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エピローグ

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 今年の春は、寒暖差も少なく過ごしやすい気温が続いていた。
 高知は三月の下旬に桜が満開になった。
 全国ニュースでも高知城や五台山の桜が特集で紹介され、休日はお花見を楽しむ人々でどこも賑わいを見せていた。


 土曜日。
 この日は朝から、体育館で男子バスケ部の練習試合が行われていた。
 ピーッと、試合終了のホイッスルが鳴り響く。相手チームと整列をして礼を交わした後、ベンチに戻る光一の真横に同級生の松下が並んだ。

「光一、さっきのナイスシュートだったぜ!」

「ああ」

 爽快な笑顔を浮かべる松下と、軽くハイタッチを交わした。

「光一せんぱーい!」

 ベンチに戻った光一が応援席の方を見上げると、女子バスケ部の仲がいい四人組が、きゃあきゃあ騒ぎながら手を振ってくる。光一はそれに笑顔で手を振り返した。

「相変わらずモテモテですなぁ、我が部の主将は」

 お調子者の松下は、肩にかけたタオルで汗を拭きながら、にやにやした顔を寄せて来る。

「まぁ、主将の特権かもな」

「いーや。お前は一年の時から女子にモテてたぞ。何人かから告白だってされたことあるだろ?」

「あー、あったかなぁ」

 光一は水分補給をしながら、曖昧に答えた。
 松下相手にこの手の話は面倒臭くなるため早々に切り上げたかった。松下は二年の冬頃から、早く彼女が欲しい、三年では絶対に彼女をつくる!と、とにかくうるさいのだ。

「なのにお前、一回も彼女つくらなかったよなぁ。高校最後だぜ、今年は彼女つくれよ」

「部活がさらに忙しくなるからなぁ。そんな余裕はない」

「あーっ、余裕すぎて腹立つ!じゃあ俺に紹介してくれよ。年上の女性!」

「そんな知り合い、いるわけないだろ」

「またまたぁ。去年のこと忘れたとは言わせねーぜ。学校に、お前目当てで年上の女性が正門で待ち伏せしてたんだろ。俺は顔見てないけど、ギャルみたいな女性だったって女子が騒いでたぜ。光一君は派手な見た目の女性が好みなんだって噂になっただろ」

 その年上の女性とは、竹内穂乃香のことだ。

 あの火事があった出来事から数週間後。学校の正門で光一を待ち伏せしていた穂乃香は、一向に現れない光一に痺れを切らして、通りかかったクラスの男子を捕まえると「叶光一って名前の男子を呼んで来て!」と迫った。バスケ部の部室で着替えをしていた光一を呼びに来た男子から穂乃香のことを聞いた光一は驚いて、急いで制服に着替え直して正門に向かった。

 穂乃香は掴みかかるような勢いで、光一に「何があったのか全部話して!」と迫ってきた。場所を穂乃香の車の中に移した後、光一は穂乃香に話をした。穂乃香はずっと黙って聞いていたが、最後には涙を流していた。自分の時もそうだったが、穂乃香にも全てを受け入れる為の時間が必要だった。


「なぁ、相手何歳?どういう関係か教えろよ」

「今年で二十八だな。ただの知り合いだ」

「二十八って、結構年上だな。でもいい!俺の許容範囲だ!なぁ頼む、今度紹介してくれ!」

 「つか写メねぇの?」と、興奮する松下を、光一は適当に「ハイハイ後でな」と軽くあしらった。
 紹介しても、絶対に相手にされないだろうなぁと、穂乃香の好みとは真逆になる松下に苦笑いした。


 修斗と翔が入部している映画部は、去年の映画甲子園で優秀賞に選ばれた。
 二人は後一歩だったと悔しがり、今年は最優秀賞を勝ち取ると意気込んでいる。


 そして柚瑠は、地元の大学に入学した。
 あの火事の後、目を覚まして困惑している柚瑠に、光一は何も言えなかった。だが、柚瑠は全てを知っているかのようにすぐ冷静さを取り戻し、そのまま二人で駅に向かって歩いた。柚瑠は光一に、「母親とケンちゃんは、二人一緒に成仏したよ」と伝えた。そしてその後急に、声を上げて泣き出した。
 終電もない時間帯。お互いの親に連絡をして迎えの車を待ちながら、バス停のベンチに座ってずっと泣き続ける柚瑠のそばに、光一は無言で寄り添った。

 去年の秋頃。
 お互いに気持ちの整理がついた二人は、一度だけ一緒に廃墟のマンションに足を運んだ。
 森に燃え移った火は最小限に抑えられたが、マンションは全焼してしまった。
 テレビのニュースで、跡形もなくなったマンションを見た。そのマンションで、梓沙の遺体が見つかった報道はされなかった。

 ……梓沙は、いまだに行方不明になっている。


 廃墟のマンションがあった焼け跡は、まだ黒く焦げた場所を残していた。だが時間が経てば、そこから新しい草木が生えて、森の一部となるだろう。
 目の前の何もない空間を、柚瑠はじっと見つめている。肩まで伸びた彼女の黒髪を、秋の匂いを運ぶ風がふわりと揺らした。

「ちゃんと聞こえてたよ。須藤君が最後に、私に言ってくれた言葉…」

 光一の隣で、柚瑠は目を閉じて静かに口を開いた。口の端に微笑みを浮かべる。

「…いつかきっと、会えるよね。私、ずっと待ってるから…」


 梓沙と母親が住んでいたマンションは、梓沙の父親が退去を行った。
 その最終日に、偶然マンションを訪れていた光一は父親と鉢合わせをした。梓沙の友達であることを伝えると、父親は、どこかやつれた顔に穏和な笑みを浮かべた。

 二人は公園のベンチに座り、目の前でサッカーをして遊ぶ男の子たちを眺めながら話をした。父親は、新しい学校での梓沙の様子を光一に聞いた。
 光一は、教室で初めて梓沙を見た時のことを思い出した。クールな奴だな、というのが第一印象だったのを覚えている。
 そこからは、席が前後なのを利用して梓沙に話しかけるようになった。自分のくだらない話をすべて、ふうん、と生返事する梓沙。聞いていないのは分かっていたが、梓沙が相槌を打つ度に揺れる綺麗な髪を眺めるのが好きだった。
 それは、梓沙と過ごした短すぎる月日の中の、大切な思い出になっている。

 父親は、梓沙の幼少期の頃の話を聞かせてくれた。父親が中高とサッカー部だった影響を受けて、梓沙もサッカーがとても好きだった。休日はいつも公園で一緒にサッカーの練習をした。離婚した後も、梓沙とは何度も顔を合わせていた。いつの間にか梓沙はサッカーの話をすることがなくなり、中高ともにサッカー部に入部することもなかった。父親は、幼かった梓沙と一緒にサッカーをしていた時間が何よりも大切な思い出になっていると、微笑みを浮かべて口にした。

 その時、二人が座るベンチに向かって、サッカーボールが転がって来た。
 走って来た男の子に向かって、父親が軽く蹴り返す。足でボールを止めた男の子は、ありがとう、とニコッと笑ってお礼を言った後、急いで友達の元へ戻って行った。

 その姿をしばらく眺めていた父親は、ゆっくりと振り返って光一を見つめると、感謝するように「息子の友達になってくれて、ありがとう」と口にした。
 今夜の飛行機で東京に戻るといい、マンションの駐車場に駐めていたレンタカーに乗り込んで、父親はこの地を去って行った。





 練習試合後のミーティングを終え、シャワーを浴びて制服に着替えた光一は、一人で学校の外に出た。
 日没が近い中、駅とは違う方向に向かって歩き出す。

 やがてたどり着いた、焼け跡の地。
 存在しない廃墟のマンションを思い浮かべながら、一人でここに来ては、姿が見えない梓沙を捜すように辺りを見回す。

「………」

 柚瑠がここで、口にした言葉を思い出す。

 いつかきっと、会える。

 そうだな…

 俺も待つよ。

 お前を、ずっと待ってるから。


 風に吹かれて、どこからか桜の花びらが舞い落ちてきた。周辺に、桜の木は見当たらない。

「–––……」

 光一は目を閉じて、口元に笑みを浮かべた。そして焼け跡に背を向けて、歩き出した。


(了)

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