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エピローグ



「そういえば、深ヶふかが集落ってとこで山火事があったこと、水野君知ってる?」

 大学内にある食堂の一角で昼食をとっていた颯太は、食べる手をぴたっと思わず止めた。
 ちらっと視線を前に向ける。正面の席に座ってがっつりカレーを食べている女性は、オカルト研究会の部長、香山夏海だ。
 ひとりで食堂に来て食事をしていた颯太に「あ、水野君だ。一緒に食べてもいい?」と夏海が気さくに声をかけてきたのだ。

「えぇ、まぁはい。ネットニュースにもなってましたね」

 颯太はぎこちない口調で答えた。

「そうそう。そこの集落ね、私のおばあちゃんの生まれ故郷なの。おばあちゃん、ニュースを見てそりゃもうビックリしてたよ。燃えた山の中で遺体も発見されたんだってね。男性が火を放って焼身自殺したって。怖いよね〜」

「そ、そうですね…」

 食事の席では遠慮するような話題を平気な顔して話しながら、夏海はカレーを口に運んでいる。颯太は苦笑いを浮かべたまま、手元の素うどんに視線を落とした。
 山火事……あの現場に居た身としては、その話題には極力触れたくはない。

 あの出来事から数週間が過ぎた。
 ようやく颯太も平穏な大学生活に戻ってきた訳だが、正直言って食欲だけはまだ本調子ではない。
 あの光景……バケモノが佐久本の体をぐちゃぐちゃにするあの光景がまだ忘れられない。こうして食堂を利用しても、あっさりした味の食べやすい素うどんばかり選んでしまっている。

「あ、そうだ。今ね、メンバーたちと『マーブル模様の呪い』を解明する活動を続けてるんだけど、良かったら水野君も参加してみない?」

「えっ?」

 赤いフレームの眼鏡の位置を指先で直しながら、夏海がニッコリと笑う。いや何故俺を誘うんだ……?と思いながら、颯太は内心で焦った。

「いや〜俺は、遠慮しておきます。そもそもメンバーじゃないですし」

「それは別に気にしなくていいよ。まぁメンバーになってくれたら万々歳だけど」

「ははは…」

 目の前でニコニコ笑っている夏海に対して、ぎこちない笑い方しかできない。その時、テーブルの上に伏せて置いていたスマートフォンが受信音を鳴らした。
 夏海がいるが気にせず手にとってアプリを開く。歌留多とのトーク画面に『今から病院の面会行ってくる』とメッセージが届いていた。面会の相手は榛名だろう。

 あの騒ぎの後–––。
 竹子は、榛名とは別の病院へ搬送された。大事をとって入院した翌日には、警察への事情聴取にも難なく対応していたようだが、急に病状が悪化した二日後には意識不明となり、そのまま目を覚ますことなく亡くなってしまったそうだ。
 竹林の広範囲を焼いた山火事と、従業員の自殺に次いで、社長の病死。時期後継者もおらず、阿墨竹工株式会社は廃業になるという。

(これでもう…すべてが終わったんだよな)

 そう思いながら、颯太は素早く『了解です』というセリフがついた犬のスタンプを送った。すると前方から「いやマジな話、サークル入らない?」と結構ガチ目に勧誘されそうになったため、急いで素うどんを片付けた颯太はその場から逃げた。


 

 歌留多は肩に提げたトートバッグの内ポケットにスマートフォンを仕舞いながら、ひとりで病院の廊下を歩いていた。
 目的地の病室のドアを軽くノックして、少し待ってから中に入って行く。個室のベッドの上に、榛名が仰向けの状態で横になっていた。その顔は奥にある窓の方を向いていて、歌留多が入って来ても振り向かない。

「榛名さん、こんにちは」

 明るく声をかけると、ようやく歌留多の方に顔が向いた。眼鏡をかけていない榛名は、ぼんやりとした表情で歌留多を見る。

「足、骨折じゃなかったんだってね。あ、でもヒビも骨折と同じ扱いになるのか」

「……」

 榛名は黙っている。歌留多はベッドのそばにあった椅子に座り、いつも通りの調子で話しかけた。

「言うの遅くなっちゃったけど、あの時庇ってくれて、ありがとうございました。榛名さんのおかげで、こっちは頬の擦り傷だけで済んだよ」

 歌留多は無意識に指先で自身の頬に触れた。そこにできた引っ掻き傷は絆創膏で隠されている。もう少ししたら外せそうだ。
 目の前で気だるそうな雰囲気を纏っている榛名は、無言のまま目を逸らして天井を見つめた。すっかり気の抜けた彼を見るのは初めてで、歌留多は自分でも何故かわからずドキドキする心臓に戸惑う。

「顔に傷が残ったら、お嫁にもらってくれる?なんちゃって」

 へらっとした笑顔で言った冗談にも、榛名は何も返してくれなかった。
 天井を見ていた顔が再び窓側を向いてしまったため、歌留多は寂しそうに肩から力を抜く。その時ふと思い出して、床に置いていたトートバッグに手を伸ばした。

「あのね、榛名さんにこれを…」

「なぜ助けた」

「…え?」

 顔を上げた歌留多の方を見ずに、榛名が力なく言う。

「君が余計なことをしなければ……私は、あの場で死ぬことができたのに」

「…、……」

 ずきっと胸が痛んだ。
 榛名さんは、ほんとうに死にたかったのだろうか。もしそうなら、自分は余計なことをしてしまった。
 けど…
 それでも…
 歌留多は泣きたくなるのをぐっと堪えて、素直な気持ちを口にする。

「榛名さんが死んだら嫌だって思ったからだよ。こう見えて私、榛名さんのこと嫌いじゃないからね」

「……」

 榛名がゆっくりと首を動かしてこちらを見た。先ほどと表情に変化がないため、榛名が今何を思っているかは分からない。

「私ね、これから榛名さんのことをもっと知りたいと思ってるの。それが理由じゃダメかな?」

「–––……」

 歌留多はふわりと微笑んで言った。
 歌留多の言葉に榛名は何か言おうと口を開いたが、結局何も言わず、代わりに重いため息が吐き出された。嫌そうというより、呆れたような反応だ。歌留多は少しホッとする。

「あ、そうそう。榛名さんに渡したい物があるんだよね」

 歌留多は言いながらトートバッグに再び手を伸ばし、中から古く傷んだノートを取り出す。逃げる際に車の中まで持って来てしまっていた正の日記だ。

「離れで見つけた祖父の日記だよ。ここに、呪いのこと含めていろいろ書いてあったの。これは榛名さんが持っていた方がいいと思うから、受け取って」

 言いながら日記を差し出すと、榛名が驚いたように目を見開いた。無言で手を伸ばして日記を受け取り、その表紙に書かれた『阿墨正』の名前をじっと見つめる。

「祖父は、皆んなのことを守ってくれたんだよ。きっと祖父だって、榛名さんには生きていてほしいと思ってるよ」

「……」

 歌留多の言葉を聞いた榛名は日記を見つめたまま静かに目を閉じると、何も言わない代わりに、その横顔に微かな微笑みを浮かべた。



 


 一日、一週間、一ヶ月–––。
 あの出来事から、あっという間に日々が過ぎ去っていく。



 大晦日の昼過ぎ。ピンポーン、とチャイムが鳴った。
 出口が玄関を開けると、膨らんだエコバッグを掲げて笑った颯太と歌留多が「お邪魔しまーす」と声を揃えて勝手に上がり込む。
 いやこの光景前にもあったような……あぁ、クリスマスイブか。あの時はケーキとチキンの箱を持って来て、勝手にクリスマスパーティーをされたな。

「どうせ春さんは一人寂しく年越しをするんだろうと思ったから、来ちゃいました」

「三人で年越しカウントダウンして、初詣に行こー!」

「いや待て。まさかお前ら、泊まっていくつもりじゃないだろな」

 二人は揃って「え?そうだよ」とキョトンとした顔を見せて言った。出口は深くため息をつく。完全にナメられてる…いや、甘えられてるな。

「お酒のつまみになりそうな物買ってきました。あと年越しそばの材料です」

「私はお菓子と〜、愛媛みかん持ってきたよ!出口さんみかん好き?」

 早くも客間に移動してエコバッグの中身をテーブルに出す若者二人に、出口はもう諦めて好きなようにさせた。
 年越しそばは夕飯として食べることにして、三人はテーブルを囲んでお菓子をつまみながら談笑する。

「そうそう聞いてよ!榛名さんね、今度は既読無視するんだよ。未読をやめろってしつこく言ったら、次は既読無視ってコレどう思う!?」

 ひどくない!?と怒る歌留多に、出口はみかんの皮をむきながら、またかよ…と口にはせずに呆れ返る。
 歌留多は何度か榛名の病室まで足を運んで、その際に連絡手段をゲットしていた。だが、先ほどの言葉通りに榛名からはまったく相手にされていないようだ。

「来年には榛名さん、仕事で京都に引っ越しちゃうしさぁ。そうなったら簡単には会えなくなるし、てか向こうは私のことなんて綺麗さっぱり忘れちゃうだろうね!」

 う〜と唸りながら、テーブルに突っ伏す歌留多。おかしいな酒は飲んでないはずなんだが。

「歌留多、あんまりしつこくしすぎると榛名さんも嫌になって距離を置くと思うよ。これはどうかな。『押してダメなら引いてみろ』作戦」

「え〜、うまくいくかなぁ」

 出口はみかんを口に入れながら、歌留多の隣に座っている颯太を見る。颯太はやれやれと困った顔で笑っていた。
 出口が気づいているのだ。颯太はもうとっくに気づいているだろう。歌留多が榛名に好意という名の恋愛感情を持っていることに。歌留多本人がその気持ちに気づいているのかは不明だが。

 出口はつけっぱなしのテレビに視線を向けて、一人で榛名を見舞いに行った日のことをぼんやりと思い出す。その時にそれとなく歌留多のことをどう思っているのか聞いてみたが、榛名は眉間に皺を寄せて悩ましげな表情を見せ「まともに相手する方が疲れます」と言っていた。歌留多の猛アピールにお疲れな様子の榛名には、出口も同情したものだ。

「そういえば。春さんも来年から新しい会社で働くんですよね」

 颯太が話題を変えて出口に話を振った。出口はテレビを観るのをやめて「あぁ」とうなずく。
 前の会社の同僚から紹介してもらった会社に面接をして、無事に再就職が決まったのだ。来年の春から社会復帰。無職生活も残りわずかだ。
 
「忙しくなりますね。煙草はほどほどにして、健康管理もしっかりして下さいよ」

「俺が不健康だって言いたいのか?」

「はい」

 颯太はうなずいて、わざとらしくニッコリ笑う。こんな会話を前にもした覚えがある。すると歌留多が上体を起こして声を上げた。

「もうこうなったら、このストレスを初売りで発散しよ!出口さんも付き合ってよ」

「おい、新年早々無駄遣いすんなよ」

 再びテーブルに頬をくっつけた歌留多が、ジト…と恨めしげに出口を見た。出口はふいっと目を逸らす。

「さてと。そろそろ年越しそばの準備をしようかな」

 そう言って立ち上がった颯太が客間から出て行った。あ、逃げたな。

「俺も一服してくるか」

「あっ、逃げた」

 煙草とライターを持って急いで客間から出て行く出口に、一人残された歌留多が「二人とも冷たい!」と不満をたれていた。


 出口は後ろ手で襖を閉じて短い廊下に出ると、窓の向こうに広がる夕日に染まり始めた冬空をぼんやり眺めながら煙草に火をつけた。
 カラカラと窓を少し開ける。氷のように冷たい冬の風が流れ込んできた。今年が早くも終わろうとしている雰囲気の中、ふと考える。


『マーブル模様の呪い』という、一つの呪いがこの世から消えた。

 しかし人が作り出した凶々しい“呪い”は、まだこの世にたくさん存在する。
 今もどこかで、誰かが誰かを呪い殺しているかもしれない。
 その“呪い”によって、自身が殺されることを知らずに。
 人を呪い殺す方法なんて知らない方がいい。
 知りたくもないし、もう関わりたくもない。
 来年は平穏な暮らしをして、はやくこの街に馴染みたいものだ。


「…初詣は、あいつらと一緒におみくじでも引きに行くか」

 らしくないことを思いながら、出口は笑みを浮かべて煙を吐いた。


【了】
 

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