似てるようでも、やっぱり違う、体験と受け止め方

すごく、難しいことを去年から実感しています。
自分にも被虐待経験もあるから、わかってるつもりでいたものの、やっぱり人によって受け止め方がまるで違う。
頭ではその体験談を分かっていても、きちんと傷つけないよう対応できたかといえばきっとそうじゃないことがとても多くて、虐待問題に関わるようになってから考え悩む日々が増えたように思います。

毒親アートフェスという発信

過去4回続けてきた毒親アートフェス。
考えに共感して参加、協力してくださった多くの方がいて、また次第に離れて行く方もいて。
私の根底の考え方にはやっぱり「虐待防止活動なんて必要ないくらいの世の中になってほしい」というのはあって、いずれこの毒親アートフェスもなくなるつもりで活動はしています。
でも、そういう意味ではなくて人間関係のねじれや何らかの形で攻撃的になっている人も少なからずいて、とても悲しい思いと同時に自分の未熟さや無力さも突きつけられてきました。
かといって専門的に心理、精神、また医療や制度について学んだわけでもないしガバっと知識を学ぶほどの余裕もありませんが、知識は少しずつ拾い集めている感じです。
期待に答えられないことも多くて、気を病むことも少なくありませんでした。

似てること、そして違うこと

身体的な虐待のつらさ、精神的な虐待のつらさ、また性的な虐待のつらさ、金銭や教育、ネグレクトなど…
似た経験をしていると「あーわかってくれる」と思うこともありますし、光栄にもそう思っていただけることもあります。
でもやっぱり受け止め方も違うし、度合いも異なる。
日常的に殴られていた人もいるし、刺された人や首締めなどされたもいる。
毎日ちくちくと「できない子」と言われる人もいれば、ひどく罵倒された人や、人前に必ず「うちの子なんて」と蔑まされた人も。
親に性被害にあった人もいるし、親に性的なことで働かされた人もいる。

それでも「心に傷を負った」ことだけは変わらなくて。
そういった話を聞くたびに、どうしても心は持っていかれる。
悔しさとか。
中には「恨んでない」という人も少なくなくて。

私自身も虐待されたとは思っていても、やっぱり人の話を聞くと「自分と違う経験や考え方」に驚かされることも少なくないです。
自分の思いはこうだしやっぱりひどいよねー!って言えたらいいのですが、こういう性格なもんでなかなか。

つらかった体験も、その思いも、全部その人のもの

きっと自分には話を聞く、それしかできません。
たぶん回答は出せません。
もちろん話が聞けないこともあります。最近調子崩すことも多いので…
自分の無力さがちょっとだけ恨めしい本日、少し発散気味に投稿してみました。
でもまだ諦めたいとは思ってないです。

ここまで読んでくださりありがとうございました。 もし活動にご共感いただけましたらサポートいただけますと幸いです。