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ナチス映画は冬の季語

寒い季節になると、戦争映画が見たくなります。それも第二次大戦、ナチスの映画です。どうもこのナチス関係の映画と言うのは冬が舞台のものが多いような気がします。戦争は6年ぐらい続いたから夏もやっているはずなのに、どうしても雪が降ってる、あるいはとてつもなく寒い凍えるようなシーンばかりが印象に残っています。

逆に、日本の戦争映画は夏のイメージです。これは日本兵が東南アジア方面に出征していったことも関係してるのかもしれないし、沖縄戦のイメージもある、それに原爆が投下されたのも夏で、その後すぐ終戦になった。だからやっぱり日本の戦争は汗が吹き出すような夏の戦争、と言うイメージなんです。

このところ、大してナチスが関係していないような映画でも、ヒトラーの名前を冠したタイトルになっている映画も沢山あります。ナチス、ヒトラーと言うキーワードはある種人を惹きつけるのかもしれません。そもそもあの制服がなんともスクリーン映えするではありませんか。これは紛れもない事実です。あれほどヨーロピアンの男性を美しく見せる軍服を私は知りません。

実際、私も映画などで見ては、「はー…なんて美しいんや」と思っているのです。実際、着用している本人も自分の姿を見てうっとりしているはずなんです。しかし、それが恐ろしいところです。かっこよくて美しいものがこの上なく残虐な思想のもとに冷酷な指令を次々と遂行していくのですから。つまり、映画的にもこの極端なギャップがドラマを増幅させていることは間違いありません。

一方、日本の兵隊さんが出征していくときの写真を見たことありますか? ボロボロのゲートルを巻いてくたびれた綿の帽子をかぶって、勇ましいと言うよりはみすぼらしい姿で見送られています。もちろん、物資がなかったのですからしょうがありません。同じ負けたドイツと日本でここまで制服に違いがあるのだなと感じます。

さて、私はどうして戦争映画が好きなのでしょう。当たり前ですが、戦争が好きなわけではありません。戦争に憧れているわけでもありません。子供の頃、頭上にヘリコプターが飛んできただけで「お母さん!戦争が始まった!怖いよー!」と、泣きついていたような子です。では激しく戦争反対を訴えているのか、活動しているのかと言うと、そーゆーわけでもありません。1つ言えるのは、父は激しく戦争反対派です。小学生の頃から、終戦の頃になると地元の戦争展にいつも連れて行かれました。父としては、戦争の恐ろしさ、愚かさを私に叩き込みたかったのでしょう。逆に、私にとってはその父のあからさまな平和主義が鼻について仕方がありませんでした。戦争がだめなことぐらい子供だってわかっています。

だから、私は逆に戦争に興味を持つようになりました。焼夷弾で焼け焦げた子供の写真を見て、あまりの残虐さに耐えられない。(あぁ、こんなにひどい目に会うなんて、戦争ってなんていけないんだろう)そう思うに違いない。自分が思うような戦争の悲惨さを、戦争を凶弾する気持ちを、きっとこの子も引き継ぐはずだ。父はそう目論んでいたはずです。ところが私は間違い探しのように、目を皿にして、その焼焦げた子供の写真を見ました。それが父に対する反抗というか、お前の思い通りになってたまるもんか、まぁそんな気持ちでした。

そもそも剥製師の孫です。動物だろうと、人だろうと、死んでいる姿に哀れみを持つ、と言う素地はどっちかと言えば欠け気味です。ただいつも思うのは、ああもしかするとこれは私かもしれない。焼け焦げた子供も、みすぼらしい軍服で出征していくのも、時代が違えば私なのだ。見送っている母親も、涙こらえて国旗を振っている結婚したばかりの妻も、どれも私だ。いつも、そんなふうに投影していました。だからといって死にたくない。一体どうすれば戦争を生き抜くことができるのだろう。これは子供の頃からの課題でした。

ただ、この課題はまだ解決されていません。それで、今も戦争の映画を見ては、(私だったらこんな時どうするだろう) (私だったらこの状況どうかいくぐるだろう)そんなふうに、もしかすると今もまだシミレーションしているのかもしれません 。

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