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嫌なことと、やりたいこと

相手を尊重するって考えた時に、一番大切なことってなんだろう。というお話。
相手の希望やしたいことを自由にさせてあげること?自分よりも優先するということ?
結論から言うと、わたしは「その人の嫌がることをしない」ということだと思う。

もしAとBという2人の人間がいて、その2人がお互いを尊重しあう関係だとする。そのときAさんがすごくやりたいと思うことが、Bさんがとても嫌なことだとしたら、やりたいと思うことをやらせてあげるよりも、嫌だと思うことを止めることが一番先に大事、と考える。
もちろん物事は白黒だけではなく、グレーな選択肢もあるわけだから、妥協点を見つけると言う方法もあるだろうけれど。

「嫌なことを我慢する」と「やりたいことを我慢する」は同じ「我慢」という言葉でも実は種類が全く違う。
嫌なことを我慢するストレスは、やりたいことを我慢するストレスとは違って、その人がその人であることを否定するような種類のストレス。やりたいことはいくつかの方法が検討できても、嫌なことは我慢ができなければその関係から逃げるしかなくなるのだから、尊重しあう関係なのであれば、優先すべきは「相手の嫌がること」をしない。ことなのだ。

と、ここまで読んで、なんだそんなたり前なこと?って思うだろうか。

でもじゃあ、自分に置き換えてみた時に
「それは嫌だ」と主張するのと「それをやりたい」と主張するとしたら、どっちがワガママだと思う?
会社では、上司からの指示が嫌なことであっても「嫌です」って言ってしまえば反感を買うでしょう。「ワガママ言うんじゃないよ」って言われるかもしれない。だから、それをやらないほうがいい理由を並べて、人の言葉にしてみたりして、反感を回避する方法を探るでしょうか。
かたや「それをやりたい」ということはポジティブに取られることが多く、評価が高くなることもあるでしょう。ワガママどころか、積極的と言われるかもしれない。
意外に「嫌だ」というのは自分の口から発するとすると、躊躇してしまうのではないか。
特にお金をもらって働くという現場においての「ワガママ」は、どちらかというと「嫌だ」と主張することの方に重きをおかれやすい。だからきっと、勘違いされやすいんだな。「嫌だ」と言うことが、その人のワガママだと。
仕事は、お金をもらうために自分で選んでそこにいる。
嫌なら辞めてそこから逃げることもできるし、自分で選択することができる。だからそれでいいのだ。

仕事を抜けて人と対峙する時は、
自分が嫌なことを「嫌だ」と言うことは、決してワガママなことなんかじゃない。
利害関係ではなく尊重しあう人間関係においては、嫌なことを我慢したり我慢させたりする関係は成り立たないし、「嫌だ」という気持ちを誰かの言葉に変換したり、常識に照らし合わせて正当性を主張するよりも、単刀直入に「それは嫌だ」と言うべきなのだ。それを受け入れてもらえないならば、そもそも関係は成り立っていないのだから。
さらに、自分が嫌だと思うことを人づてに言わせ(聞かせ)たり、別の言葉に置き換えて言うことは、そもそも尊重し合う関係を放棄しているようにすら感じられる。嫌なことはちゃんと、自分の口で相手に伝えなくてはいけないこと。

仕事においては、お金をもらっているという側面から常識的な振る舞いを求められることも多い。
けれど、それがすべてなわけじゃない。
人はそれぞれで、一般的でなくても、自分が嫌なことは嫌でかまわない。

そのへんちゃんと理解しながら、真を見失わないように生きていきたいものです。

★2019年12月26日の記事再掲載です

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