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戻らないことにもいくらか慣れた

 何度見てもMVが好きすぎる。

◯僕の小規模な掃除

ベランダの「穢れ概念」を祓った。

 引っ越してきてからすぐ、手伝いをしているクラフトビール屋の常連さんに連れて行かれた、この市いちばんの老舗大衆串焼き屋で、あまり得意ではない豚の臓物を気を使ってたくさん食べ、時代の権化みたいなオジサンたちに絡まれまくり、大量の酒を煽ったせいで大嘔吐したことがある、ベランダに。

 もちろん明くる朝に二日酔いで掃除はしたのだが、それ以降ベランダはなんとなく「穢れ」の象徴として暗雲立ち込めていた。

 ひさしぶりの休日に程よく晴れていたので、本腰を入れて掃除をすることにした。ぴかぴかになった。お前、こんなに綺麗だったんだな。

 ベランダの鳥居が撤去され、スペースが開いた。またジッカにいた時に凝っていたコーヒー焙煎をはじめよう。


◯僕の小規模な愚痴

 お客さんが歌ったり手拍子したりプチョヘンザを強要されるライブが大嫌いだ。せっかくライブに来たんだから音に合わせてゆらゆら揺れたり、ステップを踏んで踊ったりしたい。べつに各々がプチョヘンザしてもらうぶんには構わないけど、「手ェ挙げて〜!」みたいに話しかけられるのは嫌だ。絶対に手を挙げたくない。1人で音楽聴いてるときに手を挙げたことないからだ。そう、ヒトにはヒトのノリ方がある。かつ、これは偏見であり、迂闊なことを言うが、プチョヘンザ系のノリ方をする人とは仲良くなれない。だから、手を挙げない人が多いタイプのライブはとても居心地がいい。

 手拍子て。手拍子てさ。田舎イオンのコンサートかよ。納涼祭のカラオケ大会かよ。ダセ〜。勘弁してくれ。

 歌っ……歌うってすごくない?すごいな……。感心する。自意識のつくりが我々とは違うらしい。2次会でカラオケ行かん?まあいいよ、テンション上がって歌っちゃったんならまあいいけど、でも演者が皆んなに歌わそうとすんのは違うじゃん。

 わかってる。そういうライブに行かなきゃいい。フェスも行かなきゃいい。文句ばっかり言ってるんだったらさ。

 今週末はミツメを見に行く。ライブに行くのは久しぶりだ。この前のペトロールズは行けなかった。日時を間違えて神奈川のライブに当選していたことに、ライブの前日に気付いたからだ。

 過不足なくライブに行けるということは、元来とても嬉しいことなのだ。かつ、誰もプチョヘンザしないし、手拍子しないし、歌わないのであれば尚嬉しい。誰もそんなことしないはずだ。そうだよね?

 職場では毎日FMラジオが流れていて、毎日決まった時間になるとツアーで来たアーティストがパーソナリティとお話ししたり告知をしたりしている。毎回毎回飽きもせずにパーソナリティが「どうですか名古屋は」と聞いていてカンに障る。そんなの「名古屋のお客さんは……あったかいですねえ」「ごはんが……おいしいですねえ」としか言えないだろ。名古屋の人は著名なアーティストが日本ツアーをやるときに名古屋を飛ばすことを根に持って「名古屋飛ばし」と言うけど、そんなんだから飛ばされるんだよと思う。


◯他者が発する要請について

 ところで「気を遣わなくていいよ」という要請に、楽に答えられるようになってきた。「気を遣って気を遣っていないふうにふるまう」のが上手くなってきたと思う、10年前に比べると。もちろんこの賢しらな行為は、私と同じくらい色々考えすぎてしまう人や、私の奥側を見ようとしてくる人間大好き気質人には容易に見破られてしまうのだが。

 他者は「要請」を発している。

 要請が見えない人間が苦手だ。正確に述べると、気に入られたいのに要請を見せてくれない人間の前で私はどうすることもできないなという事実があるなと思う。

 だいたいロールモデルがある、世の中の役割には。だが、そういう役割を丸ごと飲み込んで受容することは難しいから、正社員として働かず、ニートのマインドを温めている。


◯労働愚痴・再び

適当オムハヤシ

 も〜〜〜〜〜う嫌だ。私は激怒した。私に社会はわからぬ。でも、「バカがよ」ということはさすがにわかる。なんで毎週毎週毎日毎日こんなつまんね〜ことをしなくちゃいけないのだ。

 1.せめて「意味」のある労働がしたい。写真を撮ったりフォトショをいじったり、コーヒーを淹れたり本を扱ったりするのは、私にとってきっと「意味」のある労働だ。今の仕事に全く「意味」がないわけではないが、最近ちょっとアヤシイ。雑用をさせられまくっている。違うなあ。こんなことに時間を使うくらいだったら、もらえる賃金が減ってもよいから「意味」ができるほうがありがたい。

 興味関心という土壌での「意味」でもよいが、社会貢献・福祉・地域活性としての「意味」でも、まあかまわない。私は他者に喜んでほしい。というか私は未だに6年前、ゼミの教授に「あなたは心が弱いから心理職に就くのは絶対に推薦しない」と大学院進学を諦めさせられたことを根に持っているらしい。

 2.休みがほしい。最低でも月に1回は4連休がほしい。アルバイトの醍醐味ってこれだろうよ。3ヶ月に1回は1週間休みたい。カブに跨って旅に出たい。ジョーシとかいうのにイヤな顔をされるのがなんだってんでね。自由な休日は非正規雇用の権利だ、やわらかい心をちょっとだけ石に変えて勝ち取ろう、休日を。

 ビール屋の手伝いは楽しい。今日はローテンションですよ、いっさいお客さんに媚を売りませんよと思いながら店内を暗〜い曲で満たしてムスッとしていても、お客さんが来るとフレンチポップなんかに変えてニコニコ愛想よしになるオート・モードが搭載されている。感情労働に向いていてうまくできるのだ、とても疲れるから好きではないけど。

 来月、ビール撮影のために写真の仕事を発注してくれるらしい。ありがたい。名刺もできたことだし、写真のZINEを作って店頭に置き、隣のギャラリーに個展の打診をしたい。ZINEのテーマ選定やレイアウト決めなんかをしたい。6月中にやらなければいけないことが思いの外早く片付いた。作りたいステッカーの案も思いついた。いい傾向だ。

 こういうときに太宰よろしく「トカトントン」の音を聞かないように気を付けなければいけない。

 しかしまあ当然ではあるんだけど、こういうことに気を取られはじめると一切短歌が詠めなくなる。私は自分の趣味・関心の範囲が広めだから、割に人生は楽しいほうだと思うのだけど、プロフェッショナルにはなれないなと思う。永遠の器用貧乏だ。


◯ギタ弾きの白﨑

適当うどん

 今日も隣人が電話越しにカチ切れている声が突き抜ける薄い壁に隔たれた暮らしをしている。異国語の怒り、怖い。

 隣人が帰ってきたからギターの練習を辞めたんだけど、嵐の喧騒の前では、たぶん辞めても辞めなくても別段影響はない。でも万が一この怒りがこっちに向いたら泣いてしまう。

 ギターの練習が楽しい。「私のギターって下手すぎる!」と思いながら練習をしていると本当に嬉しくなってくる。15歳くらいからギターを抱えることが好きだったのだけど、手癖で適当に弾いているだけで全然うまくないのだ。「下手すぎるぜ」と嬉しくなると、もっと上手になりたいねという欲が出てくる。この欲が駆動させるフロー感が好きだった、そういえば。

 相変わらず隣人の怒鳴り声が聞こえてくるが、左指の腹と人差し指の側面が破けそうなのでここらへんにしておく。セーハー筋が鈍ってしまった。


◯生活はできそう

 最近すみかの治安が終わっている。

 軽率に「治安が悪い」って言うのは「この飲み会治安悪すぎ〜」って言う大学生みたいで嫌なんだけど、さすがにここ最近は特に、治安概念が終了の一途を辿っている気がする。

 毎週毎週アパートのエントランスが動物に荒らされている。生ゴミの処理をないがしろにし、ネットをかけないバカが暮らしはじめたのだろうか。

 毎週毎週だ。この状態を見て対策を講じない愚鈍さは、対人間におけるコミュニケーションの摩擦を認知しなさそうでさぞ生きやすそうだ、羨ましい。

 さっきは爆音暴走族が「会いたくて震える」という旨のJ-POPを私たちに聴かせてくれながらフカシのオカズを加えていて、「承知しました」と思った。

 最近私のアパートの家賃を言うだけでウケるというカス・ライフハックに気付いてご満悦だ。「水道代も込みです」と言うと悲鳴が上がる。この感覚を中学生くらいで味わっていたらお笑い芸人を目指していただろう。


◯今日の音楽

 ジャケットが本当に好きだ。レコード欲しい。こういうモチーフへの偏愛はどこの無意識領域が賦活しているのだろうか。ヘンテコ3Dを作っていた頃の平沢進・MVも結構好き。

 こういう木管楽器をイメージしましたみたいな、安いシンセの音が大好きな時期です、しばらく。ところでやっぱりタービン感あるよなあ。

 歌うめ~

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