結婚から離婚まで

※訳あって書きます。なんで今こんな暗い記事‥‥と思われるかもですが‥‥すみません(ToT)

32か3の頃、結婚した。

私はミクシィで再会した高校や大学の仲間を集めて、月一で、10人程度の飲み会を催していた。

すると、フォロワーの一人が、その記事が楽しそうだから参加したいと言った。

その頃の私はオープンウェルカムだったので、その人も参加にすることにした。

それが元旦那である。

元旦那と出会った頃、私はミクシィで再会した、大学の先輩と付き合っていた。

それを知りながらの元旦那のアプローチ(件の飲み会での)に困惑した。それが不快だったらしく、その先輩とは別れることになった。

私は高校生で初めて彼氏ができてから、沢山の人と付き合っては別れていた。付き合い始めは嬉しいが、別れは辛く、正直、それに疲弊していた。親にも結婚相談所へ入るように促され、もう先輩との別れで限界だったので、誰でもいいからさっさと結婚して楽になろうと思っていた。

だから、たしか付き合って1月ほどで結婚した。

その頃私は名古屋までフルタイムの仕事に通っていた。

家事はどの程度手を抜けばいいのか分からず、仕事もしながらで、やがて眠れなくなった。

近所のクリニックで「うつ状態」と診断され、入院を勧められた(主婦の場合、うつ状態がそれほどでなくても、家にいては家事で休まらないため入院を勧められることが多い)。

元旦那は、「精神科へ入院」させることに抵抗を感じ、許してくれなかった。

その後大学病院へ転院、「うつ病」と誤診され、二年に渡り抗うつ剤の投薬を受け、症状はどんどんひどくなった(本当はただの過労だったので、休養をとればすぐによくなったと思われる)。

たまたま祖母の認知症の診断のために訪れたクリニックのドクターが、私も診てくれることになり、処方ががらっと変わり、だんだんと精神状態も普通になっていった。

結婚生活のことは抗うつ剤の副作用であまり覚えていないが、今から思うと許せなかったことがいくつかある。

•姑の葬儀で家族の席に座らせられなかったこと

•生活費をまともにもらっていなかったこと

•元旦那のボーナスを全額姑に渡していたこと

•EDを病気と認めず、治療や禁煙をしなかったこと

•私の体調不良から目を背け、治療に非協力的だったこと

姑は病院の誤診で、見つかったときにはステージ4のガンだった。私は余命半年の姑が寂しい思いをしないようにと、家を訪れたり遊びに連れ出したりしていた。

けれど、何が許せなかったのか分からないが、元旦那は、葬儀で家族の席には座らせてくれなかった。

姑は離婚しており、私達が結婚した頃(60歳位)には働いておらず、収入も貯金もなかった。だから私は元旦那がお金を入れてくれないのもやむを得ないのかなあと思っていた。

私は抗うつ剤のせいでずっと体調は悪かったが、ずっと仕事をして、得た収入や、独身時代の貯金で、生活費や病院代を賄っていた。

姑に免疫療法(健康保険外)を受けさせようという話になったが、元旦那も他の兄弟も貯金がなく、私が出そうとしたが、母に止められやめた。

抗うつ剤をのんでいる間中、ずっと、私は貧困妄想(お金がないという妄想)があったらしい(母談)。

元旦那は結婚したときすでにEDであったが、そのことを有耶無耶にしていた。また治療を受けようともしなかったし、禁煙もしなかった。

そういったことが重なり、私の精神状態はどんどん悪くなり何度も死のうとしたが、けれど死に切れず、私は自分を穢したくなった。

ミクシィで出会った人と、その日限りの関係を持っては自分を穢していくようになった。

正直、何人の人と会ったのか、顔も覚えてもいないが、そのうちの3人とだけドライブをしたり出かけたりするようになった。

正直、もうその頃には、バレてほしい、もう結婚生活を終わりにしたいと思っていた。

元旦那にバレて終わりになった時にはホッとした。

元旦那は、弁護士を騙る者(今から思うと本物であったか定かでない)に「私は不貞をはたらきました」と書いた書類を作らせ、私に署名させた。弁護士を騙る者は、私の非を責め、私は無理やり署名させられた。

私はそれでも元旦那を可哀想に思い(その感覚がもうおかしかった。私は彼を最初から必要としておらず、多分彼のほうが私を必要としていた)、念の為3晩駐車場で過ごし、朝になってはアパートを訪れ、許しを乞うふりをした。別れることになって内心はホッとしていたが、それをしてやらないと元旦那が可哀想だと思ったからだ。

協議離婚も、私は自分が全て悪いと思っていたので、頑張って争うこともせず、結果200万を支払った(元旦那は本当はもっと欲しがっていたらしい)。

共通の友人とは、連絡を断った。私を心配してくれる人もいたが、連絡しなかった。私が悪いのだから、元旦那側の味方を奪ってはいけないと思ったからだ。

私は、誰にも愚痴ることもせず、辛さを語りもせず、結婚生活の非の全てを背負った。


離婚から10年ほどが経った。

今振り返ると思うことは、以下のとおりである。

•抗うつ剤は、正しい判断力を奪う

•元旦那にも数々の非があった。だけど私に非が大きかったのは、一度も元旦那を好きになれなかったのに結婚を続けてしまったことである。

•一人で全てを背負っても、自分が傷つくだけで、誰の得にもならない←背負わせていることになど、誰も気づいてくれない

•調子のいいときだけすり寄って来る人は、友達ではない

•正面切って背負えることなんて限界があるのだから、もっと開き直るべきだった


今の私なら逞しいから、うまく立ち回っていたと思う(以前の私なら、体調不良で二週間休んだら、申し訳なくて仕事を辞めていたと思う)。

その後の三年ほども、つまらない男にひっかかって、30代は勿体無いことをしたなあと思っている。

男は星の数ほどいるのだから(35億?)、自分の生きていくのにマイナスの多いパートナーとは、さっさと別れて次を探すに限る!と今は思っている。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


読み返して、センセーショナルな記事かなあとドキドキしながらアップしました^^;

この記事を読んで、きっと引いちゃう方もいるだろうし‥。

けど、それでも、アップしようと思ったので上げました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?