時の流れで気付く残酷さとありがたさ

ここ最近僕としては結構ショッキングな事が続いている。

僕はどうやら体に色々問題を抱えながら生きていたのだと。

僕自身の体が誰かの体と比べて健康体なのかどうか、パッと見で分かる事は限られている。極端な痩せ型である事以外に分かる事ものがあまりないので、自分自身もまあそれぐらいであとは他の人と大して差が無いのだろうなと考えていた。

でもね…
自身の体調不良や家族の付き添いで検査を受けてみたら、
まあ随分と異常が見つかる訳ですよ。

何となく気付いていた異常だったり、
想像していたよりも悪い異常だったり、
先天的に抱えていた異常だったり。

何だかもう言葉にならない想いが溢れてしまうのです。

辛いのか悲しいのか、正直自分の感情が分からない。
何もかも投げ捨てて楽になりたいと思う気持ちと同時に自身の体の脆弱さからくる命の危機感を感じ、健康でいられるかどうかの恐怖心と不安感が綯い交ぜになっています。

僕は時の流れで気付いた事実から死を恐れているのでしょう。
それだけ僕は年を重ねてきたという事と、リアルさと生に対して少しずつ真剣に向き合い始めたという事でもあるのかもしれません。

自身の脆弱さに気付いた時はとてつもなく残酷だけど、
それと同時にそこまでの道のりに対してありがたさを感じている。

こんな僕でもここまで生きて来られたのは
沢山の人の愛や支えがあったという事実。
それなりに問題は抱えているけれど
とりあえずこの瞬間まで生きているという事実。

絶望に似たような感情と同時に感謝や希望みたいな感情もそこにはある。

今よりほんの少しでも良いから沢山の人を大切にしようと思った。


ちなみに今日は視力検査を受けたのですが、
近視と乱視が結構酷いという結果でした。

僕が思っているより全然見えていないという事実を知る事になりました…

僕の視力が良かったのは小1ぐらいまでだったような気がする。
それ以降は悪くなるのが結構早かったかも。
先天性の飛蚊症は検査とかしたことが無いけどずっとあるからね…


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?