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やっと生活の自由が戻ってきたところだけど、息子と帰国しようと思っている。

マレーシアは5月末から数日前まで強力なロックダウンが続いていたが、
先週からワクチン接種済の人のみを対象にした規制緩和が始まっている。

公共の場に出ることを禁じられていた子供たちの姿が街に戻り、
テラス席で食事をしている人も見かけるようになった。
(店員もワクチン接種が必要なため、今もデリバリー・持ち帰りのみの営業という店も多い)

先日は久しぶりに息子と公園を散歩して、ショッピングモールのジュース屋さんでジュースを飲んだ。これだけなのに、やっと戻ってきた自由に涙腺が緩んでしまう程度には、ひたすら行動が制限される日々を過ごしてきた。

さて、今日は久々に、ここ数か月の葛藤と決断、そしてこれからについて書き残しておきたいと思う。

せっかくの海外にいるのになにもできず、悶々とする日々

ロックダウン開始当初は乳しか飲んでいなかった息子は、今では自分でご飯をもりもり食べて元気に歩き回っているし、おしゃべりもしている。

一方、ものすごい勢いで成長している息子を見守っていたわたしはというと、ずっと目先の育児家事タスクに追われながらも、日々悶々としていた。「せっかくの海外生活、何かを得て帰国したい」と意気込んでいたものの、あらゆるビジネススクールや取得可能な資格について情報収集を進めるたびに、「日中の自宅保育」がネックとなり断念せざるを得なかったからである。(マレーシアはロックダウンでナーサリーの利用ができない状態が続いていたし、営業再開したところでマレーシアの感染状況を見る限り預ける判断は難しかった)

帰る時期を自分で決めることにした

この状況から脱してとにかく一歩を踏み出したい...と思い続けた結果、一つの結論にたどり着いた。それは「夫に先んじて息子と帰国して、社会復帰を目指して活動し始める」ことだった。

まず、夫と不仲、とかでは決してない。むしろ外国であらゆる苦難を共に乗り超え、絆は深まったと思っている。それでも夫と離れて暮らすことを決意した理由は一言では語り尽くせないが、「息子が物心つききる前に、母としてわたしらしい状態でありたい」と思ったからだ。

そもそもマレーシアに来ることは、選択の余地がある中で自分が決めたことだった。しかし、気づけば「帯同であること」を言い訳に、多くのやりたいことをあきらめていた。育児家事にフルコミットすることで日々の過ごし方としてはそれなりに忙しく充実する一方、いままで積み上げてきた自分の中身が空洞化していく感覚があった。「夫が忙しい分、わたしが家事育児をやらなきゃいけない」「息子が預けられないから集中して勉強する時間が取れない」「夫の会社の命令でいつ帰れるかわからない」。。気づけば他責の典型例みたいになっていた。

そこで、こんな自分から脱却するためにも「自分でマレーシアに行くことを決めたわけだし、帰る時期も自分で決めてしまおう」と思ったのである。

一昨年の夏、ドタバタとマレーシアに渡ってから、今に至るまで毎日家族一緒に過ごしてきた。今まで家事はほぼ100%わたしがしてきたこともあり、夫には、生活面において相当な負担をかけてしまうことになる。それでも、何度も何度も話し合った結果、最終的にはわたしの意思を尊重し、先行帰国に応じてくれた。

この決断、吉と出るか凶と出るか・・・

帰国予定まであと数か月猶予があるから、それまでは今まで通り家族での生活をぎりぎりまで、粛々と続けていこうと思っている。

帰国後は、母が一人で住んでいる実家に居候することになる。期間は夫の任期次第だから、未定。母は土日含めフルタイムワーカーなので、育児・家事ともに助けてもらえるわけではない。

「結局マレーシアにいて何を得たのか?」「ロックダウンでほとんどろくに行動できなかったのにこのまま帰っていいのか?」「夫と子供を引き離してまでしたいことなのか?」「日本の感染状況もなかなか深刻では?」など悩みは尽きないが、結局マレーシアにいても、わたしはなにもできないし、それが3カ月、半年と長くいたところで、きっと変わらない。

こんな中でわざわざ帰国して、帰ってよかったと思うか、後悔するか。まあどっちも思うことになるだろう。何であれ、少しでも人生を前に進めていくために、これからしばらく模索の日々が続く。たまにここに記録を残すことで、同じような葛藤を抱える人たちの参考になったらなと思う。

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