、どうにかしてその感情から逃げるようにしていた。
常に人から良いと言われる要素が無いんだもの。
希望を抱くことが出来ますか?

これは全て自分が悪いのだけど
自分の事を嘲笑っていた同じ組の人や保育士の事は
正直な話、今でもふと思い出してしまった時に
同じ目にあわせてやりたいとまではいかないものの
いけない感情と悲しい感情は常に持ち続けてしまっている。

オマエラガニクイ、イツカバチガアタレバイイノニ、クヤシイ
ヒトヲバカニシテキブンガイイデショ、ダレモタスケテクレナイ
ハヤクシンデシマエバイイノニ、ソレハオマエジシンダロウ
マイニチツラカッタ、ヨクシナナカッタナジブン


時が経てばそんな記憶が薄れ新しい人生を歩めるかと思っていたけど、
ずっとその想いや経験が与えた影響からは逃れる事が出来なかったようだ。

5・6歳の時経験したような場面に何度も遭遇した。
それは回数を重ねるごとに酷い想いをするようになり、
余計心が傷付いていった。

だから食べる事が大嫌い。食べ物が大嫌い。
食べ物のせいで本当に嫌な想いをしてきた。
食べる事は食べるけど好き嫌い多数、小食。
そのせいで人並みの体重には程遠いのだろう。


まあ色々あったせいでピーターパンシンドロームのような状態になってしまったのだと自分では思う。
そもそもピーターパンシンドロームじゃない気もするけど、
自分では大人になれない大人だと思っているのでこれだと思っている。


だから今の自分はこんな願いを抱くようになったのだと思う。


私を心から愛してくれる男性と一緒に居たい
男らしい筋肉質な男性と一緒に居たい
私をリードしてくれる男性と一緒に居たい
私を守ってくれる男性と一緒に居たい
私を新しい色に染めてくれる男性と一緒に居たい
私の事を性欲を発散するためのモノとして扱ってくれる男性と一緒に居たい
私が心から信頼出来る男性と一緒に居たい


悪い表現で例えるなら
自分を心から愛して大切にしてくれる男性の奴隷になりたいと思っているのだろう。

そんな人、いるはずないのに。
いたとしてもそれは悪人。
善人である事は殆ど無いだろう。

叶う事の無い夢。願望。

そんな事を言っているから大人になれない大人なのだ。
悲しいものだ。。。

心が保育園児のままで止まっている。
傷付いた痛みを癒す事が未だに出来ていない。
そのうち傷は癒える事があるのだろうか?

人並みに生まれた人を心から羨ましく思う。
周囲の人に恵まれて育った人を心から羨ましく思う。
容姿は別として人から愛される人を心から羨ましく思う。

今、自分が幸せだと感じている人は全力でその幸せを享受して。
私が受け取れなかった、受ける事が出来なかった分まで。
受け取れる分全てを享受して幸せを実感して欲しい。

これを読んだ人は少なくとも私みたいにはならない方が良い。
そんな想いを抱いているようでは人生楽しくないから。

みんなには心から幸せになって欲しい。
こんな思いをするのは私だけで十分。


ミンナガシアワセナラワタシハトテモウレシイ

ミンナガフコウニナルノハトテモカナシイ

ダカラゼッタイシアワセニナッテ

ソレガワタシノネガイデス

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?