知り過ぎたら良い意味での無関心と無視が必要(引用あり)

有名人一般人関わらず誰もがSNSを利用出来て個人情報を発信可能な現代。

誰もが簡単に個人の投稿を見る事が出来るのでどんな事を発信しているのか、どんな考え方をしているのか容易に知る事が出来る。

たとえ有名人でなくても気になる人っていうのは誰にでもいると思う。
好き・共感出来る・尊敬・楽しいなど好意的な感情なら良いのかもしれない。だけど現実は揚げ足取りというか、失言や悪い話題性をピックアップして話の流れが進んでいく事が多い。

SNSで誰かと話そうとするなら雑談室など特定のテーマに沿った場所で話す事が多い。現実世界だと井戸端会議のような感じなのだろう。

何らかの記録が残らない井戸端会議でも誰かに聞かれている事はあり得る。
それに比べSNSは複数人が見聞き出来る場所で話した痕が残っているのだから、現実世界での世間話よりも問題になる事が圧倒的に多い。

少し個人的な話になるが、近所のスーパーに買い物に行くと時々玄関で話をしている人たちを目にする。聞く気が無くても声が大きいのでうわさ話や愚痴を話しているのは嫌でも分かってしまう。それをSNS上で同じようにするとどうなるか、そこの部分を間違ってしまう人が多くいるのが現状なのだろう。

人間なので話しているうちに色々な事を話したくなるのは当然。
最初はテーマに沿った話をしていても最終的には全然違う話をしている事も多い。だけどその話の中で「誰かの行動・言動に関しての話」になってくると雑談の域を超え、異質なものになってくる可能性がある。雑談掲示板は特にその特徴が強く表れているような気がする。

雑談に限らず話の中身が何処まで及ぶのが適切なのか、その範囲を的確にとらえるのは非常に難しい事だと僕は思っている。知り合いと話をした時、「昨日何処何処にいたよね?見たよ」っていう人がいるけれど僕はアレが大嫌い。そういう自分だってそこら辺にいたから見たんでしょ?とか、色々突っ込みたくなってしまう。いちいち見たとか居たでしょとか、言わなくてもいい。僕は気に食わないのだ。生きているからそこら辺にいるのよ。

別にそこら辺にいたって良いでしょ?

・・・故にSNSではそれを簡単に出来るからみんなエライ目に遭う。
kage21さんが記事で書いているように監視もストーカーも大して変わらない。細々行動を観察し、それに対して悪い行動を行っていればどちらにしても同じだからだ。

そう思うからこそ僕は僕なりに色々考えてしまう。いつも特定の人の投稿を目にして投稿にアクションをしたりする。話をしてみたい、少しでも良いから関わってみたい、憧れの人だからもっと知りたいという気持ちがある人だっている。

ただそれも度が過ぎれば監視とストーカー、それと大して変わらない。

何処までが許容範囲なのかよく分からないと感じた時、自分が同じような場面に遭遇したら許せる範囲が何処までなのか、想像してみると少しだけ答えに近付けるのかもしれない。

相手あっての事なので信用出来るかとか、ここまでなら良いかなとか、自分なりにある程度許せる範囲を決めておくのが現代社会の人付き合いなのかなと感じている。

好き嫌いという感情関係なく人は他人の行動や言動が気になる生き物。
僕は人間関係を築くのが大の苦手だから、言葉や行動を含めて人間は複雑で難しい生き物だから上手に付き合っていくのは一苦労だと感じている。
それは僕自身の事も含めて。

雑談という何でもないような会話1つでも時代と話す内容によっては雑談とは言い難いものになりえる。雑談が雑談で済まなくなったのは時代なのだろうと僕は思っているけど、今も昔も同じ事が言えると思う。

他人の言動は気になっても全然良い。
相手を知りたいと思う欲求があっても全然良い。
相手と関わりたいと思いアクションを起こすのも全然良い。

だけど
相手の事を詳しく知り始めたら軽々しく相手の情報を口に出さない。
不特定多数が見聞き出来るところで情報を晒さない。

それに限ると僕は思っている。

色々相手の情報を知り始めたら「あえて」知らないふりをすると相手と程よい距離感を保てるような気もする。

何か話がずれたような気もしますが、いつもこんな感じだったなぁ。
タイトルも違うような気がするけど、思い浮かばなかったのでこれにしました。

人間の世界は色々あるけれど、常に誰かと上手にコミュニケーションをとれる世界であれば良いなと願っています。

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