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スタンド・バイ・ミー(ネタバレしてます)

4人の少年がある夏の日、通過儀礼ともいえる体験をするお話。原作はスティーヴン・キングで原題名は「The Body(死体)」。原作の舞台はキングファンにはお馴染みの架空の町、メイン州キャッスル・ロックであるが、映画では「オレゴン州のとある小さな町(翻訳:キャッスル・ロックはそのまま)」となっている。
この作品はホラーではないが、キングらしさを凝縮したような中編である。キングらしさというのは私の勝手な印象だが、登場人物の誰もが何かしら暗い影を胸に抱えて生きていて、それにより惹かれ合い、共鳴することで物語が生まれるような気がする。
「スタンド・バイ・ミー」の登場人物たちにも、それぞれが抱える影がある。優等生だった兄の死で、家での居場所を失って「見えない子ども」となっているゴーディ、誰よりも利発なのに家庭の事情で進級を諦めているクリス、元軍人だった父親に憧れているが、その父親から虐待を受けているテディ、毎日不良の兄に頭を押さえつけられて、コソコソした態度が身に沁みついてしまっているバーン。

ある日バーンは、不良兄貴が友人と「死体」について話しているのを盗み聞きしてしまう。仲間に話すと、見つけに行こうということになる。「死体」はブルーベリーを摘みに森に行ったっきり、行方不明になっている少年のものらしい。これを4人で発見し、新聞に載ろうと息巻いた。少年たちの冒険が始まる。
近道であるジャンクヤードの通り抜けでは、凶暴な番犬に噛まれそうになり、沼では大量のヒルに襲われ、橋の上の線路を渡っている時に列車がやってくる。夜になり、キャンプファイヤーではボーイズトークに花が咲き、ゴーディの作った話(グロい)で盛り上がる。翌日目覚めたゴーディが出会う鹿との短いシーンは、この映画の中では清涼剤のような清々しさで美しく、印象的である。
そしていよいよ死体を見つけた4人に、最早興奮はなかった。同じ年頃の少年の死体が、森の奥で打ち捨てられたように横たわっているのを目にし、身につまされる思いもあっただろう。生きてはいても、これは自分たちと同じなのだ、ことばを発しても大人たちには届かず、将来の姿を思い描くこともない。どう生きるべきか、示してくれる存在もない。
その後不良兄貴たちのグループが現れ、死体の、というか死体発見者の権利を巡ってひと悶着があるが、意外にもゴーディが不良グループを追い払い、少年の死体を友人のように守った。

夏になると観たくなる佳作だが、この映画に出演してから僅か7年後に亡くなったリヴァー・フェニックスを思い、観るたびに胸が痛む映画でもある。とりわけ彼が演じたクリスには、奮起して弁護士になったがたまたま入った店の中で起きた客同士の諍いを仲裁し、ナイフで首を刺されて亡くなってしまうという悲運が待っていた。その新聞記事を読んだゴーディ(小説家になっている)が過去を思い出す、というのがこの映画の導入部だったのだ。

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