「典型」以降 高村光太郎


東北の秋

芭蕉もここまでは来なかつた
南部、津軽のうす暗い北限地の
大草原と鑛山かなやまつづきが
今では陸羽何々号の稲穂にかはり、
紅玉、国光のリンゴ畑にひらかれて、
明るい幾万町歩が見わたすかぎり、
わけても今年は豊年満作。
三陸沖から日本海まで
ずつとつづいた秋空が
いかにも緯度の高いやうに
少々硬度の透明な純コバルト性に晴れる。
東北の秋は晴れるとなると
ほんとに晴れてまぎれがない。
きんべここがあなの中から
地鳴りをさせて鳴くやうな
秋のひびきが天地にみちる


開拓に寄す

岩手開拓五周年、
二万戸、二万町歩、
人間ひとりひとりが成しとげた
いにしへの国造りをここに見る。
エジプト時代と笑ふものよ、
火田の民とおとしめるものよ、
その笑ひの終らぬうち、
そのおとしめの果てぬうちに、
人は黙つてこの広大な土地をひらいた。
見渡す限りのツツジの株を掘り起こし、
掘つても掘つてもガチリと出る石ころに悩まされ、
藤や蕨のどこまでも這ふ細根ほそねいどまれ、
スズラン地帯やイタドリ地帯の
酸性土壌に手をやいて
宮沢賢治のタンカルや
源始そのものの石灰を唯ひとつの力として、
何にもない終戦以来を戦つた人がここに居る。
トラクターもブルドウザも、
そんな気のきいたものは他国の話、
神代にかへつた神々が鍬をふるつて
無からを生む奇蹟を行じ、
二万町歩の曠土あらつちが人の命のかてとなる
麦や大豆や大根やキヤベツの畑となった。
さういふ歴史がここにある。
五年の試練に辛くも堪へて、
落ちる者は落ち、去る者は去り、
あとに残つて静かにつよい、
くろがね色の逞しい魂の抱くものこそ
人のいふフランテイアの精神、
切りひらきの決意、
ぎりぎりの一念、
白刃上はくじんじゃうを走るものだ。
開拓の精神を失ふ時、
人類は腐り、
開拓の精神を持つ時、
人類は生きる。
精神の熟土に活を与へるもの、
開拓の外にない。
開拓の人は進取の人。
新知識に飢ゑて
実行に早い。
開拓の人は機会をのがさず、
運命をとらへ、
万般を探つて一事を決し、
今日けふ昨日きのふにあらずして
しかも十年を一日とする。
心ゆたかに、
平気の平左へいざ
よもやと思ふ極限さへも突破する。
開拓はあとがんだが
いつのまにか先の雁になりさうだ。
開拓五周年、
二万戸、二万町歩、
岩手の原野山林が
今、第一義のさかひに変貌して
人を養ふもろもろの命の糧を生んでゐる。


大地うるはし

村役場の五十畳敷に
新築祝の額を書く。
大地だいち うるはし」、太い最低音部パス
書いてみると急にあたりの山林が、
刈つたあとの萱原が、
まだ一二寸の麦畑のうねうねが、
遠い和賀仙人の山山が、
目をさまして起きあがる。
半分晴れた天上から
今日は初雪の紛紛が
あそびあそびじやれてくる。
冬のはじめの寒くてどこか暖い
大地のぬくもりがたそがれる。
大地だいちうるはしと書いた私の最低音部パス
世界が音程を合せるのだ。
大地無境界と書ける日は
烏有先生の世であるか、
筆を投げてわたくしは考へる。


人間拒否の上に立つ

宗教裁判所も一寸来いといへなかつた。
大衆の暴動が怖かつた。
その上法王が署名しさうもなかつた。
法王は毒殺するとしても
次の法王も同じだらう。
結局ミケランジエロには手が出せなかつた。
ヴイツトリア コロンナは追ひつめて
尼寺に入れてさびしく死なした。
あのサロンの連中は大分かたづけたが
どうもこの老いぼれは手におへない。
分りきつてゐるのだが、
これといふ証拠が無い。
こいつが変な物理説でもとなへれば
申分ないこちらの勝だが、
あの「最後の審判」ではどうにもならない。
いくら裸が画いてあつても
批評家アレチノの弾劾だけでは筋が立たぬ。
歯がみをしながら遠巻きに
見つめてゐるのはカラフアであつた。

ミケランジェロは頓着なく、
死にかけたヴィツトリア コロンナを訪問し、
平気でローマの街をあるいた。
苛察カラフアを手こずらせ、
法王とさへ喧嘩する
この老いぼれの鼻ぴしやは
美のみを信じて
他の一切を否定した。
人間拒否の上に立つて
はじめて人間の美を知つた。
怒れるクリストは怒れる彼。
空の空なるものはすべて滅びろ、
まことの美を知る苦しめる者に幸あれ。
苦しみのためへし折れて
をさな児の心にかへつた只の人こそ
天のものなる美を知るのだ。
法王に分るか、
カラフアに分るか、
メヂチ、ボルヂヤ、一切のけだものに
おれの美が見えてたまるか。
おれの作るサン ピエトロの円屋根は
ローマの空に高く立つて
心まづしく又きよく
この一切のけだものをうちのめす
名もない賤しい只の人に
万軍の後楯をあたへるのだ。
さういふ魂に蘇りの天の喇叭を伝へるのだ。

カラフアの手先の眼の前で
背中の曲ったミケランジエロは
壁の割目をなそくつて
誰かに似てゐる鬼を描いた。


明瞭に見よ

人をあやめる何をも持たない
東方の君子国。
原子力時代の珍重なモラリスト。
逆行また先行の一存在。
この君子国の存立が
世界の可能となるためには
指を擬するに忍びない
何かの何かがいるだらう。
その美を養ふ何かの外に
この君子国のいのちはない。
美ならざるなき国情なくして
この国は成立しない。
科学と美との生活なくして
この国はほろびる。
あらしのすさぶ世代のただ中、
又年はあらたまる。
東方の君子国、
明瞭に見よ。


船沈まず

酔はないのは船長とわたくしだけだつた。
キヤビンの羽目につるしたステツキが
振子のやうに四十五度かしいだ。
ボートはさらはれ、
手すりはもがれた。
船は真横からくる吹雪を避けて
コースを棄ててただよつた。
とんでもない方角に
船首は向いて波におされた。
一人も客の出て来ない食堂で
その時わたくしは雑煮を祝つた。
枠のはまつた食卓で
ころがる箸をやつと取つた。
それでも船は沈まなかつた。
囲炉裏の上で餅を焼いてるこの小屋が、
日本島の土台ぐるみ、
今にも四十五度に傾きさうな新年だが、
あの船の沈まなかつた経験を
わたくしはもう一度はつきり思ひ出す。


遠い地平

なかなかあぶない新年が
平気な顔してやつてくる。
不発か時限か、
ぶきみなものが
そこらあたりにころがつて
太平楽をゆるさない。
人の命のやりとりが
今も近くでたけなはだ。
日本の脊骨岩手の肩に
どんな重いものがのるかのらぬか。
都会は無力な飯くらひ、
それを養ふ田舎の中の田舎の岩手。
新年は花やかに訪れても
岩手はじつくりうけとめて、
その眼が見るのは遠い地平だ。


初夢まりつきうた

花巻商人なに商人
花巻商人いい商人
ねだんがやすくて
品ものたしかで
なんでもそろへて
お店はあかるく
きれいで清潔
お客の相談こまかに考へ
いつでもにこにこ
エチケツト身につけ
しんからしんせつ
お届けシステム
きびきびはきはき
近郷近在遠くは列車で
なんでも花巻かんでも花巻
花巻商人なに商人
花巻商人いい商人
夢は正夢初笑ひ
まづまづ一貫かし申した


岩盤に深く立て

四ツ葉胡瓜の細長いのをとりながら
ずゐぶん細長い年月だつたとおもふ。
何から何までお情けで生きてきて
物の考へ方さへていねいに教へこまれた。
もういい頃と見こみがついて
一本立にさせるといふ。
仲間入をさせるといふ。
その日が来た。
ヤマト民族よ目をさませ。
口の中からその飴ちよこを取つてすてろ。
オツチヨコチヨイといはれるお前の
その間に合せを断絶しろ。
その小ずるさを放逐しろ。
世界の大馬鹿者となつて
六等国から静かにやれ。
更生非なり。
まつたく初めて生れるのだ。
ヤマト民族よ深く立て。
地殻の岩盤を自分の足でふんで立て。


山のともだち

山に友だちがいつぱいゐる。
友だちは季節の流れに身をまかせて
やつて来たり別れたり。
カツコーも、ホトトギスも、ツツドリも
もう″さやうなら"をしてしまつた。
セミはまだゐる、
トンボはこれから。
変らないのはウグイス、キツツキ、
トンビ、ハヤブサ、ハシブトガラス。
兎と狐の常連のほか、
このごろではマムシの家族。
マムシはいい匂をさせながら
小屋のまはりにわんさとゐて、
わたしが踏んでも怒らない。
栗がそろそろよくなると、
ドングリひろひの熊さんが
うしろの山から下りてくる。
恥かしがりやの月の輪は
つひにわたしを訪問しない。
角の小さいカモシカは
かはいさうにも毛皮となつて
わたしの背中に冬はのる。


ばた屋

横にながれて
言葉はパブリコスの境にうかぶ。
縦に半角して
言葉は成層圏に結晶する。
おれは言葉を手に取つて
気圏の底を離れない。
巷の言葉をひと打ちうてば
鏘と鳴つてひびきは飛ぶ。
おはやう、こんちは、さやうなら、
寒暄路傍のただ言は
たちまち用を転じて体となり、
鉄とマンガンの元素にかへる。
銀河の穴からのぞいた宇宙の
鉄とマンガンと同列な
組成と質とがここにある。
おれは気圏の底を歩いて
言葉のばた屋をやらかさう。
そこら中のがらくたに
無機究極の極をさがさう。


餓鬼

上野についたら、
なまさのむべ
づけさやるべ、
まきさけくさろ、
火の車のぢやぢや麺にも
トロイカのペロシユキイにも
それからゆつくりありつくさ。
たべること、
くらふこと、
餓鬼の仁義をまづ果す。
おれは都会の片隅で
それから穴居にとりかかる。
岩のやうになる。
気流のやうになる。
あいつをばらばらにして
るつぼにいれて煮つめよう。
泡の中から生れてくるのが
天然四元のいどみに堪へる
さういふ人間の機構を持つか、
もつかもたぬかおれはしらん。


お正月に

東京などといふひょんな
でたらめ部落に
お正月が来るといふ。
来たといふ。松や竹が立つてゐる。
独立したのか、しないのか、
はつきりしない時間がつづいて
東京のメガフオンはおめでたうといふ。
おめでたくするほかない。
めいめいがやるほかない。
おれは十年ぶりで粘土をいぢる。
生きた女体を眼の前にして
まばゆくてしやうがない。
こいつに照応する造型の
まばゆい機構をこねくるのが
もつたいないおれの役目だ。
お正月が何を今年に
持つてくるか、来ないか、
一切かまはん。


東京悲歌

ト、ウ、キ、ヤ、ウはどこにもない。
文化のがらくたをぶちまけた泥棒市が
朝から晩までわめいてゐる。
ノミの市かシラミの市か、
小さな生きものがやつきになつて
何でもかんでも売りたがる。
一切が商品、一切が金。
あぶくのやうにゼニをつかんで
米粒ひとつも生産しない。
頭ばかりのゴーストが
すばやく、ずるく、小またをすくひ、
口腹ばかりの怪物が
港をうづめてかけずりまはる。
ト、ウ、キ、ヤ、ウはどこにもない。
クイズと、頓智教室と、
それが山のやうにある。
したり顔してぬけぬけと
名答ばかり吐いてゐる。
山の住人山から出てきて
まづ食へさうもないだけだ。


十和田湖畔の裸像に与ふ

銅とスズとの合金が立つてゐる。
どんな造型が行はれようと
無機質の図形にはちがひがない。
はらわたや粘液や脂や汗や生きものの
きたならしさはここにない。
すさまじい十和田湖の円錐空間にはまりこんで
天然四元の平手打をまともにうける
銅とスズとの合金で出来た
女の裸像が二人
影と形のやうに立つてゐる。
いさぎよい非情の金属が青くさびて
地上に割れてくづれるまで
この原始林の圧力に堪へて
立つなら幾千年でも黙つて立つてろ。


かんかんたる君子

かんかんたる君子はコメデイヤン。
目から鼻にぬける時代は過ぎて
音よりもはやいジエツトが飛ぶ。
山の中にとり残された詩経の民が
旧暦の雪の中で炭を焼く。
さういふ山から出て来てみれば、
東京はかすとり娯楽雑誌のやうに
源平藤橘ジョーもジユリーも
性とばくちとクイズと頓智と
その都度かぎりに燃えてゐる。
泥水をかきまはしながら泥水の
とどのつまりの美を見た君子は
それでものどかに雑煮をくふ。
かんかんたる君子がおもむろに立つて
受話機をはづせば火星からだ。


記者図

「記者殿」は今でも「記者殿」。
時間の密度はますます濃く、
空間は不等辺にちぢみ上り、
事件にぶつけるからだからは
火花となつて記事が飛ぶ。
どこへでも入りこみ
どんな壁の奥でも見ぬく。
対象に上下なく、
冒険は日常茶飯。
紙と鉛筆とカメラとテープと、
あとはアキレス筋の羽ばたく翼。
紅顔、白髪、
「記者殿」は超積極の世界に生きて
時代をつくり、時代をこえ、
刻々無限未来の暗黒を破る。


弦楽四重奏

外套のえりを立てて
バルトークにくるまつてゐる。
ストールをなびかせて
ミローがささやく。
日比谷公会堂のホールやポーチに
人があふれて動いてゐる
演奏がすんだばかりの
超現実の時間がながれ、
どこにゐるのか、どこにゆくのか、
ともかく生きてゐるものの大群団が
階段の方へ向いてゐる。
バルトークの悲しみや怒りが
第三の天で鳴つてゐる。
冬の夜風は現世を吹くが、
あの四重奏がもつと底から悲しくて痛くて。


新しい天の火

原子爆発の大火団が
雲を貫いていのちの微粒子を放射する。
有機の世界、
無機の世界、
この故に屈折無限の意味を持つ。
天の火を盗んだプロメテの今日の悲劇よ。
人類はじめてきのこ雲を知り、
みづからの探求は
みづからの破滅の算出。
ノアの洪水に生きのこつた人間の末よ、
人類は原子力による自滅を脱し、
むしろ原子力による万物生々に向へ。
新年初頭の雲間にひかる
この原子爆発大火団の万能を捕へよ。
その光いまこのドームに注ぐ。
新しい天の火の如きもの
この議事堂を打て。
清められた新しき力ここにとどろけ。


開拓十周年

赤松のごぼう根がぐらぐらと
まだ動きながらあちこちに残つてゐても、
見わたすかぎりはこの手がひらいた
十年辛苦の耕地の海だ。

今はもう天地根元造りの小屋はない。
あそこにあるのはブロツク建築。
サイロは高く絵のやうだし、
乳も出る、卵もとれる。
へうきんものの山羊も鳴き、
馬こはもとよりわれらの仲間。

こまかい事を思ひだすと
気の遠くなるやうな長い十年。
だがまたこんなに早く十年が
とぶやうにたつとも思はなかつた。
はじめてここの立木へ斧を入れた時の
あの悲壮な気持を昨日のやうに思ひだす。
歓迎されたり、疎外されたり、
矛盾した取扱ひになやみながら
死ぬかと思ひ、自滅かと思ひ、
また立ちあがり、かじりついて、
借金を返したり、ふやしたり、
ともかくも、かくの通り今日も元気だ。

開拓の精神にとりつかれると
ただのまうけ仕事は出来なくなる。
何があつても前進。
一歩でも未墾の領地につきすすむ
精神と物質との冒険。
一生をかけ、二代三代に望みをかけて
開拓の鬼となるのがわれらの運命。
食ふものだけは自給したい。
個人でも、国家でも、
これなくして真の独立はない。
さういふ天地の理に立つのがわれらだ。
開拓の危機はいくどでもくぐらう、
開拓は決して死なん。

開拓に花のさく時、
開拓に富の蓄積される時、
国の経済は奥ぶかくなる。
国の最低線にあへて立つわれら、
十周年といふ区切り目を痛感して
ただ思ふのは前方だ。
足のふみしめるのは現在の地盤だ。
静かに、つよく、おめずおくせず、
この運命をおほらかに記念しよう。


追悼

柿の実のあかるくひかるころ、
生死のさかひをいとも静かに
かろくまたいでいつた人、
巨大な夢を南沢に築き、
神のしもべもと子を支へて
自由育成の難業に精根をつくした人、
秋の銀河にかく歩いていつた
その人、羽仁吉一。


開びやく以来の新年

一年の目方がひどく重く身にこたへ、
一年の味がひどく辛く舌にしみる。
原子力解放の魔術が
重いつづらをあけたやうに
人類を戸惑ひさせてゆるさない。
世界平和の鳩がぽつぽとなき、
人類破滅の鎌がざくざくひびく。
横目縦鼻の同じ人間さまが
まさかと思ふが分らない。
胸を定めてとそを祝はう。
重いか軽いか、ともかくも、
開びやく以来の新年なんだ。


お正月の不思議

ひとまりしてきた地球が
顔をあらつて、お早うといふ。
冬でもぬれてるニツポン的な空の色も、
物の音も、人間の顔も、ドブ川の流も、
わたくしの肋間神経痛も、
すつかり新年といふことで、
去年いちねんにつみ重なつた
手におへない、あぶないものが
あぶないまんま凍結して、
虚無のやうに平安な
前代未聞にあたらしい
一代雑種のやうな朝が来た。
世界平和と人類破滅とが
仲よく隣同志でそこにゐる。
こんな矛盾が矛盾にならないほど
微妙な天秤に人間はのつてゐる。
そのくせ、虚無のやうに平安な
お雑煮をたべて笑つたり、
とそ、、をのめば、いつのまにか、
心の中が楽しくなりさうだから不思議である。


生命の大河

生命の大河ながれてやまず、
一切の矛盾と逆と無駄と悪とを容れて
がうがうと遠い時間の果つる処へいそぐ。
時間の果つるところ即ちねはん、、、
ねはん、、、は無窮の奥にあり、
またここに在り、
生命の大河この世に二なく美しく、
一切の「物」 ことごとく光る。

人類の文化いまだ幼く
源始の事態をいくらも出ない。
人は人に勝たうとし、
すぐれようとし、
すぐれるために自己否定も辞せず、
自己保存の本能のつつましさは
この亡霊に魅入られてすさまじく
億千万の知能とたたかひ、
原子にいどんで
人類破滅の寸前にまで到着した。

科学は後退をゆるさない。
科学は危険に突入する。
科学は危険をのりこえる。
放射能の故にうしろを向かない。
放射能の克服と
放射能の善用とに
科学は万全をかける。
原子力の解放は
やがて人類の一切を変へ
想像しがたい生活図の世紀が来る。

さういふ世紀のさきぶれが
この正月にちらりと見える。
それを見ながらとそ、、のむのは
落語のやうにおもしろい。
学問芸術倫理の如きは
うづまく生命の大河に一度は没して
さういふ世紀の要素となるのが
解脱ねはん、、、の大本道だ。



読書に朗読に、ご自由にお使いください。
出来るだけ誤字脱字の無いよう心掛けましたが、至らない部分もあるかと思います。個人的文字起こしなので何卒ご容赦下さい。

底本:「高村光太郎全詩集」新潮社
昭和四十一年一月十五日発行
尾崎喜八、草野心平、伊藤信吉、北川太一 編集
詩集「典型以降」(昭和二十五年~昭和三十年)より「智恵子抄」に収録された詩を除く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?