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東北イタコSS『イタコクラブ』

「蟹はね、真剣勝負なのですわ」
 東北家長女、東北イタコは並々ならぬ眼差しをちゃぶ台に注いでいた。それもそのはずだ。ちゃぶ台に乗っているのは、何を隠そう、蟹なのだ。そんじょそこらの蟹ではない。北陸は福井の越前ガニだ。ラジオの通販で購入したお得で冷凍な蟹ではあるが、東北家の財政事情では到底手の届かないはずの逸品である。イタコの月給から見れば贅沢極まりない一品だ。これだけで今月のエンゲル係数はストップ高間違いなし。なぜそんなものを手にできたかと言えば、6月24日はイタコの誕生日なのである。誕生日に奮発するのは理路整然としていて異論を差し込む余地はない。
「冬なら鍋にするところですが、やはり蟹の旨味を存分に味わうには生……このまま堪能させていただきますわ」
「のだー?」
「しっ、タコねえさまの邪魔をしてはいけません」
 隣に座るずんだもんは首を傾げているが、素人は黙って食すのがよい。蟹は人の言語能力を奪う能力が備わっているが、これは礼儀でもある。蟹の前にはひれ伏すしかないのだ。言葉を差し込むのは無粋、拝していただく神聖な儀式なのである。
「それじゃ……イタコ姉さま、お誕生日おめでとう!」
「ありがとうですわ、みんな。それじゃ、いただきますわ」
 ずん子の掛け声を皮切りに宴は始まる。
 イタコは蟹の関節近くを切り、パキリと足を折る。こうすることで身が出やすくなるのだ。とろりとはみ出した肉を、そっと口に運ぶ。
 芳醇な蟹の風味が日本海の荒波のごとくイタコを貫く。冷凍がなんだ、蟹は蟹なのだ。この味がすべてを物語っている。あぁ、なぜ蟹の足は10本しかないのだろう。4人で割ったら一人2本ちょっと。まったく物足りない。せめて14本、いや20本はあってほしい。蟹は生まれ直すべきだ。けれどこの10本に風味が濃縮されているのなら、仕方ないかもしれない。この10本を味わい尽くすのみだ。
(次は醤油をつけて、と)
 ちょいと香りづけ程度に醤油で濡らし、改めて一口。
 日本最高。ナショナリズムの極地だ。この風味を味わえる国でよかった、とイタコは自分の生まれに感謝する。毎日のように食べるずんだ餅もいいけれど、滅多に食べられないご馳走は輪をかけて美味しく感じる。生の海鮮からしかとれない栄養素がある、とイタコは確信した。お酒が飲めるようになったら、今度はどんな味になるのだろう? 20歳が待ち遠しい。
「ごちそうさまでした」「ですわ」
 4人で蟹一杯はあっという間の量で、15分と経たずに消えてしまった。やはりもう一奮発すべきだったかともイタコは思うが、身丈にはこれで丁度いい。
 周りを見渡せば、幸福そうな顔を浮かべ微睡みにひたる家族たち。
 誕生日、大人に一歩近づく日。
(いつか、大人になったら……)
 蟹の三杯くらいは食べられるだろうか。満腹にしてあげられるだろうか。イタコとして自立する日を夢想する。そこにはもっといっぱいの笑顔が溢れていた。
「デザートのずんだ餅ですよ~」
 ずん子が山盛りのずんだ餅を持ってくる。
「ちゅわ、今日は一段と盛ってますわね」
「姉さまの誕生日ですから!」
 未来もいいけれど、こんな「今」も悪くない。

<了>

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