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甘い手

 地元に帰っていた。3ヶ月ぶりか。

 今住んでいる場所もまあそうなのだが、地元はあきらかに「ずっとここにいたい場所」ではない。離れてみて、全くもってつまらない町に長年暮らしていたなと思う。
 久しぶりに会った気がねない友人たちと忌憚ない会話を交わすことは心地いいし、地元にいた頃に通い詰めていた居酒屋の大将と軽口を叩いたり、日本海でとれたキトキトの白身魚と地酒に舌鼓を打っている間は「これだよ、これこれ」と思うのだが、帰郷のアドレナリンが切れた目で眺める町は心底つまらないし、町のあちらこちらにイヤな人たちの影が蠢き、思い出したくないことに自己を絡め取られる感覚に侵食されていく。不快だ。梅雨の時期の湿気みたいに、「停滞」という2文字がべっとりと背中に貼り付いて、逃れようともがくけど剥がれない。そういうグラヴィティ。
 あの場所は、私のような中身がらんどうの空洞人間が暮らすのには、ちょっと〈空〉すぎる町である。

 今後私はどうするのだろう。どうなっていくというのだろう。

 人生プラン1。環境に依存しない方法で安定したお金を稼げるようになって、離島や外国、いろんな土地で暮らしたい。人生プラン2。あと1年半働いて、その間に大学院受験の勉強をし、雇用保険の力を借り公認心理士の資格を取って、祝詞を使役したい。人生プラン3。世界で一番愛している恋人の苗字を騙り、毎日人の為に料理をつくってコーヒーを淹れ、漠然とバイトを続けながらZINEを出したり自費出版カセットテープを出したりして暮らす。

 プラン1、2、夢物語。だいいちやる気が感じられない。プラン3、他者に依拠しすぎだ。すべき努力が分からない。
 未来のことを考えると鬼にウケる。

 とにかく生きねばならない。短歌の写経をしていた。一番好きな歌人は千種創一さん、東直子さんも好きです。毎日写経をしていると、自分の凡庸さに打ちひしがれられて最高だ。

 3年前に福井の白山神社近くにある古道具屋で買った二枚歯の下駄がそろそろ限界だ。次は郡上下駄を履く。あとは信念のある数珠をみつけたい、円環になっていてブレスレット状の。できればブラックオニキスなんかの。誰かしらの祈りが込められてるやつ。すなわち「文脈」をもつやつだ。そしたらパチュリの香水を纏ってBOTCHANの風呂敷背負って、岐阜和傘回しながら郡上下駄鳴らしてお散歩するんだ、夏を。いいねえ。やりすぎくらいが丁度いいのだ、夏は。

 お金が減ったり増えたりするところを見ていると、気分が悪くなってくる。この世はすべて、あっちの世界の金魚が泳いでいて、中央分離線を超えたトリガーがきっかけで変動しているだけにすぎないのに。お金をことを考えていると、さもしい気分になってくる。

 満員電車の中で本が読めない。象徴的な事象を前に脳が滑り目が泳ぐ。こういうときに読むものはエッセイに限る。ということで、ゆるふわ無職くんの『徘徊する肉塊』を読んでいる。「いや、読んでなかったのかよ」「今更だな」と思われるだろうが。
 そういえばウチにもあった、謎のサプリ入りご飯。ウチは黄色くて透明の、グミみたいなぶよぶよだった。自家製米かつ保存方法が原始的ゆえに、沸きまくる蛆虫でプロテインチャージとのコンボだった。
 懐かしい。
 
 実家の整頓が終わった。完全に、終わった。アパートに運びきれなかった大量の本や衣料品はリサイクル・ショップで引き取ってもらい(存外いい値段になった)、すべてのゴミをまとめ、粗大ゴミの処理を終わらせた。今まではずっと「まあまだ処分作業があるから」と多少ズルズルと癒着していた実家だが、もう帰る理由はなくなってしまった。
 実家はリノベーションを経て、結婚した従兄弟の新住居になるらしい。内実共に、私が帰ってもよい場所は、この世界にはひとつも無くなってしまった。

 認知症になった祖父の顔は見られなかった。陽当たりのいい縁側、私がよく雨の音を聴きながらゲームボーイ・アドバンスをしていた縁側に、小さくなった背中が歌っていた。無性にシャッターが切りたくなったが、そんなテロルを働ける力は残っていなかった。

 祖母に実家の鍵を返した。次に会うのはきっと遺影の中なのだろうと思ったら握手を求めていた。絶対に嘘なのに、「またね」と言った。いつまでもいつまでも「元気でいるんだよ」「ちゃんとごはんを食べるように」「病院に行きなさいよ」とこちらの心配ばかりで、だからこそこういう人を憎む私側に大いなる欠陥があり、私ばかりが悪人で堪らないと落ち込むのだ。生きていてごめんなさいね。

 疲れた。帰ってきた街は暑すぎる。梅雨前に38度。夏に殺されたら本望だ。

 シリアルエクスペリメンツレインみたいな髪型のおばさんがいて、うれしい。都会っておもしれ。

 明日は恋人がライブをするらしい。丁度名古屋の職場から歩いて10分くらいのところでやるので、仕事終わりに観に行こうと思う。前売り3500円、当日4000円の海外アーティスト、そのオープニング・アクトを務めるらしい。
 主に2つの理由から気が重い。
 ひとつめ。これ以上、格好いいと思いたくない。端的に言って、もう充分好きすぎるのだ。これ以上格好がいいと、どういうふうに接したらよいのか、どういう顔で話しかけていいのか、わからなくなってしまう。惚気ではない、真剣に困っている。本当に辛いのだ。もう充分好きすぎるんだって。
 現に恋人の前ではよく分からないことをポロポロと言ってヘラヘラしている。新種の鉱石を見つけて固有名詞ニウムと名付けたいとか、ローマの天文学者になってあなたの星座と神話を作らせてくれとか、そういうことしか言えなくなる。
 我ながらキモいと思う。好きすぎるとキモくなってしまうのだ、私は。何事も程々が丁度いいのに。
 学生の頃も好きな人に対して、「こんなに格好がよくなくていいのに」と嘆いたものだ。私が好きになる人は、私だけが魅力をわかっていればいい。魔法が解ける前の蛙のままで、棺桶の中まで愛し貫きたいのだ。
 ふたつめもややこの傾向が暴走している気配があるが、これ以上の人間的立場の差異を、恋人に対して感じたくない。
 コンプレックスでグラグラに煮えている。これ以上あなたが素敵な人間で、私が何も成せないツマンナ人間だということが露呈してしまうと、私とあなたが「恋人」という契約をもってして側にいるという現状に、無理が生じてしまう。

 ライブが終わってから何も書けなくなってしまった。
 カッケかったな〜。世界一カッケ〜。世界一カッケ〜人と恋人同士なのスゲ〜。ありがたいぜ。

 私も頑張んなきゃなあ。何もできてなくて悔しいぜ。このnoteも書き切るのに1ヶ月くらいかかってしまった。何もできていないのに朝5時だ。仕事の電車までにうまく起きれるだろうか。

 明日働けば4連休。

◯今日の音楽

 みんな、柴又聴いてる〜!?

 夏は、柴又。

 大好きだ。酔ってニコニコしながら聴いていたらWiFiが繋がっていなくて月初めから通信制限になってしまった。

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