どうしようもない自分を、それでも「大切にするのだ」と決めるということ

仕事が人生の全てではない。
わかっていても、仕事がうまくいかないと感じるとき、どうしてこんなにも苦しいのだろう。

期待されているスキルが自分にない。
伸ばしたいと思うもののやり方もわからない。
雲をつかむような毎日で、同僚からも評価されず。
自分はなんのためにここにいるのだろ。
ただの給料泥棒じゃないか。
そんなことを考え息苦しくなる。

耳鳴りがする日が増え。朝食は喉を通らず。進まない作業をカバーするために昼休みを自ら削り、食べ損なったおにぎりを翌朝鞄のなかで見つける。
何やっているんだろう。

今学ぶべきはマネジメントなのか?企画力?コーチング?問題解決能力?コミュニケーションスキル?
たぶん、全部必要なんだ。でも体はひとつしかないし、時間は有限だ。

みんなが見ていると思うと日報のコメントも書いては消し、書いては消し。
たった数行のコメントにどれだけ時間をかけるの?これを書いている間にまた電車を1本逃して、帰宅時間は後ろ倒しになり、また慌ててご飯を掻き込むだけ掻き込んで、バタバタ家事育児しているうちに倒れるように眠り朝が来る。

私のやりたいコトってなんだろう。何にやりがいを感じるんだろう?強みは?
知らない間に自分の好きなものも良くわからず、感情もどこか遠くにいってしまった。
何をしたいのか、何が欲しいのか、何に心を動かされるのか。

できるだけ穏やかに暮らしたい。変化は多すぎるとしんどい。
生きるだけで毎日必死なのだ。

もう無理だ、これ以上歩けないと、止まってしまいそうな自分を見なかったことにして足を踏み出す。
私は大黒柱だから稼がねばならない。
せっかく今の役職に就かせてもらったのだから、役に立たねばならない。

せねばならないで、生きるのはしんどいよね。
なんとか今、悪あがきをしながら生きてる。
オンラインでできるカウンセリングを調べ、金曜日はそれをお守りのようにして会社に向かった。
ちょっとだけいつもより色々な会社の人と会話することができてほっとした。

全ての人に好かれることはできないし、コミュニケーションが得意なあの人みたいに生きられるわけでもない。私は私でしか生きれない。

不完全で「何者」でもない自分とどううまく付き合っていくのか。
積極的に変化を楽しみ人生を掴みにいくような生き方はできなくても、流されるままのご縁で生きていくのもいいじゃない?
今の会社のご縁が切れたところで、また新しいご縁が巡ってくるかもしれない。
わからない未来を心配しすぎてもしょうがない。

今の立ち位置から恐る恐るでも手を伸ばしていく。コンフォートゾーンから少しでも出ようと足掻いている自分を、自分くらいは認めてあげたい。
あの人のようには生きられなくてもいいのだと、私は私なんだと、思えるようになりたい。

この週末は久しぶりに居間のカーテンを洗った。
レースカーテン2枚だけだけど、黴が落ちて真っ白になったカーテンを見たら嬉しくなった。
私はカーテンを洗うことができる。

魔窟と化している洋間の断捨離をした。少し足の踏み場が増えた。
微々たる違いだと笑われそうだが、誰も見ないから誰も笑わない。私は床が広くなったのを知っている。
私が頑張ったのを知っている。

私は頑張っている。
亀の歩みだけど、と言ってしまうのは私だ。
私が私に優しくしないで、信頼しないで、誰が私に優しくしてくれるの?誉めてくれるの?

今日、私はnoteを書くのだと決めて、書いた。
中身はネガティブ全開で、脈絡もない散文だけど、私は私との約束を守った。

大事なのは決めるか決めないかだ。
私は私をいじめない。大切にするのだ。
私は私を大切にする力がある。私は私を大切にしてもよいのです。


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