「内面と外面について」横光利一

 「笑はれた子」は最初發表したとき、「面」と云ふ題にした。確か書いたのは二十か二十一の頃だつたやうに記憶してゐる。 私の父の弟(私の叔父)のことを書いたものであるが、かう云ふ話に興味を持つたその頃の自分を振り返つてみると、ちょつとませ• •てゐて不快である。しかし、私は此の作を恐らく五回ほど書き直してやつと仕上げた。 最後の所にひつかかつて、一年ほどほつておいた。 一年ほど過ぎてまたとり出して最後の所を讀むと、またそこが不快になつて書き直した。だから、年月で計算すると、此の十枚足らずの作に、三年ほどかかつたわけだ。さう云ふ點で、此の作は私にとつてかなり懐しみを感じさせる。ひよつとすると、此の作が私の作中で一番いいものになるのではないか、と時時思ふことがある。しかし、今は私はかう云ふものをもう一度書きたいとは思はない。言葉に實感がかなりの程度に出てはゐるが、しかし言葉に光りがない。 私は光りのない言葉は嫌ひである。此の作には内面的な光りが、私の作中で最も出てゐる作だとは、私は思つてゐる。 しかし、今は私は外面的な光りの方を愛するときだ。 愛する必要のあるときだ。ここを一度通らなければ本當の内面の光りは出て來るものではないと私は思つてゐる。 いまに、此の内面の光りと外面の光りを同時に光らせてみたいものだと、私は常常から潔ぎ良い祈願を籠めてゐる。此の意味で、私は最近自分の書いた作中では、「街の底」と「靑い大尉」とにやや愛を感じてゐる。 しかし、此の「笑はれた子」は、内面のみを重んじた片輪時代の私の作としては、さう大した駄作だとは思つてゐない。かう云ふことを云ひ始めると、私はここで「外面的」と云ふことについて、一寸書きたい誘惑を感じ出す。 私は「外面的」と云ふことをかなりな程度で重大に考へる。 何ぜかと云へば外面はもつとも明瞭なものであるからだ。もつとも明瞭なものを度外視する癖のあるものは、もつとも不明瞭な内面を、一層不明瞭にするだけの功績以外に、よほどの優れたものでない限り内面を外面ほど人に感じさせる力を持たないにちがひない。見るが良い。 今に主観的なものは藝術の世界では斃れるだらう。 何ぜなら、主觀で自己の槪念を破り行き得るものは、寔に天才以外にはないからだ。さうして、 主觀と云ふ魔物は、誰れ彼れの差別なく絶えず自己を天才だと思はせる癖を持つてゐる。此の癖に欺かれてゐる無數の天才達は、それ故に主觀を愛し、 それ故に没落する。これは平々凡々たる定理である。此の故に、自己を天才に非ずとさとつた藝術家は、謙遜になればなるほど、外面を愛するにちがひない。 もしも人あつて、外面を愛するものがあつたとすれば、そのものは、やがて内面の深さにまで適確に浸透していくにちがひない。 何ぜなら、神は、古くさくも、常に内面を敎へんとして外面を與へてゐる。 外面をも見ずして内面が、何故に分るであらう。外面の總てに内面があり、外面あつて内面は存在し、さうして、ただ内面は、外面にのみあるだけだ。内面のみに、外面があるのではない。 内面とは、外面のもつただ單なる魅力であるにすぎない。しかし、藝術とは魅力である。 魅力なくして藝術の存在は赦されない。としてみれば、内面なくしてまた藝術は赦されない。しかし、内面とは、外面の持つ魅力であるとしてみれば、外面なくして内面の魅力はあり得ない。言葉と云ふ言葉がある。言葉とは外面である。より多く内面を響かせる外面は、より多く光つた言葉である。 此の故に私は言葉を愛する。より多く光つた外面を。 さうして、光つた言葉をわれわれは象徴と呼ぶではないか。此の故に私は象徴を愛する。 象徴とは内面を光らせる外面である。此の故に私はより多く光つた象徴を愛する。 より多く光つた象徴を計畫してゐるものを、私は新感覺派と呼んで來た。此の「笑はれた子」 一篇には新感覺的な經營が少しもない。 此の故に、私は此の作品を過去の藝術だと主張する。


読書に朗読に、ご自由にお使いください。
出来るだけ旧字旧かなのまま、誤字脱字の無いよう心掛けましたが至らない部分もあるかと思います。個人的文字起こしなので何卒ご容赦下さい。

初出:昭和二年二月一日發行『文藝時代』第二巻第九號
   原題は「笑はれた子と新感覚──内面と外面について。」
底本:定本横光利一全集13卷 河出書房新社

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