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近しい人より見知らぬ人の方が自分が何を考えているかを知られても平気。学生のころは見てもらえる事にすごく喜びを感じていたから、例えばmixiの日記とか、友人や同級生が多い中ですごく書いていたと思う。

でもそれが大人になるにつれてだんだんキモかったんじゃないかと思うようになってきた。あの頃のアカウントはもう消してしまったし、何を書いていたのかもぼやっとしか覚えていない。覚えているのは政治経済の授業ででてきた単語の数々を使ってしょうもないヒーロー物語を書いたことぐらい。(どれもこれも必殺技チックだった。ビルトインスタビライザーとか。やばい。どういう意味か忘れてしまったけれど、単語だけしっかり覚えられるタイプのやつ。)
リアルとか、前略プロフィールとか、私はやってなかったけれど、ああいうのを同世代がやってたよね~(笑)恥ずかしい~(笑)と言い合うのと大枠は同じだけれど、表に出せる黒歴史と出せない黒歴史に分けられるというか。

知人に見せられる”恥ずかしさ”の許容が、私はかなり狭いだけかもしれないが、自分に置き換えたときにそれは表立って言えないよ!ってことでも平気で話している人を見るとシンプルにすごいなと思う。

YouTuberとか、顔も名前も知られている上で動画の面白さの為に恥をかいたりしている。それを恥とも思っていないか、心を切り売りしているか。芸人だとこれは『芸事』になるから、あまり考えたことはなかったけれど(もちろん限度はあるけれど。最近は特になにをもって『芸』とするかみたいなところも議論になっていたりするんでしょう。難しい。芸人さんでも人だからね。考え方のテコ入れがされているような感じ。)YouTuberも同じなんだろうか。

私生活でカメラを回して、こういうことしてますああいうことしましたあれが好きでこれが嫌だった。視聴者が見ているのはその人を形作るほんの一部のことだったとしても、なんだかすごい。

あるインフルエンサーが、結婚して、子供が出来ても全部をさらけ出してみんなに見せていきたいと言っていた。

これも身近な人に対してより、不特定多数の本名も顔も知らない人を意識しているからそう思えるのかな。そして見せられる部分が私より多いだけって話だろうか。

何を恥とするか、みたいな曖昧な線引きを自分とみんなとで合わせようとは微塵も思っちゃいないが、昔の数々の行動を人に話せない若気の至りとしたいことが増えたというか、、、でもそれってこのSNS時代ではあんまり気にしなくていいことなんじゃないかって思ったり。

いやあでもどこが火種になって燃え盛るかわかんないしなあ。煙のないところにも火が出る世の中だよなあ。

まあ恥とか言いつつこうやって場を変えて私もたらたら書いているわけだけれども。恥の上塗りだとは思っていない。知人はここを知らないから。
私にとってはそこが鍵になっているから、どこに行った何をしたとリアルな友達が見るインスタでストーリーをあげまくって上の線が点々になってしまう人らとは違うんかなと思っているけれど、SNSを全くしない人からしたらどっちも同じだよな。

何が言いたいかわからなくなってきちゃった。
言いたいことをまとめるのが下手すぎてTwitterでは収まらないし、でも2000字を超えるような文章をドカドカあげていくのもキモいんじゃないかって思ってnoteを選んでいる。心の拠り所。は言いすぎかもしれん。

それが、ストレングスファインダーをやってあなたの考えてることを周りの人に知ってもらいましょうなんて言われちゃって、えーいいのお?って調子にのってインスタに2000字あげた。意外と文字数いけるんすねインスタって。言ってることとやってることが違いすぎてウケたけれど、2000字あげたことによって私の”恥”と”SNS”について考えがぐるぐるし始めたのでnoteに帰ってきて書いている。

インスタでは当たり障りのない近況を我ながらチャーミングな文章で書いたけれども、友人にはなかなかに好評だったのが素直に嬉しい。

だが調子に乗りすぎてはいけない。キモいことを繰り返してはいけない。頻度が大事。

私の戒めとぐるぐるした考えを編集後記としてここに残すことにする。

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