病苦…【エッセイ】
病苦と書いたら自動的に…がついて笑った(笑)。
多発性嚢胞腎の診断がついてもうすぐ11年になる。
最初の頃は症状もなく「病気なんかに負けない自分」を体現したく、元気な人アピールをしてきた。
しかしこの頃の体調の落ち込みはいかんともしがたい。
1日6リットルの水分のイン・アウトのある治療はとてもきつかったから、やめたくて仕方なかった。母にも治療始めてから調子悪くなったからやめたほうがいいと何度も言われた。けれどやめなかったし、やめないのが正解だった。疲れやすさは腎機能低下のせいだったから。
けれど原発性アルドステロン症のせいで治療中止になり、あっという間に体調が落ちてきた。
生ビールのように泡立つ尿が当たり前になって一年。今度はかったらクレアチニンは3で済むだろうか。4くらいまで上がっているかもしれない。およそ8くらいで透析しないと死ぬが、長くて5年くらいだろうか。現実には末期腎不全の数値に入ってはや一年は経つのでもう少し早いかもしれない。
どうしても生き延びる選択ができない。病気に疲れたからだ。
母は腎臓をくれると言っているが、弟のためにとっておくように言った。亡くなった方の腎移植を受けるリストに登録できるが、私なんかより他の方に渡ってほしいと思いしていない。
透析を受けても辛い生活が待っている。
先のことでなく今の疲れやすさが、周りに申し訳なく辛い。
こんな状態で働けはしないことはわかっている。
いっそひと思いに、そのほうが周りに迷惑をかけないのではないかと思う。あと5年生き永らえるために周りに負担をかける必要もないのではないかと思う。
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