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大掛かりな原点回帰

今日のことをXに書こうと思ったら、私にとってはあまりに濃ゆすぎるひとときで、140字では限界が早かった…


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「京子先生、日本で歌うってよ」


あっという間に伝わってきて、門下の9割が母校に集まりました。

(写真は副科でも弾かせてもらっていたオルガン。
当時の先生は私の本科が歌なのを卒業直前までご存じなく、ハ音記号のファクシミリなどを「嬉しいでしょう」と言って一冊まるまる1週間の宿題にかしておいてくださったりしていた。笑)



初めての門下入り

京子先生とは初めて門下入りした先生のこと。
高校の部活が3年の秋まであり、ゴリゴリの体育会系で、寝ても覚めてもそのこと(というかほぼ筋肉のこと)を考えている学生だったけれど、ふと進路を決める時に、いろんな大人(なんだか出会っていた音楽家の先輩方)に歌を勧められていたのを思い出したのです。
その時は4年間だけのつもりで歌を通して自分と向き合いたいなと思っていたのを覚えています。

当時私の高校から音楽で受験する人はほぼ皆無。
三者面談では音楽担当であった先生に
「なにを準備したらいいかわからない」
と言われたくらいですし、芸術選択は美術でした(実は彫刻が好き)。

そんな中で色々あって出会ったのが京子先生。優しく迎え入れてくれて、当時できて4年目だった京子門下では私は末っ子。たくさんの綺麗なお姉さんに囲まれて、良い空気を吸っていました。

イタリアに移る前以来の再会なので、もう何年まえかは数えないことにしますが…笑

京子先生は性格こそ穏やかだけれど、感情表現はとても大きい人で、レッスン中にも「いい曲ね」と泣いたりする人。

いつかたまたま持っていったら「あらぁー!この曲はね、私のグッドラックソングなのよ!あなたもそうなりますように。」と言ってくださった曲や、来週のコンサートで候補に上がっていた曲などを歌われていて、彼女の身体から、声から、そして何より言葉から伝わる感情表現がとても心地よかった。

音楽家である前に人間だし、歌手である前に京子さんである。という変わらぬ事実。

今も昔もこの方は永遠の憧れだなぁと今日も思えて、本当に幸せです。


臨月のメサイア、入学前期から産休

さて高校生の頃に戻ります。
入試が終わり、春休みに大学所属の音楽教室の記念コンサートか何かで、メサイアの合唱にのりませんかというお話があり喜んで伺うと、そこにはスイカを盗んできたかのようなお腹をふわりとしたドレスで隠しきれていない京子先生の姿が。

入学後は個人レッスンは校内のみなので、久しぶりでぽんぽこになっている先生をみるのは初めて。

しかも今日聞いた話によれば上記ビデオの曲で1箇所一番長いフレーズの前の息継ぎを忘れたらしいのです。
歌い切っていたから気がつかなかった。笑

なんだろう、声も美しく、素晴らしい人でもあるけれど私が彼女を好きなのは、面白いひとだからなのだ。。

そして産休のあと、実に半年だけレッスンをしてくれたあと、色々あってアメリカにもどることになったのです。

それからも連絡をとったり、帰省の際に会えれば伺うというかんじでしたが、今回はもう15年ぶりくらいの再会だったのではないだろうか。。

門下入りにいたらなかった、未だ人生最高のイケオジ

そもそも"最初の門下"と書いたのは産休のこともあるけれど、実は京子先生が歌を習った最初の先生というわけではなく、人生初の歌のレッスンをしていただいたのはこのホールで、先生は当時学部長でいらっしゃった渡邊明先生でした。
(今回のコンサートは、コロナ禍の間に天に召されたという先生方を思う目的もひとつありました)

「あなたね、そんなおとなしそうにしたって本当の姿がわかるよ、本当の姿をみせてごらん」

当時まだ人見知りだったのと、the縦!の意識が強めの体育会系だったのでガチガチに緊張をしていたのですが

ホールの重たい扉を開けてご挨拶して、まだ歌ってもないうちにそう言われてポカンとしたのを覚えています。

なにしろ発声をゼロから!の状態だったので、とりあえず練習曲を持っていったのですが、その日できるかぎりのことをとひとしきり声を伸ばしていただいたあとに



「あなたね、海の向こうをみなさい!

でも僕はちょっとこれから時々お休みしなきゃいけないから、アメリカにずっといた、京子さんを紹介してあげる。

歌うために生まれてきたような人だから、きっといいことがあるでしょう。


とりあえず、最初にむこうむこうを持っていきなさいね。」


そうしてすぎていったあっという間の初レッスンでした。

その後入学したあとも時々お目にかから機会があると、「あなたちゃんと海の外見てる?」と声をかけてくださっていました。

それがどんな意味かは当時はあまり考えていなかったけれども。
結果歌を続けているし、海の外にも行きました。

明先生は、もしかしたらよく当たる占い師だったのかもしれない。。

だれでもきっと おもうでしょう
いいことばかり おもうでしょう
むこうむこうむこう
やまのむこう うみのむこう まどのむこう
なにかがまっている たのしいことが
だれでもきっと おもうでしょう
やさしいひとを おもうでしょう
むこうむこうむこう
やねのむこう くものむこう
そらのむこう
だれかがよんでいる やさしいひとが

むこうむこう

実はこの曲は来週14日横浜、21日札幌にて歌う予定です。選曲はピアニストさんがしてくださいましたが、思い出が駆け巡りました。

初めての方もぜひお越しください

横浜公演リンク(14:00の部)

https://t.livepocket.jp/e/xxd3d

札幌公演リンク(14:00の部)

https://doshin-playguide.jp/products/detail.php?product_id=3975

歌は、人生そのもの

そんないろんなことがあって、音楽教育を大学で受けた人なら珍しいと思うかもしれないけれど、すごく平和的に卒業までに4人の先生のレッスンを受けました。
今日はそのうち3人が偶然(退官された方も含め)歌われていて、それぞれこれまでの教授生活を振り返り一言ずつおっしゃっていた。

髪は白くなったとおっしゃっていても歌に当時の艶はのこったまま、そして表現は確実に熟していて、それがとても嬉しかった。

その歌からは人間的にも、音楽的にも「こうおっしゃっていてそれを大切にしている人だったな」というのがじんわりと溢れ出ていたし

「僕の歌どうだった?」と生徒にも講評みたいなものを求めてくれる姿勢も、相変わらず。

レッスンでもそうだけれど、そういう質問で「ここに気をつけているんだな」ということをいただくことの方がもっと多かったような気がしました。

声の技術は確かに必要なものだけれど、わたしたちはみんな形の違う生き物であり生物で、その人生のいろんなことが血となり肉となり、そして祈ってきたことも含めて歌になる。

そんなことを改めて感じさせてくれてありがとうございました。
今日のことも、きっと忘れません。

そして、最後のアーメンコーラスで配布の楽譜の中のページが入ってなかったようで慌てて見せてもらったお隣のM先輩、大変お騒がせしました。笑

大切な時間を使って最後まで読んでくださりありがとうございます。 いただいたサポートはその時その時で私が選んだところへの募金として使わせていただきます。