あなたにとって、音楽とは。

こんなご時世にフェス行ってきました。
こんなご時勢です。参加するにも、フェスを開催する側。演者として出演する側。ファンとして観に行く側。胸中、其々に色んな思惑、不安、気持ちや決断があったのではないか。何度目かの緊急事態宣言が出され、開催にむけてのGOサインは複雑な情勢のまま、ついにその日を迎えた五月の大型連休。GWに開催された「JAPAN JAM」最終日に行ってきた中の人として、感じたままを書いてみたい。
 まず、感想として。やっぱり、音楽は「最高」でした。そして、そんな最高の瞬間を守る為に、絶対に失ってはいけないもの。守るべきもの。
 まずは、感染対策。大型の野外フェスに参加する。正直少しでも疑問、引っ掛かる場面があったらすぐにでも帰宅しようと思っていた。サイトを確認してみると、受付で全員検温、消毒の徹底。混み合うステージ前エリアは1メートル四方のブロック毎に区切られていて、1マス、1人。人数規制を行って、歓声を上げたり、モッシュやダイブや、マスクを外しての人との接触は不可。もし反する行為を見かけたら、強制退場も辞さない。飲食エリアも対面は禁止。それでも、正直自分の中で「行く」という決断を許してよいのか。わからないまま、重たい気持ちを抱えての出発だった。
 蓋を開けてみれば、逆にどこで感染する機会があっただろう?そのくらい皆、節度を保って行動していた。多少「密」を感じたとしたら、駅から会場までの道の信号待ちの間と、演目終了後、ステージ移動の際のわずかな一瞬くらいだった。その時でも、誰かがふと「これ、密じゃね?」なんて冗談まじりに呟いて、みんな自然と距離を取っていた。なんなら、日常の通勤電車の中の方が、危険を感じる程、近い。それでももしクラスターが発生したら、全員が、悪者。戦犯みたいに、槍玉に挙げられるんだろうなぁ。したらここに来ている人、皆、共犯者みたいなもんだ。
 職業柄、PCR検査を2度ほど受ける機会があった。どちらも陰性。自分が「うつす」心配はない。というのは参戦するにあたって少しだけ罪悪感を減らす役割をしてくれたけれど。それでも拭えない「本当にいいのだろうか」という問いかけ。会場までの道で、ふと目に入った民家の2階の窓が、ぴしゃりと閉められた光景を、私は一生忘れないだろう、と思う。もしあの時、住人の顔が見えてしまっていたらその場で引き返してたかもしれない…そのくらいギリギリの、せめぎ合いだった。
 空は、曖昧な気持ちを反映するかのように、どんよりと暗く、雲が覆っていた。来てしまった自分を正当化出来ないまま、誰宛なのかわからない申し訳なさを抱えて、フェスは始まった。出演アーティストのタイムテーブルを見て、いつもなら一番わくわくする、その瞬間もどこか自分を許しきれずにいた。
 誰も答えなんか。正解なんか、持ってなかったと思う。出演したアーティストも、観に来た人も、誰も。それでもやはり、私はあの日出会った人、言葉、好きだという気持ち。そして、音楽の力。に救われてしまいました。
 気持ちの整理がつけられないまま、最初に観たアーティストは、楽器を持たないパンクバンドアイドルBiSHの稀代のボーカリスト「アイナ・ジ・エンド」ちゃん。ハスキーで情感たっぷりな歌声に“自己表現”て言葉がぴったりの才能。今までの努力が透けて見えるような立ち姿や踊り仕草の一つ一つが美しくて。「東京に出てきて、居場所がなかった時に作った歌です」と歌ってくれた『スイカ』の歌。「居場所がないと泣いてる君ときっと同じ夜を過ごしてる」消えてしまいそうな気持ちが振り出した雨でほんのり薄まるように。誰かの歌なのに、自分を重ねて泣けてしまう。そんな時が、あるよね。

 初めてみた「マカロニえんぴつ」さんは、やっぱり聴いてた時と同じように、歌や日々への飾らない、気取らない本音がメロディーになっててとても好きだった。彼らは「絶望」にハローと歌った。そんな軽やかな意思や、日常のささやかな瞬間への肯定が心地好く「どうにも出来ない、ならない。それでもどうしたって音楽が好きだ。そんなヤツらが来てるんだと思います」そうやって歌ってくれた歌は、胸の酸っぱい部分をキュッとして泣けた。
 「04 Limited Sazabys」のGEN君は「自分も色んな瞬間をやっぱり音楽に、支えられてきた。毎日色んな事ある。だから、この瞬間だけは、全てを忘れて楽しんでください。」視界に入る工場の煙にいちいちテンションが上がるって報告する、一視聴者の自分と同じ感性が嬉しい。届けてくれるキラキラなやっと聴けた生の歌。みんなの大好きを引っ張るバンド。かっこよかったです。

 沢山のアーティストが「色んな意見がある」と言っていた。「今、ロックフェスやライブハウスが悪者みたいに言われてる」。賛否両論。参加する側にも色んな葛藤があったのかなぁ。音楽を仕事にする人達の悔しさは、私なんかからは、測りしれないものだけど。

 大好きな、音楽。大好きな、アーティスト。生で、やっと会えて聴けるのに。BiSHで一緒に踊ってたら、ふと、曲に心を捉まれて泣きそうになった。「言葉、一つ足りないだけで。君に愛、届かなかった、んだね。」「後ろ指を差されながら。君に愛伝えれば、よかったんだ、ね。」雨に隠れて、泣いてしまいたかった。フードを深く引っ張って、そんな自分を隠した。急に人が増えて、密が濃くなるのを恐れて、空いてるスペースへ抜けた。ステージ袖に来たアイナちゃんが、口の端に両指をあてて「にこっ!:)」てスマイルしてくれてた。うん。笑っていよう! 曲の間は、楽しむことに、した!

 そして、いつからか、大好きになったクリープハイプさん。顔的にすごく好みな(笑)長谷川カオナシさんは「ネットを開けば火事ばかり」と淡々としたそんな揶揄からも感じられる、憤りを秘めたクールに熱い演奏と煽り。「今度あったら何をしようか。今度会ったらキスをしようか。今度会ったら何をしようか」「今度会ったら、・・・!!!」いつか、おっきな声でとびきりの笑顔で、叫んでみたいもんだ。「色んな意見があるけど、それでも。今日、ここに、目の前に存在してくれて、ありがとう。」曲や、突き放すみたいなMCとは裏腹に、とても優しい尾崎さんの「ありがとう」だった。

アーティストも一人の人間だ。ものすごく素晴らしい才能があっても。同じように、音楽に支えられたり。目の前の存在に救われたり。あの日、ライブという場を自分達なりに肯定し続けてくれた。“楽しむことへの罪悪感”を拭えないままの自分にも、迷いながら彼らが発してくれた言葉や音楽が、少しずつ、頑なに自分を責めようとする、心に届き始めていた。

Creepy Nutsさんは、素人の自分にもわかるくらい、圧倒的なスキルだった。言葉とリズム(韻)を武器にする人の底力というか、間口。怒涛に放たれるメッセージ。凄さを知った。「声を出すのは禁止だけど、その場で立ったり、跳んだり手を上げたりはOKだそうです!」「カッコいい!上がる!!そう思ったら、こうやって(ピストルみたいに指を二本折り曲げて突き立てて)手を上げて、俺らにも示してください!声は出せなくても、ちゃんと伝わってるし、俺らもブチ上がるから!」もうひたすら、のせられるままに。リズムに乗って音に酔って韻を踏んで踊る踊る、踊る。

声も出せない。「そんなフェスに行って何が楽しいの?」そう言う人はいるだろう。でも、そんな時でも、音楽はきっと、鳴り止まないんだ。そして、ライブが好きな人は、その最高の瞬間を知ってる。一瞬の煌きを知ってる。その感謝や、大好きを伝えたくて、みんな無言の拍手と喝采を送る。雨の雫がキラキラとステージのライトに反射して、魔法みたいに、綺麗で。誰もが想いだけを放って、空に手を上げる。

Blue Encountさんはステージで「ロックってなんなんすかね?」って聞いた。「わかんないけど、俺はそれに救われてきたから」って。「俺は今日のこの光景を信じてるし。忘れないかんな!今日、ここに来た自分を恥じんなよ!でも、絶対にルールは守れ!じゃないと、色んな事言うヤツを喜ばせるだけだし。言い返してたら、同じになっちゃうから」呼びかけに応えるように、あんなに嬉しそうに手を上げて、横に並んで楽しそうにステップを踏む彼らが、間違ってたら、いけないんだ。最後、喝采を聴きながら、自然と泣き出していた。「Stay with me  ねぇ待っていて。ここから迎えに行くよ」何度、諦めてみせても。やっぱり、好きなんだ。「フェスは、生きがいですか?」そう聞かれて、生きがいではない、と思った。フェス、の為に生きてるわけではないし。もし、個人的な事情がなかったら、きっと行く事は、なかった。それでも・・・

大トリの宮本浩次さんのライヴへ向かうなか、ひとり咽び泣いていた。ただただ、好きだ。それしか、ない。大好きで、幸せ。出会えた。それだけで、いい。この気持ちと、一緒にいたい。 久しぶりのライヴはなんか、もう。好きしかなかった。全ての瞬間が愛しくて、そこにいる誰もが、愛しくて。自分のなかの「好き」がこんなに尽きることないものだってこと。ただただ愛おしい。それしか、ないこと。そんな、満たされたあたたかな空気が充満して、循環するような、説明し難い。夢見ごごちのような、居ごごちのよい空間に、心から安心しきっていた。

あんなに重苦しかったものが、ずっと心に潜んでいたはずなのに。いつの間にか、纏わりついていた窒息しそうな程の息苦しさが、不思議と消え去っていた。あ、ううん。「あぁ。もうどうしようもなく。ただただ、好きだ。」そう思った瞬間に、自分の中で、何かがパリンッって砕けて、はじけて。泣きながら向かったステージで、その空いたスペースを埋めるものが、愛しかない。んだ。それでいいんだ。って気付いた。

あの日の宮本さんは、すごく綺麗で幸せそうで、愛に包まれていて。愛しさが溢れて。愛って、雨粒のひとつひとつにも、溶けるのかな?そのくらい、降ってくる一滴がすべて、優しくて、光にみちていて。あぁずっと溶けていたいなぁ。。。そう思っていた。

「おじさん、結構スキです!」笑 そう言って初めて歌ってくれた、新曲が凄くよかった。「Sha la la la~♪」って揺れる度。あの日、くるっと(高い)ジャケットを肩に掛けた、宮本さんの背中と空を思い出す。小気味よくて、小粋で、陽気で高らかなメロディなのに、なぜか胸と鼻の奥がツンとする。「おじさん」(と宮本さんの事を思ったことは、ないけど。笑)うんうん。この背中に、この心意気についていきたい。そう思わせてくれる。ずっと、かっこよくて、粋で、イカした大人。なんだよな。いつだって。私には。

初っ端から歌詞を盛大に間違え、歌い直して届けてくれた『P.S. I love you』やっと聴けた『ハレルヤ』『夜明けのうた』どれもとても嬉しかったです。

とにかく、わかったのは「好きに理由も理屈も、ないこと」「ただ、好き」そんな大切で、守りたいもの。誰も私も、答えが正解かなんか、知らない。だから、行った私が正解なわけでは、なくて。行かなかった(そういう決断をした)人が間違ってるわけでも、決してない。「いろんな意見がある」それが本当だと思う。みんな、それぞれの立場から、見える景色の中で大切にしたいもの、その先を信じてるんだと思う。感染が危ないから、って今回は我慢した人。こんな時期に開催なんてって意見も人も。誰も間違ってはないと思う。だから、宮本さんもインスタで「来てくれたひとも、来られなかったひとも、どうもありがとう」そう言ってたんだと思う。

終わってみて「中の人」として個人的には、感染対策を徹底すれば、フェスは開催出来るんじゃないか。と思った。でも正直「0」じゃないんだとも思う。心配も、感染の可能性も。集まる人の分母が増えれば、その危険性も、確率も上がる。だから、こそ。それぞれが「うつらない」為の行動を自覚的にすることが必要なのかな、って。結果はそのまま表に立つ人たちが、矢面に立たされてしまう。遅まきながらフェスの最中にそんなことにも気付いた。もし、何かあったら、自分の大好きな人、たちやこの場を実現させてくれた人たちの沢山の準備が、悪く言われてしまうことだってある。願わくば、いつか。マスクなんか、なしで。大きな声上げて、そんな自由なライブで!また会いましょう。そんな日が1日も早く来るといい。だから、今は。

疑問や不安。心配や懸念。そんな晴れきらないフェスのなかで、宮本さんは何を語るじゃなくすべてをまるっと肯定するみたいに、ものすごく大きな、それこそ理屈じゃない何か魂みたいな、根底にある輝き。言うなれば「愛」で、みんなを包みこんでいた。大袈裟な言い方をするなら「誰もが、ゆるされていた」こんな中、開催されたフェスを締めくくるにふさわしい。非常に大円団な、みんなが笑顔の最高の大トリだった。

あなたにとって、音楽とは?

私にとって音楽はいつも、自分の心に足りない最後の何かを教えてくれる。そんな存在、です。

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