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届くかわからないものを祈りながら

卒論提出完了

 僕がnoteを書く時なんて大体なんか苦しんでいる時だ。だから、卒論の追い込み期なんて絶好のネタを得る機会なのだが、流石に卒論を書きながらnoteを書こうとは思わなかった。クリスマス前に第一稿を書き終え、その後1月6日に第二稿を提出、帰ってきたものを直して1月8日に郵送で提出した。執筆中はほぼコメダ珈琲にいたので、コメダ珈琲がなければ卒論は完成していなかったと言っても過言ではないだろう。

卒論というものは恐ろしいもので、直しても直しても修正箇所が出てくるのだ。第二稿が返却された際に先生から指摘された箇所を修正したら提出しなさいとの旨があった。それにあやかって提出してしまおうと思ったが、一応と思ってそれ以外の確認をしたのが運の尽きだった。もう大丈夫だと思って印刷した後に間違いが見つかって修正し直すを3回繰り返し、妥協の産物としての卒業論文が完成した。映像研か宮崎駿か岡田斗司夫かが、作品を妥協の産物的なことを言っていたのを思い出した。まさに時間と質を天秤にかけてギリギリのところを攻める作業だったと思う。

さすがに来ないと思ってた

クリスマス前に悪友から葉書が届いた、海外からだ。毎年ではなかったはずだが、なぜか年賀状のやり取りはそこそこの頻度で行なっていた。留学に行っているから流石に今年は書いてこないだろうと安心仕切っていたところに届いてきやがった。別に喪中ではないが、卒論で忙しい、ガン無視決め込むには十分な理由である。とはいえ、LINEでメッセージを返すのも味気ない。仕方がないから、親の予備の年賀状をもらい返事を書いた。1月4日とかそのくらいだ。解読が困難な相手の住所を読み解き、別に大して伝えるようなこともないし、ユーモアももち合わせていない中でなんとか1、2文を捻り出した。

海外への郵送に関して、実際のところどうなのかはわからないけれど、全く信頼を寄せることができなかった。相手の住所の解読が難しかったのもあるが、多分届かないんじゃないかなと思っている。まあ届いたらラッキーくらいの気持ちでいる。卒論もそんな心持ちでいられたらなんて気楽だっただろうか。

12月上旬から1日千字書いてました。

焦燥感の中で執筆していた。第二稿を提出した後、先生からメールで修正したら提出してくださいと言われた時やっと安心できた。これを直したらやっと終わる。そう安心しきった中で修正作業と製本作業を行なった。さあ後は郵便局の窓口に行ってレターパックライトで送ったらいよいよ終わりだ。

だが、正直、この提出する瞬間と提出した後がめちゃくちゃ不安だった。どのくらい不安だったかというと、一回閉じたレターパックを破って中身を確認する程だった。おかげで表紙のミスに気付いたわけではあるが。自分の手から離れて、第三者に任せるという作業がこれほど心許ないとは。窓口に卒論を提出した瞬間、僕の卒論はシュレディンガーの猫と同様に再びレターパックライトを開けるまで中身がコピーを失敗した紙くずかも分からない。出す前にあんなに確認したのにね。

しばらくたってやっと落ち着きはしたが、こんな思いはもうしたくない。誰のせいにしろ何らかの理由でこの卒論が受理されなかった時の覚悟はさすがにできていない。

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