本当に大事なことって、いつの間にか見えなくなってしまうものだよね問題
最近、いろいろなところに行って、いろいろな人の話を聞きます。先日訪ねた3人と、興味深いというか、ちょっと感じた会話がありました。
単なるメモ。
■1:地方創生とか関係人口とか移住とか、そういうのじゃないんだよなと思った宿での会話。
ブームみたいにそこかしこでワードが出てくるけど、そもそも移住先とか、生き方とかって、結局、その人に合ってるか合っていないかだけの問題。そこに他の団体が介在して、お祭りみたいに言ってもしょうがないんじゃないかと。
まちに来る人が多すぎると、住人が暮らしにくい環境ができあがってしまったりする問題もあるわけで。オーバーツーリズムだっけ。せっかくいいカフェができても、時間が経てば押し寄せる観光客に居場所がなくなってしまったり。
■2:過去の人の基準を絶対的にとらえてしまうのはなぜなのか考えたカフェでの会話。
物事の価値観を打ち立てた人って、後々、神格化されやすい。それに囚われて「この人ができなかったなら、私も無理だ」と考えること自体がちょっと違うよね、という話。
こと、形式化された価値観にありがちなのかなーとも思ったりして。
■3:流行することで、形骸化・簡略化がおこり、全体のつながりが見えなくなってしまうよねと思ったサロンでの会話。
人に伝えるときって、わかりやすい構図を描きがち。キーワードとかひねり出したり、ノウハウを簡略化したり。でも物事の本質的な部分ってそんな簡単にできてないし、時代に合わせてそんなに変えられるものでもない。
流行したり、型をつくり始めた時点で、「こういうもの」という膜ができる。それが、本当に意図していたことの前に立ちはだかるから、結局本質を理解するまで時間がかかってしまう。
いずれの場合も、キーワード化や形式化によって、本質が見えなくなってしまう(見えづらくなってしまう)、という現象を引き起こしているように思います。「わかりやすい形にする」「わかりやすいように伝える」ことの恐ろしさよ。
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