経験を共有する事は世界に色を与える事

人生は長いようで短い。
短いようで長い。
幼い存在でいられるのはほんの僅か。
若い存在でいられるのはほんの僅か。
美しく逞しい存在でいられるのはほんの僅か。
有り余る性欲でセックス出来るのはほんの僅か。
自分1人の人生で経験出来る事はほんの僅か。

その
ほんの僅かな部分をみんなと共有出来るのが今の時代。

自らの姿や経験をみんなに見せる事で
その僅かな人生の一部をみんなと共有出来る。

自分が経験した事。
自分が経験出来なかった事。
経験してみたかったこと。
経験したくなかった事。
経験しなくて良かった事。
色々な事を共有出来る。

どんな経験が善でどんな経験が悪だと感じるか?
個人個人でその匙加減は大きく変わる。

時に悪い想いが連鎖して模倣犯のようなものを生み出す事さえある。

それはとても悲しい事だけど事実として認めなければいけない。

想いを共有する事でどう感化されるかは個人次第だというのも事実。

人が生きていく上で想いはとても大事。

ただ数多ある想いの中、誰かの幸せを願う事や自分が幸せだと感じているその想いは大切にしていきたい。

自分の価値観や考え方にそぐわないものに極度に拒否反応を示し、時には攻撃的になってしまう事だってある。

でもそれはお互い様にある事。

それも人間らしいのかなと思う。

気に食わなくても
お気に召しても
この世界に生きている人の想いである事には変わりない。

嫌いな想いは嫌いなりに色々考えてみる。
好きな想いは好きなりに色々考えてみる。

自分の経験を誰かと共有する事=世界に色々な色を与える事

誰でも世界に色を与えられる時代だからこそ、
誰もが主人公の世界になりつつあるのかなと感じている。

自分で汚い色だと思っていても
誰かからすればステキな色。

自分の持っている色を大事にして欲しい。
それが自分らしさ。

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