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その悲しみとは向き合えない

今日は少し感情的な文章かもしれません。


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少し前に大切な友人が天に昇り、たくさんの友人から「つらいね、言葉がないね」と連絡をもらった。

そんな中で「自分の人生だけど、誰かのために生きよう」と言ってくれた共通の友人がいて、なんだかほっとして涙が出た。

幾度か人を見送ってきて
たぶん私は一度もその悲しみと対峙することができたことがなくて。

立ち止まると悲しみに押しつぶされて何もできなくなってしまいそうだけれど、そんな姿は絶対にお空の上から見てもらいたくない。

他の人がどうとかではなくて。とくに"私が"それをしたら、空の上の人たちはきっとすごく心配してくれると思うから。

悲しみに心をとられないために。心がいっぱいになる前に。

人を見送るたび、その人が何を望んでいたか、何を大切にしていたか、そして私に何を望むかを想像します。

少しだけでもその人のかけらをもったまま、1秒でも長く良い時間をすごしたい。

その、絶対に消化できない悲しみや悔しさなんかを、自分が生きることで昇華しようとしてしまう。

だから。

さみしくないわけでもないし、悲しくないわけでもない。

でも、確実に、私の中にあるその人たちのかけらが私をあたためてくれている。

今日も笑顔でいさせてくれている。

ありがとう。それに本当におつかれさま。また顔を合わせる時まで頑張るからね。ゆっくり休みながら、でも時々見ていてください。


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