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花様年華THE NOTES⑬


ジョングク
22年5月22日


誰かに肩を揺すられて目を開けると
車窓いっぱいに海が広がっていた。

眠気が覚めていないせいか
海の風が冷たく感じられた。

僕は両腕を抱えて外に出た。

いつの間にか
波打ち際まで行っていた
兄さんたちが振り向いて手を振った。

兄さんたちの後ろに海が広がり
その上に太陽が浮かんでいた。

まるで静止画のような風景だった。

その静止画の中に
風が吹きつけてきたのは
手を振り返して見せようとした時だった。

一瞬、白い砂浜に砂埃が
舞い上がったかと思ったら
激しい風が渦を巻いて吹き荒れ出した。

静かだった海辺に突然
吹き荒れた砂嵐に
皆が顔を覆って背を向けた。

僕も同じだった。

ぎゅっと目を閉じ
頭を深く下に向け
腕で顔を覆った。

ザーッという波音と
ヒューヒューという風音の中で
僕たちは皆、しばらく立ちつくしていた。

目を開けようとしたが
砂が入ったのか、目の奥がちくちく痛んだ。

「こするな。 傷になる」

ホソク兄さんの声に
ゆっくりまばたきした。

海と空、兄さんたちの姿が
にじんだ涙の向こうに現れては消えた。

そんなふうに何度も
まばたきを繰り返すと
涙がこぼれ落ち、ごろごろしていた
異物感が消えていった。

砂の粒が取れたようだった。

兄さんたちの笑い声が聞こえてきた。

がらんとした海辺。

白い砂浜の真ん中で
涙を流して立っている僕を
見て、兄さんたちが爆笑していた。

いきなり先に走り出したのは
誰だったか覚えていない。

最初はただふざけていた。

僕は僕をからかっている
兄さんたちに向かって走る真似をして
ホソク兄さんは逃げるふりをしながら
いたずらっぽく走り始めた。

そのうち1人、2人と互いに向かって
走ったり逃げたりして、僕たちは
ゲラゲラ笑い出した。

そして気がつくと
全員が海岸道路沿いを走っていた。

僕も兄さんたちを追って走った。

息が切れ、汗が出て
頭がずきずき痛んだが
兄さんたちが止まらなかったから
僕も止まらなかった。

兄さんたちに再会し
ジミン兄さんを脱走させて
この海まで来た。

全てが突然だった。

その間、僕がしたことと言えば
兄さんたちの後に
ついて行くだけだったが
怖いくらい胸が
いっぱいになった気分だった。

もしかすると、こうして
当てもなく走ることが
不安と溢れそうな気持ちの
両方を受け止める唯一の
方法だったのかもしれない。

学校をサボって
海に来た時もそうだった。

「そうだ。あの時そうだったよな」

皆で白い砂浜に転がり
息を整えていた時
ナムジュン兄さんが言った。

「あの時も暑かった気がするけど
  いつだったっけ」

ジミン兄さんだった。

「6月12日だったじゃないですか」

僕が答えると、なぜそんなに
正確に覚えているのかと皆が驚いた。

僕がその日を正確に覚えているのは
日付が書かれた写真を持っているからだった。

これまで僕は時々、その写真を
取り出して見ていた。

誰にも話していなかったが
あの日、家族ができたように思えた。

本当の兄さんたち
本当の兄弟ができたように思えた。

「兄さん」

どうしてもありがとうと
言いたくて口を開いたものの
どう切り出したらいいのか
思いつかなかった。

「何だ?」

兄さんたちは1人ずつ催促しては
早く言えと飛び掛かってきた。

僕たちはまた一個所に入り乱れ
砂の地面を転がりながらふざけた。

「どうしてここに1人でいるんですか?」

皆と離れて白い砂浜に座っている
テヒョン兄さんのそばに
どっしり腰を下ろして聞いた。

兄さんは、ちらりと
僕の方を振り向いたが
答える代わりに聞いた。

「俺たちが初めてここに来た時も
  あれはあったか?」

兄さんが指差したのは展望台だった。

「あの時もあったとしたら
  僕たちはきっと上ったはずだけど
  そんな記憶はありませんよね?」

兄さんがうなずいた。

視線はずっと展望台に向けたままだった。

「行こう」

誰かに肩を叩かれて見上げると
ソクジン兄さんだった。

逆光で顔がはっきり見えなかった。

座った姿勢で見上げたせいか
兄さんはとても大きく見えた。

砂をはたきながら立ち上がった。

足がズボズボ沈む砂は熱く焼けていた。

僕はソクジン兄さんの影に隠れ
つま先で砂を蹴りながら歩いた。

僕の蹴った砂が兄さんの
ズボンに飛んだが
兄さんは振り向かなかった。


テヒョン
22年5月22日

この全てを見た覚えがある。

生々しすぎて本当に
経験したことのように感じられる
夢の中でこの海を、俺たち7人を
高くそびえ立つ展望台を見た。

夢の最後は、俺が展望台の上に
立っている場面だった。

皆が俺を見上げた。

互いの顔が鮮明に見える
距離ではなかったのに
俺は下に向かって笑って見せた。

まるで別れの挨拶をするかのように。

そして飛び下りた。

「あっ、ソクジン兄さんだ」

ジョングクの声に顔を向けると
ソクジン兄さんが展望台を上っていた。

頂上まで上った兄さんが
俺たちの方に体を向けた。

俺たちを撮ろうとしているようだった。

皆は手を振ったが
俺は振れなかった。

夢の最後の場面と同じだったからだ。

俺ではなく、ソクジン兄さんが
上ったことだけが違っていた。

一瞬、足元がずしんと沈み
体が宙にふわりと浮いた気分だった。

すぐに真っ逆さまに落ちる気がして
無意識のうちにぎゅっと目をつぶった。

拳を強く握ったわけでもないのに
手のひらの傷が痛かった。

深く切ったと思っていた傷は
意外と簡単に癒え、今は赤い傷跡が
残っているだけだった。

たまに猛烈に痛むこともあった。

そんな時は罰を受けているように思えた。

俺がしでかした全ての
過ちに対する罰。

今もそうだった。


ナムジュン
22年5月22日

「たった1歳しか違わない。
  誰がそんなこと言ったんだ。
  俺が年上だよ。 分かってる。
  でも、もう子どもじゃないんだし。
  今は自分で何でもできるように
  なっんじゃないかってことだ。
  分かった。分かったってば。
  別に怒ってるわけじゃない。 ごめん」

電話を切って地面を見下ろした。

日が沈むまで海辺で時間を過ごし
宿所に向かう帰り道に
生ぬるい風が吹いていた。

胸が苦しくて今にも
張り裂けそうだった。

砂と土が半分ずつ混じった地面には
アリが列を成してどこかに向かっていた。

両親を愛していないわけではない。

弟のことが心配にならないわけではない。

できれば顔をそむけたいが
俺という人間はどう転んでも
俺でしかないから、そうはできないだろう。

それもまた、よく分かっていた。

だとしたら、こんなふうに
苦しんでもがいたり、怒ったり
もどかしかったり
抜け出したくなったりするのには
どんな意味があるのだろうか。

向こうにちょうど俺と同じように
じっと立っている1人の後ろ姿が見えた。

ジョングクだった。

いつだったか
ジョングクが俺に言ったことがある。

「兄さんみたいな大人になりたいです」

あの時は言えなかった。

俺はそんなにいい大人じゃないと
いや、 大人でもないと。

あの時はそう言うことが
残酷に感じられた。

寄せてもらって当然の信頼や
関心や愛情を寄せてもらえなかった
年下の友達に、年を取ったからといって
背がもう少し高くなったからといって
何年か長く生きたからといって
大人になれるわけじゃない
そう言ってやることはできなかった。

ジョングクの未来が
俺の未来より優しいものであることを
願っているが、その過程で俺が
助けになってやるとは約束できなかった。


ソクジン
22年5月22日

もう一度、友達の方を振り返った。

たわいのない話をして、笑い
騒ぎ、そして誰かが勢いよく
立ち上がってダンスを踊ると
またたにぎやかな笑い声がこぼれた。

目の前で起きている
光景が信じられなかった。

数え切れないほど
試行錯誤を重ねて今に至った。

長い間、望んでいたことであり
切実すぎるあまり、永遠に
やって来ないだろうと思っていた
瞬間でもあった。

それにもかかわらず
心の片隅にわだかまりがあるのは
まだ打ち明けていない
話があるからだった。

何度もためらったが
勇気が出なかった。

でもこれ以上
逃げることはできない。

この話をしなければ
僕は友達の顔を
正面から見られないだろう。

夕飯が終わる頃
僕は話があると言って口を開いた。

しかし、テーブルを取り囲んだ
雰囲気は依然としてせわしなかった。

テヒョンだけが僕を見た。

数日前、テヒョンが会いに来て
自分が見た夢について話した。

「兄さんは分かってますよね?」

テヒョンはせき立てたが
僕は何も言わなかった。

どういう意味か分からない
それは夢に過ぎないとだけ言った。

テヒョンは怒って帰っていった。

全てウソだったのではない。

テヒョンがなぜそんな夢を
見るのかは分からなかった。

しかし、その夢がどれほど
酷なものかは分かっていた。

だから、ますます事実を話せなかった。

テヒョンが何を気にしているのかを
よく知っていただけに、なおさらだった。

父を殺そうとしたのは
夢の中の出来事ではないという事実を
それは実際に起きたことで
しかも繰り返し起きたという事実を
テヒョンが知る必要はなかった。

世界の誰もそんな苦しみを
経験する必要はなかった。

事実を話さないことでテヒョンの
恨みを買うことになるとしても構わなかった。

僕はテヒョンの視線を避け、顔をそむけた。

しばらく黙っていたが
呼吸を整えながら、もう一度言った。

「皆に話がある」

ナムジュンとホソクが振り向き
他の友達も次々に僕を見た。

「もっと早く話すべきだったけど
  高校の時······」

テヒョンが話を遮ったのはその時だった。

「高校の時?高校の時
  校長のスパイをしながら
  僕たちのことをチクった話ですか?
  それとも、そのせいでユンギ兄さんが
  退学になった話ですか?
  2つのうち、どっちの話をするんですか?」

いきなり割って入った
テヒョンの声には非難の色が
ありありと見て取れた。

「テヒョン」

ナムジュンが制止するように
テヒョンを呼んだ。

テヒョンは僕から視線をそらさず
ナムジュンの手を押しのけた。

「それ全部
  兄さんがしたことじゃないですか」

誰も口を開かなかった。

驚いて何を言ったらいいのか
分からなかったのだろう。

ユンギを見た。

テヒョンの言うとおりだった。

そのことでユンギが退学させられた。

僕はうつむきながら言った。

「悪かった」

次の瞬間、テヒョンがもう一度

口を開いた。


テヒョン
22年5月22日


「兄さん、それだけですか?
  隠してるとが他にも
  あるんじゃないですか?」

俺はソクジン兄さんをじっとにらんだ。

兄さんも俺を見た。

もう一度、せき立てようとした瞬間
誰かが俺の肩をつかんで止めた。

振り向かなくても分かった。

ナムジュン兄さんだった。

「兄さんは口出ししないでください。
  兄さんに関係のないことでしょう?
  本当の兄さんでもないし」

ナムジュン兄さんの視線を感じた。

顔も向けないまま
兄さんの腕を振り払った。

自分でも分かっている。

俺は今、ナムジュン兄さんに
八つ当たりをしていた。

海辺から宿所に向かう途中
松林を通り過ぎる頃
ナムジュン兄さんが電話で
話しているのを聞いた。

兄さんの話に間違いはなかった。

僕は兄さんより
わずか1つしか年下でなく
本当の弟でもなかった。

自分のことは自分で
しなければならないというのも
そのとおりだった。

でも寂しかった。

「テヒョン。悪かった。
  だから、この話はやめよう」

口を開いたのはソクジン兄さんだった。

「テヒョン」

と名前を呼んだのも
悪かったと謝ったのも
ソクジン兄さんだった。

ナムジュン兄さんは
何も言わなかった。

非難するような表情で
俺を見ているだけだった。

「何をやめるんですか。
  どうせなら最後まで話してください。
  兄さん、隠してることあるじゃありませんか」

全員の視線が
ソクジン兄さんに向けられた。

ソクジン兄さんが
頼むからやめようと言いたげな
表情を浮かべて見せた。

「向こうで話そう」

ナムジュン兄さんがもう一度
俺の腕をつかんで言った。

俺は今度も振り切ったが
兄さんは手に力を入れ
引っ張っていこうとした。

俺は踏ん張って言った。

「放してください。
  何の権利があって止めるんてすか?
  兄さんは何を知ってるんですか?
  何も知らないくせに。
  兄さんは自分がすごい人だと
  思ってるんでしょう?」

その時だった。

兄さんが急に腕を放し
俺はその反動でややふらついた。

いや、ふらついたのは
反動のせいではなかった。

兄さんが腕を放した瞬間
縛られていた輪の真ん中が
ぷっつり切れるような気がした。

支えてもらいながら足を
踏みしめて立っていたものにひびが入り
割れるような気がした。

もしかしたら俺は
兄さんが最後まで腕を放さないことを
願っていたのかもしれない。

何を言ってるんだと怒って
引っ張っていってくれることを。

まるで本当の弟に対するように
とても近くて大切な存在だから
見捨られない人に対するように
もっと叱ってほしいと
願っていたのかもしれない。

しかし兄さんは腕を放した。

笑いがこぼれた。

無意識のうちに笑いがこぼれた。

そして吐き捨てるように言った。

「一緒にいるのがそんなに
  偉いことですか。
  僕たち、お互いにとって
  何なんですか。
  結局は皆、1人じゃないか」

ソクジン兄さんが
俺を殴ったのは
その瞬間だった。


ジミン
22年5月22日


「僕たちも行こう」

そう言ったのはホソク兄さんだった。

宿所のドアを閉めながら振り返った。

テーブルと椅子、鍋や食器が
適当に置かれていた。

「ジミン、早く来い」

呼ぶ声に背後のドアを閉めた。

兄さんたちはすでに前方を歩いていた。

ユンギ兄さんとホソク兄さんの後ろで
ジョングクが少し遅れていた。

来た時は7人だったが
今は4人だった。

展望台を通り過ぎる時、見上げた。

日が沈んだ海辺には
明かりなどなかった。

展望台も海も暗闇に消え
何も見えなかった。

波の音だけが、けたたましく聞こえた。

ふと、この近くだと思った。

初めてこの海に来た時、行った所。

夢を叶えてくれるという岩。

リゾート工事で爆破された岩が
粉々に砕け散った現場で、僕たちは
声の限りに何かを叫んだ。

「ジョングク、あれはここじゃなかったか?」

振り向くと
ジョングクは前方で
兄さんたちを追い越して走っていた。

ホソク兄さんが呼んだが
聞こえていないようだった。

ジョングクも自分の道を行くんだな。

ふと、そんなことを考えた。

ジョングクはいつも遅れて歩いた。

兄さんたちが行く道を行き
立ち止まる所で立ち止まった。

僕もそうだった。

分かれ道で周囲を見渡した。

左に行けば駅で、右に行けば
家までのバスに乗れる。

いつかは家に
帰らなければならなかった。

それは決して
避けられないことだった。

僕のウソと真実を両親に
話さなければならなかった。

両親が聞きたくなくても
打ち明けなければならなかった。

いつかはその一歩を
踏み出さなければならなかった。

ユンギ兄さんが左の道に
入っていくのが見えた。

「ジミン、早く来いよ」

ホソク兄さんが僕の方を振り向いた。

「兄さん、僕はもう家に帰ります」

兄さんはどういう意味かと
いうように聞き返した。

「家?」

僕はこくりとうなずいた。

そして右の道に歩き出した。


ジョングク
22年5月22日


体がふわりと浮いたと思ったが
いつの間にか、固い地面だった。

しばらくは何も感じなかった。

ただ全身がとても重くて
まぶたを開けていることさえできなかった。

つばを飲み込むことも
息をすることもできなかった。

意識が乱れる中
次第に周りが暖かくなると
急に全身が発作的に揺れた。

どこだか特定できない痛みと
渇きの中で、無意識のうちに目を開けた。

砂がいっぱい入ったかのように
ざらざらした瞳の奥で何かがちらついた。

明かりだと思ったが
そうではなかった。

明るく大きくて、かすんでいた。

それは身じろぎもせず
虚空に浮かんでいた。

しばらく見ていると
それは次第に確かな形を帯びていった。

月だった。

頭が後ろに折れ曲がったのか
世界が逆さまだった。

その世界に月も
逆さまにかかっていた。

咳をして息をしようとしたが
動かなかった。

寒気を感じた。

怖かった。

口をしきりに動かしたが
全く言葉が出てこなかった。

目を閉じていないのに
前がだんだん暗くなった。

遠ざかる意識の中で
誰かが話しかけた。

「生きるのは死ぬより苦しいよね
  それでも生きたいの?」


……To be continued

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