まだ25歳なのか
1999年1月生まれ
私は現在25歳だ。
20代前半の頃は、もう20歳か、やっとお酒が飲める年になったな。とか、
もう23歳か、周りももう社会人として働き始めていて、大人にならなければいけない年だな。とか思っていたのだが、最近はというと、「私ってまだ25歳なんだ」と思うようになった。
23歳くらいまでは何にも考えずに生きていた。
本当に何にも考えずにぽーっと。
短大を卒業して入社した地元の企業で働き続けていて実家で暮らしている、という生活に何の違和感も抱かずに、ずっとこのままこうやって生きていくんだろうと漠然とそう思っていた。
24歳のころ仕事を辞めてフリーターになった。
その頃からだろうか、本を読み始めた。
エッセイ本にはまり、人によってその人らしい文体があることの面白さや、テレビや雑誌のように第三者による編集が少なく、限りなく著者そのものの言葉に近い「本」という媒体にはまった。
エッセイ本の純度の高さや、気軽に出版できないからこその中身の濃さが素晴らしいと感じていたので、いいなと思う人がいたら、本を出していないか調べ、すぐに読んだ。
本を出している人となると人生経験をある程度積んだ人が多く、若い人でも本を書いている人もいるが、私が惹かれる文章を書く人は年上の人が多かった。
50代、60代、それ以上の人となると、仕事での挫折や成功、結婚や出産などで家族を築くことや命の誕生、また多くの死の経験からか、人生の厚みのようなものを感じる。いろんな人を見てきた人にしか書けない文章や言葉があるだろう。
引き込まれるような文章を読んでいると、自分も同じように長い年月を一緒に過ごしてきたような錯覚をさせられることがある。
そのせいか、自分はまだ25歳なのか、そうか、そうか、と不思議な感覚に陥るようになった。
本で読む文字も、音楽で聴く歌詞も、ラジオから聞こえてくる言葉も、会ったこともない人なのに、その人の言葉を知れるという素晴らしい文化だと思う。
ましてや、すでにこの世にいない人、違う時代を生きていた人の言葉を聞ける、知れるということはこの世に生まれた価値だ。
自分も必ず歳を取るということ、死ぬ時が来るということ、そういう実感や覚悟のようなものを「本」からもらった。
経験を言葉で紡いで届けてくれた人たちのおかげで、”人生”を考えて生きられるようになった。
人生は、生活であり、経験であり、家族であり、友達であり、感動であり、挫折であり、生まれて死ぬことである。
私はまだ25歳である。
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