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例えば貧しい青年が1人のボロい布切れを羽織った少女に出会う。
青年は少女と目が合って、しばらくお互い見続けていたけれど、お互い何も言わない。
青年が目を逸らして歩き始めると、少女も後ろをついてきた。
青年の歩幅で言う3歩後ろを、少女の歩幅で精一杯に。
青年はその気配に気づいているけれど、しばらく無視して歩くんだ。
それでも少女がついてくるものだから、さすがに後ろを振り返って見る。
少女は3歩後ろで立ち止まる。
なんでついてくるんだと問いかけても、少女は何も言わない。
呆れた青年はため息をついて、もうついてくるなと言う。
少女はうつむいてその場に立ちすくんだままだ。
それでも青年が歩き出すと少女もまた歩き出した。
しばらく歩いて、青年は仕方がないからと通りかがりのパン屋でひとつ、その店でいちばん安いパンを買って少女に与えた。
すると少女は両手でパンを受け取り、その時初めて、青年に笑顔を見せるんだ。

その笑顔を見て、青年はどういう感情になったと思う?

そりゃあ、嬉しかったんじゃないの。
自分もお金がないけれど、安いものだけれど、少女は喜んでくれたってことでしょう?
青年もつられて笑顔になったとか。

僕は違うと思う。

じゃあなに?

きっと眉間にシワをよせて、少女を蔑んだんじゃないかな。

そんな冷たい想像ないわ。

そうかな。貧しさが心を蝕むのか、心が蝕まれているから貧しいのか。その濁った感情は身を滅ぼすよ。同じ貧しい人間を見ると自分を見ているようで笑顔になんかなれないと思う。

じゃあ金持ちを見たら喜ぶの?

金持ちには妬ましさや羨ましさで自分との差をより感じて嫌悪感を抱くだろうね。

どっちも嫌いなんじゃない。

そうだよ。結局、人に好意を向けることができるということは、少しばかりでも心に余裕があるということだと思うんだ。
貧しさの中に幸せを見つけられる者、自分と他者との間に線を引いたとしても、それを上下ではなく横並びで考えられる者、それぞれ余裕の表れだよ。
そしてさらに言うならば、"貧しさ"にも色々あるだろ。君は貧しいと聞いて金銭のあるなしで彼と少女を並べたけれど、少なくとも青年の貧しさは『心』の可能性がある。
そうだとすると尚更、って話だよ。
どちらにせよ、僕は青年が少女に笑みを返す想像はできないな。

それこそ心の貧しい人間のこじつけじゃないの。

確かにね。
僕はそもそも少女にパンを買ってあげたことすら"青年が少女から逃れるための術"だと思っているけれど、
"漏れた優しさ"や"純粋な慈しみ"とか、そういうことかもしれないしね。

じゃあ、こんな貧しい人間の心を動かせるような何かを、君は知らない?

私が微笑みかけるだけではダメでしょうね。
美味しいパン屋を知ってるから連れていってあげる。

きっとおごってはくれないんだろうな。

よくわかったわね。

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