大嫌い
自分のためだけに書くという、身勝手な文章を書きます。
どうしても消化しきれなくて。
なぜ、こんなにやるほど、映像を大っ嫌い と叫び倒したくなるのでしょうか。きっと、自分の手や足のように動かないからでしょう。頭で思うことと、身体が一致しない。
いいと思う映像の価値観はあったとしても、それをやる自分とがなかなか一致しない。いいに達するためには、その映像を深く深く読みとかないといけない。そもそも、頭で理解することが苦手である。
なぜ、映像 という世界の中で、 " いい " を目指さないといけないのか。映像は自己満だと感じている。きれいに見せて、かっこいいでしょ って。そんな満足が自分を満たすのは一瞬のことである。リアルに叶うものはない。
人生の中で、 " いい "
を目指したいのに、、、その選択がなかなかできない。
そんな自分は、ずっと、枠の中でもがいている。
外に出たい外に出たいと、また映像の中にいる。
無であれ!考えるな! と紙に書いて、壁に貼っても、すぐに思考が乱れる。
本心では無にはなりたくないのだ。感情の生き物なのだから。感情を無視して生きたら、死んだ魚の眼をした生き物になる。
感情はリアルではない。囚われるな。
映像なんて大っ嫌いだ。
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