人形美食会【オリジナル小説】

前作

古くからの知人の紹介で、お人形の概念を食べる食事会に誘われた
私はお義兄さんとおじ様(姉の旦那様とそのお父様)を連れていくことにした

私はレースのベネチアンマスクを付けて、お友達の結婚式以来のパーティドレスに身を包み、お義兄さんとおじ様の分のマスクも用意して出席した

お義兄さんは働き者で姉を献身的に支えてくれて
おじ様は、私や姉を我が子同然に大切にしてくれた、2人には恩がある

おじ様ったら、こんな時の為に仮面なんか用意してないからって、昔会社の宴会で使っていたひょっとこなんか持ってこようとしたんだから…

廃墟が並び、まばらに人が行き交う街に、空を貫くような一際立派なホテルがあった
今も懸命に経営をしているが、その昔は今よりもっと多くの顧客と従業員を持ち、旅行シーズンには多くのお客を招き、結婚式場や著名人の祝賀会も行っていたという

人々が周囲に関心を持たなくなったこの時代、こういった社交場は貴重なものである

今回の食事会は、お人形の愛好家たちが主催となり、各地の廃棄予定のお人形を取り寄せて招待客と一緒に頂こうというパーティだ

作品と言っても、政治思想や影響力のある言葉を託されない純粋無垢なお人形たちは(例外の作品もあるが)、検閲対象にならなかった
それまで政府の持ち物だった物質の変換技術は、お金持ちが買えるように売り出し始めた

その為、愛好家がこぞってお人形をコレクションしては、自分たちで概念化する技術を持ち寄り、美食として楽しむのが、残りの人生の楽しみなんだとか

広い宴会場には、約40組ほど集められた
皆々様どこにいたのやら、閑散とした街から仮面を被ってここに集まった
こんな世の中なんだから、もう身分なんか関係なく、仮面なんかしなくてもいいのに…とは思うけど、この食事会のしきたりみたいなものらしい

テーブルには既にワイングラスが置いてあった
談笑して待っていると、大勢のシェフとスタッフがお人形を両手に抱えてやってきた
このお人形たちは、全て子たちらしい

球体関節人形、赤ちゃん姿のセルロイド人形、ユニコーンのぬいぐるみ
あらゆる年代と国の人形が持ち寄られてる
シェフたちが各席の傍に立つと、ナイフを取り出して、ゆっくりとお人形の心臓めがけて切れ込みを入れる

お人形を両手に抱えて傾けると、それぞれ色が若干異なる血…もとい赤ワインがゆっくりと降りてきて、グラスで大体二人分はある量を均等に注ぐ
味はお人形によってランダムらしい
私に出されたのは赤いドレスを身にまとったアンティークドールのワインだった

「アンティークドールの血のワイン」

ディープガーネットの輝きが鮮やか、フルーティーでありながら濃厚な香り、惚れ惚れするほどに美しいワインだ

ワイングラスを片手に壇上にマイク前に立ったのは、このパーティの主催者の男性だ、赤いマスクが特徴的

「皆様、今回は人形美食会にご参加頂き誠にありがとうございます、人形美食会代表の半田澄人と申します
終戦から20年、こうして集まったのも人形たちが紡いだ縁です
政府から重圧を受けなかった純粋な人形たちの記憶を味わい、人々の生活を支えてくれた文明に感謝し、美しくも儚げな作品の最期の歴史を我々が刻みましょう

人形と、最後の人類に敬意を表して、乾杯!」

性格の合わなさそうなはっきりとした性格が出てる振る舞いと、若干、政治色の強い挨拶はあんまり気にいらなかった

私は未知のワインを口にした
ひと口で感じたのは、年季を感じる重厚感のあるアタック
背伸びした少女の甘酸っぱさの中に、芳醇で表情豊かな味わいと香りが…時代の移り変わりのように次々と押し寄せる

まるでお人形とは思えないほどの、今まで生き抜いてきたモノ特有の力強さ
このお人形には魂が宿っていたのだ
職人が血眼になってこのお人形を…大切な我が子を手塩にかけて作り上げてる時の、愛情と狂気
そして新しい持ち主の元で幼児期から大人になるまでの酸いも甘いも共有してきた
繊細な見た目のアンティークドールでありながら、その人形には波瀾万丈な人生が背景にあったのだ

お義兄さんは目を閉じてゆっくりとワインに舌鼓を打っていたが
おじさんは遠慮なくラガーを飲む時のようにゴクゴクと音を立てて飲み、そして舌を通った情報量をどう表現すればいいか分からなかったらしく「すごい味だな」と感想を述べた
もうちょっと言葉を選んでいただきたい
「親父…」と、お義兄さんか肘で小突いていた、いつまで経っても仲のいい親子である

会場の皆様は厳選されたお人形の食事を取っていたが、私たちの食事メニューは、事前にお願いしていたものがある

亡くなった姪が大切にしていたぬいぐるみを料理してもらった

席には、私たちの母と、去年持病の悪化で亡くなったおば様(姉の旦那様のお母様)と、姪と姉の写真を席を囲むように並べ立てた
そうしていると食事が運ばれてきた

「ぬいぐるみのテリーヌ」

ぬいぐるみの心の臓、柔らかな綿、カラフルなボタンとパッチワークに血を巡らせたような縫い糸…そしてぬいぐるみが持つ全ての記憶をまとめた鮮やかな模様のテリーヌが運び出された
きっちり7等分切り分けられ、家族全員分の食事が揃った

元のぬいぐるみは姉の手作りなのだ
カラフルなハギレのパッチワークが特徴的なクマのぬいぐるみ、胸と目には黒い愛らしいボタンが付いてあった
お焚き上げの代わりにみんなで食べ尽くそうと考えた
そうすれば、姉や姪の記憶を噛み締めることができるから

これは一種の供養だ
この子の実体も、概念も、全て余すことなく料理してもらう
政治が崩壊したこの国に未来はない
このまま放っておいて朽ち果てるくらいなら、私たちが記憶を食べ尽くす

私たちは早速、テリーヌを頂くことにした
ナイフの通りは良く、ひと口食べると上品なコクのある実に美味なテリーヌだった
そして、舌先から脳内に伝わるように…ぬいぐるみに込められた記憶が私たちに伝わってくる…

姉の記憶
私たちは旧東京から少し離れた田舎に生まれた
そして小学生の頃に正式に本格的な戦争が始まり、もっと都心な所は血で血を洗う交渉の為の場と化した
統治争いという賭け事のために、軍事拠点を中心に土地を分けて、意図的に土地の解体を始めたことは、私たちの国を無理やり外国へと変えたことになるわけで、遠くに住む親戚との交流が困難になった

私たちが20歳を過ぎた辺りには情報の検閲運動が始まったことにより、ますます、社会は混沌としていった

長年こんな有様だったから大人たちは常に怒ってて、田舎の街でも抗議運動が盛んだったのを覚えてる
そんな大人たちのいざこざを他所に私たちは手を取り合って生きてきた

国に不満を抱いていた父は仕事の傍ら、野蛮な思想を引っさげて日々抗議活動に出向いていた
そんな中で母は、本当は辛かっただろうに、私たちに苦労させまいと笑顔を絶やさず世話をしてくれた
お金がないから勉強ができなくて、いつか色んな世界を目にしようねと約束を交わしていた

本当に目が回る日々だった
疎開してきた人々との婚姻が流行っていた頃に、まず長女の姉が先に、3年ほどして私が結婚した
結婚は、狭い世界に閉じこもってた私たちにとって、本当に希望だった
その頃には父もどっかへ行ってしまい、母は齢52で孫の顔も見られずに天国へ行った

姉のお腹に姪の命が宿った頃に、私にぬいぐるみの作り方を聞きに来て、少しずつ作り上げてきた
玉のような我が子を抱いて、人生で一番の喜びを噛み締めている姉…

姪は笑顔の可愛い女の子、ワガママでいたずらっ子で姉やお義兄さんをよく困らせていたけど、そんなところも可愛い
姉に絵本を読んでもらってる時の様子、大好きなパパに抱っこされている時のぬくもり
ぬいぐるみとお喋りしている姿が浮かび上がった
暖かい情景に浸っていたのもつかの間

姪が4歳の頃、姉が少し目を離した隙にベランダの戸をあけて柵を乗り上げて転落死してしまった
その時の光景をぬいぐるみは見ていたのだ

誰も姉を責めなかった、だけど姉は自分のせいで我が子を死なせてしまったと自分を責め続けるようになり、酷く心を病み寝込んでしまった
それもぬいぐるみはしっかり見ていた

自宅療養を続けて、お義兄さんは懸命にケアに向き合い、ご両親もお見舞いに来た
だけど食事を食べるのが難しくなり、衰弱していって精神病棟で入院生活を送ることになった
姪の肩身である、手作りのぬいぐるみを抱いて…

心の傷が癒えることがないまま10年…条約が結ばれて世間はお祭り騒ぎの中、姉は病院内で肺炎を患って、後を追うように亡くなった
10年間、私だけじゃない、お義兄さんとおじ様とおば様も何回も面会に行った

最後に残ったのはぬいぐるみだけ

姉が我が子に向けた献身的な愛、何度も指に針を刺しながら紡いだ手作りのぬいぐるみ、それを抱きしめている姪の可愛らしい笑顔と、笑顔の姉とお義兄さんとおじ様とおば様……ごく普通の、幸せな家庭だった
そして、精神病棟で最期まで抱きしめていたぬいぐるみ
姉の最期まで、一緒にいてくれたんだね

2人が生き抜いた時間と姉の底知れぬ愛がテリーヌの味から溢れて止まらなかった
お義兄さんもおじ様も、思い出が詰まったテリーヌ心ゆくまで味わい尽くした
私たちの席はしん…と静かだった、姉と姪の人生の味わいは甘美で儚くて、胸の中に2人の人生が落ちてゆく
お義兄さんはマスクの下にハンカチを宛てがう

国が崩壊する前、枯渇してゆく人類の存亡を掛けて、お互い今生最期の祈りで空に戦闘機を飛ばしていた時代
姪は戦争の恐ろしさを知らずに生きた、姉は空を飛び交う驚異から姪を守って愛を捧げた

ゆっくり、ゆっくりと、尊い時間と記憶を噛み締めて、本当の意味で私たちは姉と姪にお別れができた

心がいっぱいになって、私たちは何も話すことができなくなっていたけれど、真っ先におじ様がボーイに尋ねた

「ところでさ、これ残った食事は、タッパー持ってきたからこれに入れることってできるかね?」

もう!おじ様ったら!

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