京都 徘徊つれづれ 2日目 その1

■まずは、近所の「角屋もてなしの文化美術館」へ

あー。結局ロクに眠れないまま朝を迎えてしまった。悶々。昨日買った揚げ餅を食べたけど、これがあんまりうまくない。弱り目にたたり目。サンドイッチはフツーだったけどね。ふだんと違う食生活に身体がいろいろ反応しているのかもなあ。いつもは、ご飯、みそ汁、漬け物少し、焼き魚、焼き海苔、生野菜が定番なのでね。ふはふは。
「角屋もてなしの文化美術館」が開くのは10時だから、かなり間がある。なので横になってゴロゴロしてたんだけど、ついに睡魔はやってこず。おまけにテレビのニュースはつまらない。のまま、9時40分頃、気さくな女将にいとまを告げ、角屋の周囲や、とくにどうということもない島原住吉神社あたりをよろよろ徘徊し、5分前ぐらいに角屋に行ったらちょうど館の方が看板を出しているところ。いいですか? 聞くと「どうぞ」というおおようさで中へ。2階の解説は10時15分からというので、それまで1階の美術館をちらちら見て…。でもね、正直いって掛け軸とか漆塗りの食器だとかはただ古くさいものにしか見えず、価値の分からない素人にはあまり興味が湧かないのよね。
さて、時間になったので案内にしたがって奥へ。中庭では柱の傷を「これ、新撰組が脅しのために斬りつけた跡」と、こともなげに説明してくれる。さらに進んで広い台所みたいなところから靴を脱いで上がり、2階へ。
角屋はいわゆる揚屋で、料理屋のようなところらしい。客がやってきて「女を呼べ!」、それに応えて島原の遊女を呼んで酒肴を供し、飲めや歌えの饗宴が。最後は客は遊郭へ。てな感じなのかな。
内部は華美のまま残っているかと思いきやそれほどではなくて、有名な絵師の手になる襖や壁もおおむね蝋燭のススでくすんでるし、ところどころ破けていたりする。とはいえ緻密な技が凝らされた障子格子や遊び心の見える襖の引き手など、細かな意匠がありし日を偲ばせてなかなか興味深い説明がつづいたのだった。
一緒に解説を聞いたのは、大阪からやってきたという妙齢の娘ひとり旅人。それと、京都のどこかからやってきたという中年の夫婦連れだったかな。説明のオジサンは角屋の由来やいわれなどもろもろ熟知してる感じで、よく見かけるような、テキスト通りのセリフを話すだけな感じではない。ときどき質問を挟んでも答えてくれるのがうれしい。一方的に聞かされるだけじゃつまらんものね。
さて、2階が終わると1階の広い台所にうつり、説明人は痩せぎすのオジサンにバトンタッチ。2階座敷での饗応に台所が対応したことなどを説明してくれる。天井から吊りさがった和紙張りの傘があって、そこに蝋燭が灯されたらしい。蝋燭は上しか明るくしない。いくら炎が傘に反射しても、たいした明るさではなかったはず。それより、火事が気になっちゃうね。それと 小さな神棚があちこちにあったりするのも面白い。
他に興味を引いたのが2階に上がる手前の壁の刀掛け。大刀を差してやってきた浪士や新撰組の面々も、ここで人斬り包丁を預けるのだという。近くには刀箪笥なるものがあり、刀掛けから移して仕舞ってしまうらしい。なーるほど。これで斬り合いを事前に防ぐということか。
ほかにも、棚の上に置かれた黒い小箱は提灯で、客を送り出すときに使ったとか。火事が発生した際のために壁に鳶口が掛かっていたりもする。そんなこんなで11時40分頃まで、いろいろと興味深い見学と解説だった。

■さて、いさんで向かうぞ嵐山、だが…

嵐山って、川と橋があるだけだろ、という印象しかないけど、京都観光っていうとなにかと嵐山が登場する。であれば一度ぐらいは見ておいてもバチは当たるまい。という程度の動機なんだよね。で、まずは最寄りのJR丹波口駅に向かったんだけど、通りに出たらあたりには町工場もあるし、少し歩くと巨大な青物市場が目に入った。そうか。このあたりは古都京都の周辺地域になるのか。駅の周辺にとくに繁華街は見当たらず、チェーン店の看板がいくつかある程度。華やかさはほとんどない。駅ホームに上がり、京都市内を見やると思いのほか狭く、高層建築もみあたらず、背後には山。京都は山に囲まれた盆地なのがよく分かった。
さて。地図をみると嵐山周辺にはJRの嵯峨嵐山駅、嵐電の嵐山駅、トロッコあらしやま駅、がみえる。とりあえず目指すのは嵯峨嵐山。もくろみとしてはJR線の北側にある大覚寺、大沢池、広沢池、さらに念仏寺あたりの嵯峨野とゆったりふらふら。余裕があったら渡月橋も、な気分だった。ところがのっけから派手な勘違いをしてしまった。嵯峨嵐山より次のトロッコあらしやま駅の方がアクセスが良さそう、に見えたので嵯峨嵐山で降りなかったのだ。ところが列車はなかなか停まらない。やがて車窓から家並みは消え、緑豊かな景観が車窓に広がって、着いたところは深山渓谷の保津峡駅であった。おいおい。
だって、地図で見ると嵯峨嵐山の次の駅はトロッコあらしやま、に見えるんだよ。黒白で表されてるJRの線路の上に、ちゃんとトロッコあらしやま、という駅名が白い四角で乗っかってるのだ。これは誰だって間違えるだろ。ぷりぷり。

ピンクはマーカーの跡だよ。

しかし悔しがってももうおそい。もちろん保津峡で降りて、逆方向の列車を待った、のだけれど、なんとこの駅、無人駅なのだ。観光地である嵯峨嵐山の次の駅が、こんな山の中とは思わなかったよ。
ホームの下には渓流。遠方の深緑の中にちらりと見える赤い橋は、あれはトロッコ列車のものか。なるほど、この景観がつづくのであれば、宿の女将がトロッコ列車を勧めてきたのも納得だ。
向かいのホームを見ると、カヤックを抱えたオッサンがいる。ここまで下ってきて、再び川の上流へ向かうのかな。ご苦労さん。京都方面に向かう同じホームには、白い日傘の女性がしゃがみ込んでなにやらしている後ろ姿が。ちょっと意味深な感じ。5月といえど陽射しは初夏のように肌を焼くのだった。


■みんなが行くから、竹林の小径へと…

やれやれな、やっとのこらさで到着したぞ、嵯峨嵐山。降りるとすぐにトロッコ列車の駅があって、そうか、トロッコはここからスタートするのか。は、いいんだけど「本日運休」の札が下がっている。トロッコという選択は呆気なく消えたぞ。
さて、人の流れは駅北側の嵯峨野ではなく、どうやらかの有名な竹林の小径に向かっているらしい。そうか。近くならさっと寄って、それから嵯峨野にしようか。ところで、嵯峨野の文字をみると、十割蕎麦の嵯峨谷を真っ先に連想してしまうんだけど、嵯峨谷と嵯峨野は関係があるのか否か、なんて考えているうちにそれらしきエリアに入り込んでいて。でも、ガイドブックの写真のような趣はこれっぽっちもない。そんな竹藪のつづくだけの道に修学旅行の中学生なのか高校生なのか、が、うじゃうじゃ這いずりまくっている。かと思うと振り袖着物のお嬢さんにカメラを手にしたおっさんが10数人レンズを向けている。これは撮影会? こんなところで、こんなことしていいのか? と思えば一家でやってきて何かのお祝いなのか、他人のことは一切無視で子供を中心に道に広がって撮影タイムの面々もいる。もちろん人力に乗った着物姿のカップルも行ったり来たり(人間とは別の小径を区切って使っていた)してる。これはまるで原宿の光景ではないか。その手の観光ガイドに載っている、森閑とした竹の小径の佇まいはどこにもないぞ。
竹林は意外に奥深く、迷路じゃ〜。方角分からず歩いていると、お土産屋だのスイーツの店だの呼び込みの多い一角にやってきて、抜けたら大通り。これが本来の入口だったのかな。の周囲には、どっから見ても「観光地でございます!」なお土産屋が何軒も連なって、修学旅行の少年少女がアリのように群がっている。げげ。これじゃあ質素堅実な昼飯はムリだな。と思っていたら天竜寺の看板が目の前に。そういえばこの寺が嵐山の目玉だったっけか。まあ、せっかくだから入ってみるか。と入口へと向かうのであった。

※↑これ、Googleストリートビューでは人まばらで趣ありそうに見えるけど、行ったときはこんなもんじゃなかっただよ。


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