私とヒラサワ②沼に落ちる

かくして2006年にヒラサワ音楽と出会った私。

気付くと平沢進にどっぷりのめり込み、賢者のプロペラに続き、夫の車にあったBLUE LIMBOを聴いた。相変わらずの宗教ぽさの中で「狙撃手」が好きで「DDT」の部分はこまでがDでどこからがTか?と夫と何度もリピートして聴いたものだ。

並行してニコ動でヒラサワの動画を漁っているといくらでも出てきた。特に世界タービンのMVのインパクトはすごかった。「公式がMAD」というタグに笑った。

賢者のプロペラのインタラDVDを買って、車内で一人で食い入るように観たことをよく覚えている。
私はアンコールのtown-0 phase-5の最後の最後、「イン」と唐突に止めて照明を消すと同時に「ヤーアァ」と歌うシーンの瞬間、

「私はヒラサワと一生出会うことがないんだ!!!うわーーーあああ!!!」

と言う言葉が雷のように落ちてきて、号泣した、号泣した、何度も観ては、ヒラサワと出会うことはないのだと号泣した。20歳の感性は凄まじかった。

記憶がおぼろげだが、次に買ったのは白虎野だった気がする。
白虎野、ソーラレイ、オーロラ……学生でお金がなかったのでたくさんは買えなかった。
とにかく平沢進ソロばかり買っていた。P-MODELはベスト盤だけ持っていたが、当時はピコピコ音より、ソロの重厚さが好きだなあと思っていた。知らない曲はまだまだたくさんあった。

その後、私は大学を卒業し新卒で働いた。
思い出すのも苦しいがかなりのブラックだった。自己啓発セミナーが大好きな社長で、あちこち行かされてはレポートを書かされたり、社内で発表し合ったりした。入社して1ヶ月も経たないうちに嫌で嫌で、毎日転職サイトを見ていた。

そういう苦しい日々を支えてくれたのはヒラサワの音楽だった。毎日パレードを歌って自分を鼓舞していた。

phonon2550のDVDには支えられた。賢者のプロペラ3を初めて聴いたのだ。原曲を速くアレンジしたのも、ピッコピコなのも大好きになっていた。なんてすばらしいアレンジだろう!!!と、鼻血を出さんばかりに興奮したし、何度も聴いた。もちろんCDも買った。賢プロ3はDVDのみ収録だったので何度も何度も観た。

好きな曲が増えるうちに(ほとんどが好きなので好きな曲ばかりなのだが)、ライブに行きたいと思うようになった。至極当然である。

phonon2551の開催が決定し、仕事があろうがなんだろうが絶対に行くことにした。今とは違ってチケットも取れた。

今これを書くにあたり開催日を振り返ると、金曜と土曜であった。
私は木曜と日曜が休みだった。
ブラックなので有給なんてありえない。
いつ参加したのか、全く覚えていない。とにかく、私は夫と参加したのだ。

鶯谷の東京キネマ倶楽部。行列は橋の上に及び、山手線やら何やらの電車が過ぎるたびにユラユラ揺れた。
初めてのスタンディングライブ、初めての整理券方式、そして何より、初めてのヒラサワ。

会場ではだいたい前後左右ど真ん中ぐらいの位置になった。1000人ぐらいの会場だったように思う。人はどんどん埋まっていく。皆黒い服ばかり着ている。ここにはヒラサワファンがこんなにもいる!!!!

そして……ライブは始まった。

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