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変わること・変わらないこと

ニョロニョログッズ完売にショックを受け、帰りの電車の記憶をなくした浅井です。肩を落とし過ぎて肩がなくなりました。

絶望

顔面のパーツがすべて重力に引っ張られて垂れている人間がいたら、それは私です。

妄想癖のある三十路へレベルアップ

2月に30歳になりました。
一番変わったのはお肌が乾燥するようになったことです。
油ギッシュな若き頃だったのですが、最近はお肌が乾燥しクリームを塗るようになりました。
30歳に近くなると肌の質感が変わるというのは聞いていましたが、マジです。
そのために似合う服も色も変わってきて、ちょこちょこ買い替えしています。

それ以外はあまり変わっていません。
人間社会から見ると成長のないやばいやつということでは?とほのかに危機感はあるものの、変わらぬ良さもあると信じて突き進みたいです。
確かに言動や行動は怪しいですが、誰も巻き込んでいないせいか「無害な変人」として遠巻きに見守られている感覚はずっとあります。ありがとう。

おそらく私生活の環境が変わろうが、世界にゾンビがはびこっても、根が変わらないタイプの人間だと思います。
どの世界線でもリュックに岩ピクミンを縛り付けて外を歩いていることでしょう。

人類の中堅

20歳くらいなら許されていそうなことが、"30歳"という言葉が付いてくると許されなくなってくる気がするのはなぜでしょう。
すべてに"責任"という言葉がのしかかってきます。つまりは人類社会の中堅です。

・遊園地でパンダロボに乗って満面の笑み(30歳)
・10年間同じぬいぐるみと寝ている(30歳)
・時間があると握っていた幼少期から大事にしていたタオルが粉になった(30歳)
・ベイビー向けのムーミンリュックでムーミンバレーパークへ(30歳)
・ビール片手に夜の公園でパンダに乗り遊ぶ(30歳)
・毎朝ヨーグルトは噛むのか噛まないのか悩んでいる(30歳)
・ハンギョドンくじで欲しいものが当たらずふて寝(30歳)

眺めていて気が付いたのは、6歳のころと行動がまったく変わっていないところです。
成長すれば勝手に成熟した大人になれると思っていましたが、どうやらみんな己の努力で大人になっているようです。
人類の中堅になった今、自分にできることを考えるフェーズになってきました。

昔何かで「それぞれの時代の人間の"大人"は、平均寿命の3分の1の年齢にあたる」と聞きました。
昔の日本だと元服…15歳くらいで、そのときの平均寿命は40歳くらいでした。百姓はもっと短かったはずです。
今の平均寿命(女性)は87なので、3分の1にあたるのは29歳です。

つまりはどちらにしろ"何か"既に成熟している年齢にはきているようです。

結局"大人"ってなんだ?

二十歳になる前から考えてきましたが、未だに明確な答えはありません。
我慢すること?人前でギャン泣きしないこと?雨の日の駅のホームで傘を横に持たないこと?
なんだか私はこのままノボーンと呼吸している気がします。

自分より年上の人に「すごく子どもっぽいな〜」とか、自分より年下の人に「何食ったらそんな大人になれるんだ…」とか感じるときってありますよね。
自分の住む日本での"成熟した大人"は"他人に迷惑をかけない人・考え方がしっかりしてる人"のイメージがあります。

でも私は今でも他人に迷惑をかけてしまうこともたくさんあるので、大人かと言われると微妙です。
せめて迷惑をかけられたときには許すことのできる人間になりたいなあと思っています。

20代、そして30代の青春

20歳になったころはまだ大学生で、青春の終わりごろです。
青春には2種類あると思っています。
恋をしたり友情を築いたりする青春と、好きな事に打ち込む青春です。

私は生まれてからずっと好きなことをしまくる青春人間なので、幼少期から30代に突入した今もずっと長い青春が続いているような感覚です。
私の青春が終わるのはいつなのでしょう。

「対峙」の字が間違っているのはご愛敬

20歳になったときはまだ気持ちがトゲトゲしていて、何もかもがセンシティブだったように思い返します。
良くも悪くも細かい事に心がかき乱されていた気がします。

楽しいこともたくさんあったけれど、自分がどうなっていくのがわからない不安と焦燥感があって、暗い気持ちになることも多かったです。
20代後半に近づくにつれて、自分のやりたいことや出来ることが明確に分かってきたせいか、気持ちが楽になりました。
見えない未来に対して不安を持つことを諦めることができたのは大きかったです。

諦めるということは悪い事だという印象がありますが、執着を手放すという意味でとても楽になります。
特にネガティブな方向性の感情ってすごく体力がいるので、それは手放して、パワーになるポジティブな感情を大事にすることにしています。

自分にどうしようもないことに執着することをやめるのは、少し仏教的な考え方かもしれません。

20代はじめは、自分自身への興味が深くなっていったことが苦しみの発端であり、それを解決した今の穏やかさにも繋がったと感じます。
あの時のトゲトゲした感じはもう経験したくはないけど、がむしゃらなパワーに満ち満ちて輝いていました。
おそらくみんなそうだと思います。
もしかしたらあの瞬間の痛みと輝きを青春というのかもしれません。

シニアカーを魔改造して捕まる未来と将来への抱負

30歳を迎えて、今が一番楽しいです。
どんどん人生が楽しくなるのでオババになったときはドーパミンとエンドルフィンの出過ぎでシニアカーで爆走してると思います。

社会不適合者ではあるものの、それを受け入れてくれる職業と環境にいるので呼吸するのがとても楽です。
それに怠けぬように精進するのはもちろんですが、一方で多少肩の力を抜いたまま生きていきたいと思っています。

毎日ボロPCの前で漫画を妄想してニヤニヤしている
結局ユーチューブで生き物動画を見ている

社会に出て8年ほどですが、クリエイター系の人だけでなく、いろんな人が「力んで突き抜けて壊れる」…みたいなのを目にすることが何度かありました。
なので「適当ぶっこいている貧乏作家の端くれ」でも楽しく生きていることを示すのは大事なことだなと30歳になった今、特に思うのです。
たまにはテキト~になってもいいんじゃないかなあ…的な。
真面目な人が多い社会ですよね。

私は周りの良い評価も悪い評価も関係なく、自分の価値は自分で決めることを大事にしています。
社会の決まりも何も関係なく、適当なことを言ってヘラヘラしている姿を見せ続けることは、誰かの肩の力を抜く一助になるのではないかなと思っています。

やりたいことを頑張る

私の周りの年上の人々は「まだ若い!なんでもできるじゃん!身体動く内に好き勝手しろ!」と言うので「30歳はまだまだこれからだぞ!」ということだとも思っています。
自分で自分の好きなことに全力を出せる、悩みの少ない最後の時期なのかもしれません。

30代も大事に楽しく過ごそうと思います。