据え置きゲーム探訪記【Detroit Become Human】
ついさっき「Detroit Become Human」をクリアした。
今、感情のままに書きなぐっているのは、正真正銘の感想であり、心を揺り動かされると吐き出さずにはいられない人間の性だと思って欲しい。
さて、この「Detroit Become Human」というゲーム。
2019年7月にはフリープレイにもなったので、プレイした人は多いのではなかろうか。
舞台は近未来のアメリカ。
人の姿をしたアンドロイドと人間が共に過ごす社会を描いている。
ゲームの主人公は3人。
警部補の補佐役アンドロイドとして派遣されるコナー。
アンドロイドの反抗軍のリーダーであるマーカス。
家政婦アンドロイドのカーナ。
彼らの視点をそれぞれ描きながら進んでいく。
上の画像を参考までに。左から順番にコナー、マーカス、カーラ。
注目して欲しいのは、プレイヤーが主人公として操るのが全てアンドロイドだということだ。
人間とアンドロイドの社会を描く場合、往々にして主人公は人間が配置され、アンドロイドたちの人権を声高に叫ぶ。
しかしデトロイトはアンドロイドを主軸に置いた。
本来、アンドロイドは機械であり感情を持たない。それ故に共感し辛いかと思いきや、正当な理由をぶちこんでくる。
すなわち、アンドロイドが感情を持ったらどうなるか、である。
ゲーム中ではこの感情を持ったアンドロイドを「変異体」と呼び、冷酷なまでに駆除していく。
人間の命令を聞かない道具はポイの理論である。
上手いと感じたのは、その部分に他ならない。
言うまでもなくプレイヤーは人間だ。
そして大多数の人間は、まず間違いなく同じ社会が来れば同じ行動を取る。アンドロイド=道具として扱うだろう。
だからこそ、プレイヤーは誰もがやがて来るであろうと予測する未来での人間の姿に、共感もするし嫌悪感も抱く。
それは人間が主人公では決して感じられない感情だ。
アンドロイドという第三者の視点を通じて見せられる人間の姿、とでも言うべきか。
それらが、現代でも問題となっているアメリカ社会の問題点をも描ききっているのだから、たまったものじゃない。
プレイヤーはゲームで遊びながら、現実を否応なしに突きつけられ続けるのだから。
「Detroit Become Human」は、ゲームジャンルでいえばAVGである。アドベンチャーゲームらしく、周囲を調べて情報を集め、選択していく。
そしてのその選択の結果、物語は幾重にも分岐していく。
バッドエンドはなく、それ故にプレイヤーの選んだ無数の選択肢は全て正解となる。
チャプターを終了するたびに「全世界のプレイヤーの選択」を見ることができる。
自分は果たしてどんな人間にカテゴライズされるのか。
それらを比較しながら楽しむのも悪くない。
ゲームのメインテーマは、「人間とアンドロイド」であろう。
そのテーマに仕込まれているのは、我々の人間性を直視させてくれる、なんとも嫌らしい意図だ。
だからこそ、エンディングまでたどり着いたプレイヤーは、再び物語を始めたくなる。
無数の選択肢によって幾重にも未来が分岐していく。
それはまるでこの現実世界のようで、デトロイトというゲームはそのタイトル通り、我々を人間として振り返らせてくれる重厚なシナリオのゲームなのだ。
未プレイの方は、是非プレイして欲しい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?