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みんなが当たり前に出来ることができないの。

生きていると、どうにもつきまとうせりふがある。

言葉は不思議で、人を救い導くような癒し、赦しの力のある言葉もあれば、人を縛る。呪いや毒のようにゆっくりその後の人生を蝕む呪文のような言葉もある。多聞に洩れず、私もそんな言葉を両親からもらっていた。

世の中には、2種類の人間がいる。と思っている。(すべての人間がその種類に分類されるわけではないのだろうけど。) 少なくとも、その、2種はいる

要は、

「親から与えられた(も)ので、どこか遠くへ羽ばたけるひと。」と、「親からもらえなかったから(こそ)、どこまでも遠くへ、行こうとするひと」

そんな事言ってたらとても狭量というか、ものすごく恩知らずな気がする。この、憧れとコンプレックスの入り雑じった私なりの理解を、「誤解」じゃなく伝えられるといいな。だってほら。こんな私ですら、親がどれだけ私に手間や隙、お金。苦労や心配をかけてきてくれたのかは知ってる。そして、前者の人だって親の恩恵だけを受けているわけでは決してなくて、知られざる苦悩だってあるのは知ってるのに。こんなこと言ってたら、とっても卑怯で、勝手だ。

正直に言っても親のことは大好き。感謝も凄くしてて。して今も普通の親子並み以上にきっと、仲はいい。

でも。例えばこどもの頃って、親がじぶんの世界のすべて。(現在みたいに、インターネットで世界中とすぐに。なんて繋がれる程ひらけてなかったから) 親が「みせてくれる」「連れてってくれる」そういう、親の与えられる生活圏内が、じぶんのいけるすべて。というか。

こどもの頃は、その制限にはむかって、えらくはがゆかったのを覚えてる。

昔から、なんだか浮くというか。自覚もなく夢見がちというか。お嫁さん、とか。お母さんとか。大人になったらなりたいものリストに「魔法使い」が選択肢として、並列に成立するような子どもだった。笑笑

でも人は笑うけど、本当に不思議なほどに。信じた時の、あの届きそうな気がする、あの「無敵」な気持ちを。私は今でも、未だに信じていてはいる。私はちびで、痩せっぽちで、足も速くなければ、取り立てて目を惹く顔立ちなわけでもない。どこにでもいるガキだったけど、私の友達はすごかった。学校に遅刻しそうなときは、みんなで手を繋いで「パータッチ!」って走った。(年代がわかる。笑)全体のスピードは、一人で走る時より遅くなったのかもしれないけど。足の速い友達に引っ張られて、世界がぐん、とスピードを増して流れ出す。あの景色を。滾る感覚を、漲る確信を。わたしは「魔法」と呼んで、信じた。

キラキラ反射して光る水面を「光の道だ!」って歓んだことも。雨上がりの朝、ガードレールに張った雲の巣に、雨の雫がまるでネックレスみたいに輝いていたこと。山で出会った頭が三角の蛇と目が合って(もしくはトカゲ)ヤツはもしかしたら古の、恐竜やドラゴンの子孫かもしれない!姉妹みたいに育った幼なじみと一緒に私は毎日、奇跡という名の『魔法』を説いた。

まだ大人じゃないけど。それでも大きくなる度に、日に日に「わからない」ことが増えた。○○ちゃんと、話さないほうがいいよ。にじり寄って、そう告げてくる子の気持ちが、どうにもわからなかった。私には、その子を嫌う理由も、嫌なことも何もされてない。それでも、何故私が誰と話すかを誰が決めるの?なんだかよくわからなくて、そういう時、わたしは訝しげで。でも「わかりたい」ことなわけでもない気がしたから、いっそわからないふりをした。

ある日。「学校に、行きたくない。」と告げた私に、母は言った。「どうしてあなたは、他の子が当たり前に出来ることが、出来ないの!」

「…どうして、出来ないんだ、ろう。ね」って、ってわたしも泣いた。

だって、敷かれたレールじゃなく。わたしは、わたしだけの、道を。好きに切り開いて、生きていくんだ。そう無謀にも踏み出した荒野は、本当に道が無かった。笑 当たり前に、運んでくれる。次の、到達点が、ある。あの、皆が通る、乗る、整備された、あの線路を走る「電車」は。とても、楽で。何をするでなくとも、自分をつぎなる目的地へ運んでくれていたのだ、と。その有難みと心細さに。降りてみて、初めて。何回も見送る列車を眺めて、身に沁みるほどに。そして遅れてしまった分、もう私は「普通」には戻れないのだ、と。その投げ出された孤独を知った。

わたしはずっと、「自分」が申し訳なかった。元々、産まれ持った性分かもしれない。笑 小さな頃から、人と寝るのが苦手だった。寝る、ってひとが一番解放されて、自由になる時だ。その時に、自分が、いる。から。一緒に寝る人が、動きづらい、寝づらい。何か不自由を感じるのが申し訳なくて。いつも母が目を覚ます度に、布団の端っこギリギリに、体をはみだして寝る私を見て、泣きそうな気持ちで、真ん中に抱き寄せていたらしい。笑 それでも目を覚ます度に私は端っこに逃げ出していて。イタチゴッコみたいに、毎日格闘していたと笑う。笑 でも、母は五人兄弟の末っ子で、むしろ人と触れあって寝るのを好んだ。何故かはわからないけど、私の太ももの間に手を入れて寝るのを、好んだ。(そして、幼馴染の親友とお泊りした時もその子も私のふとももに手を入れたがって、私は不思議ながらも受け入れたのを覚えてる)

きっと今も癖みたいに。同じ事をしようとしてるんだろうなぁ。でも、誰に頼まれたわけでもなく出来ていることって、きっとその人の持って産まれた本分な気もする。でも。こうやってまた自らはみ出そうとする私を見たら母は泣くんだろうなぁ。。。そう思うと、ものすごい親不孝をしている気分になる。幼き私を抱きしめてくれた母を、抱きしめてあげたい。そんな気持ちにもなる。

母は、私の知り得る限り、この世で一番優しいひとだ。そしてそんな彼女を狂わせる程に。苦しめたのは、まぎれもなく、じぶんだ。 

普通の家庭の、普通の、家族。その中で、どうして私だけが、普通に機能しないんだろう。わたしさえ、いなければ。私が、消えれば。この、みんなの悩みも苦しみも、消える。のに、私は私の為に、学校に行く事も出来ない。この人を楽に、させてあげる事も、出来ない。

「誰かの為に頑張るのって、しんどい、よね」日々荒れ果ててく家庭の中で、毎日それでも仕事に行く父に、ぽつりと言った。「誰の為でも。自分の為でも。頑張るってことは、しんどいもんだよ。」父は、言った。

どうしようもなく、涙が溢れた。大好きな、太陽みたいな、明るい母が。自分のせいで、苦しんでる。抱え切れなくて、持て余して、日々、狂ってく。壊れてく。私さえ、いなければ。この家に生まれなければ。みんな、ふつうに。普通に、幸せに。笑って過ごせたはずなのに。

「紗々は『繊細』じゃなくて、『満載』だね。桁がいっこ、私達より、多い。」母はそう言って、笑った。別に上手いこと、いっとりゃせん、よ。。当時の私は、冷静にそんなことを思っていたけれど。今振り返ってみると、中々言い得て、妙。だ。

苦しかった。ごめんなさい。ごめんなさい。・・・神様。私は、どうして、生まれてきたんだろう。誰か、を。好きな、人を。まるで、苦しめること。しか、できないみたいだ…

このまま死ねたら、いいのかな。震える耳鳴りとぼやけた視界の中でピエロみたいに笑った母の手を、無我夢中で振り払った。「私は、そんなこと、頼んでない!」飛び出した母の運転する、暴走する車のエンジン音が、泣き叫んでるみたいに聞こえた。自分の部屋に駆け込んで、ひざをついて泣いた。遠ざかる車の音の先で、どうか悲しい結末。事故なんかなりませんように。浮かんでしまった画をかき消すように、泣きながら意識のどこかで、想う。勝手なくせに。自分のせいで苦しむあの人を、自分勝手に、己の為に、つきはなすことしか出来ない。今だって、自分の為に泣いている。 ね。ほら。神様。わたしはどこまでも、身勝手だ。

「愛」ってなんだろう。愛する、ってなに。愛される、って、なんだろう。わからなくなって、「お父さんは、私のことなんて愛してないんだ!」そう気持ちをぶつけたことも、あった。「愛とかそんなものは、軽々しく、口にするもんじゃ、ないんだ!」父は、戸惑いと、狼狽というか。ひどく、憤慨していた。あぁ男の人は、感情を露わにさせられることが、怖いのだなぁ。生き物としての、違いを、知った。それでも、自分が目にしてしまった、受け止め切れなかった母の弱さを打ち明けると「誰だって、辛かったり思いつめられたら、そんなことも、ある」父は、淡々と言った。あ、ショックじゃないんだな。この人は、揺るがないくらい。母のこと信頼してるんだな。そんなことも、学んでいた。

同じ質問を投げかけた時、母は凄くショックそうに、答えた。「…あなた。だって…そんな。あなたを一番、心配してるし。手間も、暇も。時間も一番あなたに掛けてる、じゃない。」

今なら、わかる。それは、そのすべての、行動も感情も紛れもなく『愛』で。揺ぎなく想う。親からの掛け値無い、無償の愛だ。でも。当時の私は、なんだか悔しくて、悲しかった。だって、「愛」って。そんなもの?

手間とか。心配とか。あなたの為に、私はどれだけ、苦労したのか、って。そんなことじゃ、なくて。

「あなたがいてくれて、うれしい。」とか

「あなたがいてくれるから、幸せ。」

そんな、ことじゃ、ないの? もっと単純な。あたたかくてうれしいもの。わたしにとって、愛って、そうだよ。

そう、思って、泣けて。 悔しかった。

ねぇ。神様。世の中に、ただ一人でいいから。「わたしがいて、うれしい」って。

「わたしがいてくれるから、しあわせ。」だって。

そんな風に言って、想ってくれるひとは、いますか?

わたしは、そんなひとに、出会いたい。よ。その人の為に生きてゆきたい。そうやって、何度も。何度も。本当に、何度も。夜空に、願って、きた。

そうやって、出会える。誰かを、信じて。

あの涙のなか。微塵に砕け散ってもわたしが諦められなかったもの。その、夢も希望も、信じてきた何もかも砕け散った、涙の向こうで。

もし、もし私が将来自分の子供が持てて。そしてもしその子が、同じような事を言う日が、来たのなら。

「…えっ!本当? なんで?そんな嫌なん?ま、いいや。 じゃ、代わりにどこ行こっか😊?」

てうきうき聞いちゃう母親で居たい。ってのが当時からの私の夢で。それが唯一の、野望で。笑

もしその子が嫌がったり面倒くさがっても。海でも山でも。空でもどこでも

君が、このちっぽけな、教室と、家庭と。そんな、閉ざされた世界がこの世のすべてみたいに悩んでいる正に、その時も。世の中には、その外側では。こんなに綺麗な、景色が。空が。世界には、穏やかな時間が流れ続けているんだよ。って。その子がもし、この先ひとり苦しい時。ふっと思い出せる。そんな信じられる景色を、見せてあげられる大人。に、なりたくて。「私」は、絶対。私の、その小さな、愛すべき生き物に、それをしてあげるんだ!って強くつよく、思ったんだ。

ずっと、誰にも言えなかった。高校を中退した、って。人に、「なんで?」って聞かれるのが、怖くて。かっこ悪いじぶんを見下されるのが、怖くて。

なんで?って。いじめられた、とか。そんなわかりやすい理由があれば簡単だったんだろう。でも、その当時から疑問だったんだけど。「いじめ」とか「悪い人」探しをしている人達は、人は、いじめじゃなきゃ、傷つかない。とでも、思ってるのか、なぁ?いじめじゃなくても。通りすがりの、たった一言でも。人は、傷つける。よ。そのすべての意味を無くすくらい簡単に。だって、私が高校を辞めた理由は、「そこに、『居たい』とおもう理由を、見つけられなかったから」が、自分の中で、正解に近い。

でも、そんな私に、父は絶望した。「そんなことは、社会に出てから、何度だってあるんだ!そんな小さな事で辞めてたら、この先どこに行ってもお前は通用しない!」

はは。「学校」という場所で、じぶんを否定された。そんな、傷ついた私も受け入れて、守ってくれる。と思った「家庭」という逃げ込めると信じた、その場所で。私は、こんなにいとも簡単に、再度。何度となく否定される、のだなぁ、と。

無償の愛、ってなんだい。ありのままのじぶんで、愛されるなんて。信じるって、その意味は、価値は、なんだい。もしこんなに、傷つくのなら。

泣きながら「東京に行きたい」って告げた。そこに行かないと、自分の人生が、始まらない気が、した。でも父は、反対した。「ここで一歩を踏み出せない人間が、どこかに行ったからって、五十歩も百歩も進めるもんじゃないんだ!」

父は、きっと、正しい。でも、その正しさは、ちっともわたしを救わない。

うちの親は、多分過保護だ。前に「お前たちはこどもだから、何が正しいのか、まだわからない。わからないから、失敗する。だから、間違えてしまう前に『それは間違っている』と教えてあげるのが、親の役目だ。」と言っていた。でもね、お父さん。だったら、私は、間違えたいよ。例え、失敗しても、いいから。「大丈夫だよ」って「それで、いいんだよ」って傷だらけの膝小僧で、共に笑いあいたい。この小さな町の空で出会うひと、と。あの山を越えた先には、きっと違う出会いがあって。あの街の、空の下ではきっと、ある…の。気付いたら、五十歩も百歩も進めてた、みたいな。そんな、ときめく何か。この永遠の課題みたいに圧し掛かる重い玄関の扉を開けていく。そんな、一歩の意味を、怖さを。忘れさせてくれるほどの、出会いが。

きっと、ある気がしたから、主張したんだけど、わかってはもらえなくて。笑 東京じゃなくて、なぜか大阪。そして、カナダ。アメリカを経由して、紆余曲折を経てやっと辿り着いた、東京。は、やっぱり、自分を変えて。

変われてないとこもあると思うけど(こういう不意に顔出す弱気なとことか。)気付いたら、どれくらいかは、進めたのだろうか。いまのわたしは、あの頃からどのように見えるのだろう。

それは、わからないけど。私にとっては、このタイミングだったんだろう。と思うから。悔いはないんだけどね!

本題に戻ると。素晴らしい人には、そうやって、かつて、指針となるような素晴らしい言葉を掛けてくれた人がそこに必ず、いて。

わたしには、いなくて。

でも、振り返ってみると、例え、その時は分かり合えなくても。それでも親が現在まで私にしてきてくれた、与えてくれたすべては、『愛』だし。私の為に、苦しんで、悩んで、迷って、責めて。その全てのおかげで、今の私がある。たまたま、受け止めて欲しい時に、抱き締めてくれなかっただけで。欲しい言葉で愛を伝えてくれなかったというだけで、そのすべてが、消えてしまうわけじゃ、ない。意味がないわけじゃ、ない。愛は、いつでもそこにあったんだ。

そして、あれだけ苦しんだことを、あっけらかんと、誰も根に持ってない所も凄いと思う。笑(兄は唯一、常識的というか。若干引きずってるかもしれない…ごめんね!)

なんか、そういう自分が選んだんじゃない「環境」といえるもの。突き詰めれば、生まれた場所とか、家族。星座。血液型。名前。性別とかによって「決めつけられる」何かにじぶんを「形づくられる」のが、昔はとても苦手だった。ズルい、なぁ。って。そこに意味づけるのは。って。だから私は、たくさん反抗をしてきた。

でも今ここにいる。今までたくさん泣いて生きてきた自分は、少し好きだ。この傷だらけで泥まみれの道程も。この、真面目に悩みすぎるわりに、どこか深刻ぶれない、このズレた明るさも、親譲りだ。悲しみを引きずるのは、もう辞めにしよう。心がこころから笑ってないと、わたしらしくない。経験してきたこと、すべてが必要だったと、今の私には、思える。から。

私はきっと、じぶんの知った「痛み」の分しか、ひとにやさしくなれない。だから必要だったんだ。わたしには、「傷つくこと」が。

自分勝手な、私が知った。誰かの為の、想いとか。誰かの幸せ、とか。今日まで私が学んできた、身につけてきたものは、ひとつも嘘じゃなく、ちゃんとここにある。

本分に戻ると。親から「愛されてる自分」を貰えたひとは、特大スペシャルなプレゼントだ。それは、身軽な翼みたいなもので、きっとそれがあれば、どこまでも遠く、ひとは高く飛べるのだろう。それは、大切にして欲しい。

私は、(愛されてなかったわけじゃないけど。笑)自分のことを「もぐら」みたいだと、思った。愛されてきたひと特有の、自由に羽ばたける、翼が捥げてしまった組。でも、だからこそ空を見上げて。光に憧れて。一生懸命、泥だらけになって、この手で、足で。掘り進めてきたんじゃないかなぁ、って。自分だけの、光を探して。

モグラ組にとって大人になるというのは、そうやって。自分のなかの、親を超えていく作業なのかもしれない。枠、というか自分で設定してしまった、限界を超えていくための、遠ざかっていくための、歩み。

そして私は、与えられなかった。から。こそ。きっと求める、し。与えたいと思うんだろう。自分が欲しくて、欲しくてたまらなくて。でも手に入らなかったから。今度は、じぶんが、あげたい。もう、大人になったから。

今ね。負け惜しみじゃなくて。私はきっと。次に付き合うひとを、きっと、すごく大切にすると思う。

なんというか、愛したくて、たまらない!から。笑 そして、変な話。次に私と付き合うひとは、きっと幸せだろうなぁ、とも思う。笑

なんか、君は本当に、ラッキーだねぇ!って。でも、ね。私は本当に、大変だったんだよ!笑。って。私の、元彼とか。好きになった人、とか。その人たちが、本当に苦労して、向き合って、愛情や手間暇かけて、やっと、この境地に至ったのだから。その「美味しいとこ」を享受してるキミは。本当に幸せモノ、なのだよ!・・・っていう。謎の、誰目線とも分からない上から目線を発動してしまうくらいに。笑。 私が愛したひとは、いい男だなぁって思うし。そこの見る目は、あるなぁ。。。

本当はね、今も。愛してる。心はいつでも、君に舞い戻ってしまう。でも、ちゃんと、前を向いていたいの。自分の人生を歩んでいたい。私はきっと、目の前の誰かを、愛せる。から。と思うんだけど。あのひと以外の誰かを、好きになって、それ以上に愛していく自信は、ない。というより出来るけどしたくない?かな。笑 うーん。相手の為というより。自分の為に、必要なんだ。君を好きでいること、が。私が、一番、自分を好きでいられるのは、君をまっすぐ好きでいられる時。まっすぐ想って、愛せている時。だから、私の為に、もう少し、好きでいさせてください。それが私に、必要だから。でも、迷惑は掛けたくないし。邪魔もしたくない。君には、世界一!幸せでいて欲しい。だから、その方法を探しているのだけど。ま、ね。人生、なんとか、なるように、するしかない。笑

でも、どんなに頑張っても、私は。いつまでたっても素晴らしくなれない!かっこよくないし。すぐ泣くし、よく諦めるし、なのに潔もよくないし。役立たずで、自信も上手に付けさせてあげられない。いい調子に乗せて、かっこよくもさせてあげられない。めくるめく愛の期待に、夢中に浸らせてあげることも、できない。こんなんじゃ、ただの足手まといで。

上手にコミュニケーションも取れなくて、調和もなんも、へったくれ。唯一無二のプライドを傷つけて、想いを踏みにじって、間違ってばかり、傷つけて、ばかりだ。あぁ、もう駄目なところしか、思いつかない!笑

でもね。だって、ね。世界一、かっこいい、あのひとには。

世界一、いい女が、似合う。

と思うの。

だから、自分にダメ出しというか。ゆるせないんだな。きっと、自分を。 あの人を愛するってことを。きっと、世界一のいい女にでもなれない限り。でも、私が世界一いい女?うーん困った。。。笑 千里の道も、一歩から。だって、私の世界で一番大好きなひとは、世界一、おっきな夢を持っているけど。何度転んでも、何度ぶつかっても、絶対に折れない。そして、いつも「信じてみようぜ」って。歌ってくれるから。私だって、そんな自分に負けちゃおれんじゃないか。いつか、自分だけの一番を、見つければいい。

実は、この文章は数か月前から書き続けてて、でも中々進まず。なので、所々タイムリーじゃない心境や表現があるので、時々、加筆修正してます。でも、この数週間びっくりするくらい、これでもか!と自分の中の闇と向き合って。でも、とっても根源的な、自分の深いところで、泣く。それをこうして書くことでやっと、あの頃の痛みを、再び体験しながら、癒して。流すことが出来た気がしてます。正直、昔のことなんて忘れてると思ってた。だって誰も恨んでなんかいないし。でも、今の自分が誰かを心から、愛する。そして愛されることを、知るには。そこに向き合うために「ここ」から見直さなきゃいけなかったんだなぁ、という感じがしてます。

最後は、母親に向けて締めよう。

「でもね、お母さん。私は、皆が普通に出来ることが、出来なかったけど。『普通の人は、普通だったら。それは中々、出来ないんだよ』ってことを、頑張れたんだよ。」よく、頑張ったねって言ってもらえたんだ。

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