『弱さ』に気づけたのは『強さ』があったから。
絶望したとき、なくなったから気づけたこと、
自分自身の乏しさに気付けた強さがあったこと。
自分自身の弱さに気づくことは強くなれる漸進の先駆けとなること。
1.高校生┃『絶望』をみた
なぜ、私はこんなに焦っているのでしょうか。
焦って見えるが正解かもしれません。
「夢を諦めました」
高校2年の秋か冬頃の話です。
部活で「自分たちの力で優勝する」ときめて、実現できなかったとき、
はじめて「夢を諦める」という選択をしました。
私はディベート部という部活に中学、高校5年間所属していました。
私の高校はディベート部界隈では、強豪校と呼ばれる部類の高校で、
何もしなくても「結果」を出すことができる高校にいました。
私は、確かに「優勝」はしたかったのですが、「"自分たちの力で”優勝」をすることが私の夢でした。
自分にとっては、結果を出せても「自分たちの力で」ということにこだわりを持っていたのです。
「なぜか」というと、それが「夢」だから。 につきます。
そして、同じ「優勝」でも価値観の反映されていない「結果」と「夢」では自分にとって意味が違うのです。
「結果」は出せる環境にいても「夢」は叶えられない環境だと実感したとき、
いくら頑張っても、「夢」に対しての結果はでずに、
『夢は諦めるしかないんだ』 と、
私は「絶望」しました。
2.高校生┃足りなかったもの
「夢」を実現できなかった理由として、いくつかあったと思っています。
1つは、「優勝」という『結果』をおいもとめている環境だったというのも要因ですが、
私は、自分自身に『足りなかったもの』が大きかった。
と今になって考えています。
『能力』も、もちろん足りなかったことの1つではあるのですが、
それ以上に大切なものが欠けていました。
それは、『今ある幸せを感じる力』です。
当時、夢を実現するために必死で努力していましたが、
振り返ると、私は心がカラカラに乾いていました。
『枯渇』していたのです。
まったく『余裕』がありませんでした。
必死すぎて、「今の部活を何とかしたい」という想いが先行していました。
結果、自分自身のことをないがしろにしていたのです。
夢をかなえるには、『仲間』が必要とよく言いますが、
結果を出すためには、『今ある幸せを感じること』ができていなければ、
例え、自分を応援する仲間や一緒にやっていく仲間がいたとしても、
結果は出せないと思っています。
実際、私がそうでした。
一生懸命になりすぎた結果、余裕がなく周りも見えなくなりました。
もともと、コミュニケーションが苦手な私は、余計にコミュニケーションをとれなくなりました。
自分自身、余裕がなくなり、人よりも考え方がネガティブになっていた気がします。
気にしなくていい心配を勝手にしてしまい、「相手はこう思っているだろう」という憶測だけで、ものごとをすすめていたのです。
相手は自分ではありません。
人は、感じ方も考え方も思っていることも違います。
それを確かめるために、手段としてコミュニケーションが必要になってくるのですが、それができなくなってしまっていました。
やがては、相手も思っての行動や発言のなかですれ違うが生まれ、結果を出すことはできませんでした。
自分自身の思考がネガティブになると、人や物事に対してもネガティブに考えるようになります。過敏になります。
ネガティブな気持ちは相手に伝わってしまいます。
それによって、コミュニケーションですれ違いが起こってしまったり、
ネガティブな気持ちを生んでしまったりすると思っています。
『今ある幸せを感じる力』がないと、伝わるものすべてがネガティブになってしまいます。
私は、『今ある幸せを感じる力』が欠けていました。
自分の気持ちとは反した「すれ違い」が起きやすくなります。相手のことを想えない人間に無意識になっていたのです。
相手を想う人であるためには、自分自身のことも想える人でなければいけなかったように感じます。
そして、自分自身の弱さに気づけるのは、自分自身の強さだと思います。
弱さに向き合うことは痛みを伴うからです。
だからこそ、強さがなければ自分の弱さにさえ気づくことはできません。
自分自分の乏しさに気づける強さがあったからこそ、得られたこと、できるようになったこと、次回書きたいと思います。