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PTAの免除裁判は狂気じみた異常な空間。だからPTA退会しました。

私がPTAから退会する最大の理由となったのは、「免除裁判」の存在です。

「免除裁判(免除の儀式とも言う)」なんて言葉、子供が小学校に入学しPTAに関わるようになって初めて聞いた言葉です。

免除裁判、1人一役、ポイント制、卒対(卒業対策)、非会員・・・これらのワードはPTA特有のものですよね。PTAに関わって数年経つと、当然誰でも知っている共通言語のように語ってしまうけど、一般社会から見たらなんのこっちゃ、なワードですね。

免除裁判とは、クラスまたは学年の保護者を前にして役員を引き受けることができない理由を述べ、その場にいる他の保護者がその理由に対して賛成または反対を多数決で決める、と言うもの。

そこで語られる理由とは、妊娠、介護、通院、病気など非常に繊細でプライベートな内容です。ただ同じ学区に住んでいる、子供が同級生なだけの赤の他人に個人情報を晒さなければならず、さらにその理由なら役員を免除してもいいかどうか他人にジャッジされるなんて、おかしいですよね?

私なら「反対」はもちろんできないし、「賛成」するにしても、一体どの立場で何目線で「その理由なら役員免除に賛成します」と言えるのかしら?と思います。

入学して右も左もわからない状態でいきなり免除裁判が行われた時は、ただただ「怖い」と思いました。入学前、ネットで目にした「免除裁判」は遠い世界の出来事で、そんなひどい事するPTAもあるもんだ、ぐらいに思っていたら、まさか自分も経験するとは。

こんなひどい事が、学校と言う教育の場で、教師も立ち会っている教室で行われていることがショックでした。

PTA役員、教頭、教育委員会に手紙を書いて、免除裁判の異常性を訴えました。

1年目は「こんなのおかしくないですか?」と感覚的感情的な訴えしかできませんでしたが、2年目、3年目は色々勉強したので、この行為は「要配慮個人情報を不特定多数で共有することのマズさ」とか、「アウティングの強要だ」とか、「義務ではないことに対して免除はあり得ない」、と理屈をつけて意見することができました。

免除裁判が行われてしまう背景には、PTAは全員加入し、6年間で必ず役員を引き受けるもの、と言う思い込みがあるのでしょう。

1年目の訴えでは何も変わらず、2年目も当たり前のように免除裁判が行われ、3年目でやっと免除裁判は無くなりました。
と同時に、加入届が整備され、PTAに加入する・しないを選択できる任意制になりました。

私がPTAを退会するまで3年かかりました。

引き止められて3年かかったわけではありません。

PTAのおかしな所、理不尽な所を意見し、変わってくれることを期待した結果、3年かかったのです。

結果として、PTA本来のあるべき姿である「任意のボランティア団体」に生まれ変わって役員の押し付け合いや免除裁判も無くなったのですが、他人の人生をジャッジすることに疑いもなく加担していた人たちと一緒に活動することはできないな、と思い退会届を提出して関わりを断ちました。

同調圧力、おかしいと思っても声をあげられない保護者たち、異常な免除裁判を傍観する教師たち・・・うーん、もういいかな、と思いました。

あの時、鬼の形相で「1人1回は役員やることになってますから!」と迫っていた役員、「仕事は役員をやらない理由にはなりません」と宣言していたクラス委員たちは、完全任意になって立候補がいなければ役員も空席で可、となった今の状況をどんな気持ちでいるのだろう。

PTAの免除裁判は狂気じみた異常な空間であり、ただのボランティア団体なのに保護者に恐怖心を与えるなんて、おかしいですよ。

退会してよかった。

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