LIFE IS BEAUTIFUL


ずっと大好きなバニラズの横アリ公演へ。
過去から含め振り返り。

今まで見てきたバニラズのライブで1番かっこよかったと思った。
バックスクリーンに映し出される映像たちは、一歩間違えたらフリー素材の寄せ集めかな??って感じもしてしまうかなと思ったけれど、私は何歩も間違ってなかったと思う。すごく良かった。ライブは本人たちを生で見られる最高の機会であることは間違いない。それでも演出や映像に目を奪われるというのは、生歌と合わせて空間ごと楽しめているようで私はとても好き。

最近でこそ大きいハコでやるようになったから演出、照明も凝ったものができるようになったんだろうけれど、今まではライブハウスでしかなかったから、ああ、このバンドは、この人たちのチームはこういう表現をするのかって新鮮な気持ちだった。
サイズが小さければそれだけ熱気がこもって直接的に滾りがわかるし、当たり前にその場その場の良さがある。私にはサイズが広がっていくにつれてなんだかこう、天井に全部が集まっていく感覚がいつもあって、ライブ中、どんなに歌っていようがMCが話していようが天井を見上げてしまうクセがある。何かが可視化できているわけではないけれど、ステージよりも、客席よりも、そこに何かあるような気がしている。
今までは客側も高まりを声に出して表していたから、そういうのも合わさって上を見るのが好きだった。その分、今は少しだけ薄いかもしれない。
それでも。

今よりも先の見えなかったコロナ渦で去年の武道館を泣く泣く諦め配信で見た。もぎりのされていない特別デザインのチケットはそのまま大事にとってある。バンドにとって成長の証になる記念公演はどれも行ってきた。もちろん当たり外れの妙はあるから全部が全部ではないけれど、『ここまでこれた』と牧さんがステージ上で言うのを、生で聞いてきた回数のほうが多い。


バニラズはMCが下手だ。たかがいちファンが何を上から、とも思うが、何年も見てきた上でずっと変わらず思ってきたこと。こういうことを考えていると一生懸命伝えようとしてくれているのはわかるが、フロントマンの牧さんでさえ言葉の紡ぎ方に突っかかりがある。牧さんは曲の詩ではどこからでるのか、突飛で面白い言い回しをするし、プリさんの作文力は羨むところがたくさんある。漫画や本好きでいらっしゃるからか語彙が多彩。その面を少なからず知っているからなおのことライブMCが目立つように感じる。

すごく人間臭いと思う。きれいなことをきれいなままで言えない感じが。
私が薄情な人間であることが大きく影響しているだろうが、あまりにもきれいに語られると冷めてしまう。愛してるだの今だけは辛いこと忘れてだの、せっかく好きなアーティストが目の前で自分に向かって伝えてくれているのに、心に刺さらないことが増えた。本当にひねくれている。
メンバーたちが伝えたい思いと、私の受け取り方にはだいぶ差があるんじゃないか。
きれいなまま受け取っている人たちのほうが多いだろう。それでも結果的に私は良いと思っている。そこがまた魅力だと自信を持って言える。


横アリ公演の途中、進太郎さんが声が出なくなってしまったかなんかでステージ上に戻れなくなったとき、明らかに残されたメンバーに動揺が見えた。(セイヤさんは割と普通な気もしたけど。)
結局進太郎さん加入前の曲をやることで時間をつないで、すぐ戻ってきてくれたから続行したけれど、その動揺にも愛らしい人間臭さを感じてしまい、こういうとき何事もなかったように、あたかもそれも含めて演出ですよというように乗り切れる方もきっといらっしゃるし、それができたなら完璧だと思う。めちゃくちゃかっこいい。でも、そうならないのが今のバニラズの良さだと思った。
イケてるギターメロがない、カラッとしたアクロスザユニバーシティ。

3人でできることでつなぎきったことよりも、この4人のうち1人でも欠けたときにどうなるのかを生生しく目の当たりにできたことに感動した。

その流れで3年前くらいにプリさんが交通事故でしばらくライブに出られなかったときのことを思い出した。バンド復帰はおろか本人の意識が戻るかもわからないと言われていたあのとき、フェスなどを辞退ではなくサポートを入れることで活動を続行した。横アリの公演時以上に終わりの見えない、予想もしなかった出来事。彼らにとって大事な同志たちが協力してバンドは走り続けていたけれど、最悪のケースなんていくらでも想像できただろうな。
あくまでもサポート、どうしたって『そうじゃない』と感じてしまうこともあって当たり前だ。そしてそれはファンよりメンバーのほうが強かったんじゃないか。戻ってきてくれて本当によかった。

セイヤさんに関しては今までも含めてずっと、『バニラズの曲調といえば』みたいなものに合わないスタイルをしているのに(私の偏見である。)なぜかどの曲でも聞けばかっちりとハマっていて。横アリ公演と新曲のMVを見て、その見た目とプレイスタイルはいつだって”大事な違和感”だったなと改めて。私からしてみれば、個性というより違和感のほうがしっくりくる。決してマイナスな意味ではなくて、違和感だからこそ色とりどりな曲ができるし、なくてはならない人なんだろうと。
横アリ公演中、いつも通りパンクでロックな行動に出るセイヤさんに対して牧さんが言った。『お前はバニラズの宝だよ』
状況的に本音を本音のままというよりは冗談混じりのニュアンスで言った一言だったかもしれないが、確かに。と深くうなずいた。

バニラズの良さを語る上で欠かせないのは牧さんの声色だ。数年前までフェスのトップバッターをよくやるような、朝が似合うバンドだと言われていて、今もそうなんだけれど、最近はすっかり夜に溶けるようになった。夜に溶けてという表現は野音のときに牧さんが客席に向かって言った言葉。すごく素敵で、溶けているのはメンバーのほうなのになあと思ったことを今も覚えている。ずっと歌っていてほしい。

例えば、今回の進太郎さんのように、ライブ中牧さんの声が出なくなったとき、はたまたプリさんのようにどうしても長期的にステージに立てなくなってしまったとき、どうなるんだろうと考えた。
きっと進太郎さんが歌うんだろう。もともとサブやコーラスにしておくのはもったいないほど通る歌声の持ち主だ。メインの曲も増えてきたし、ツインボーカルであることが当たり前になってきた。いつでも主旋律を歌えるんだと思う。

それでもバニラズのフロントマンは牧さんしかいない。あの声があるからバニラズはバニラズたり得ると思っている。


ああ、なんと、一人ひとりの担う役割がこれほど大きく、多く、尊いとは。
言ってしまえば代わりはいるんだ。サポートを入れたら走り続けられるように、旧ギターの怜也さんから今の進太郎さんに代わったように。どんな人やグループやコミュニティだって、時間が経てば少しづつでも変化に順応していくもんだろう。
それを知った上で、それでもこの人でなければと、この人に末永くこの場にいてほしいと思われる、思わせてくれる。
すごいことだ。

わかっていたはずがわかったつもりになっていただけだった。直面したときのこのこみ上げてくるものはなんだ。バニラズに限った話じゃない、バンドに限った話じゃない、”必要”とはこういうことなんだ。



随分長く書いてしまった。それだけ深く記憶に残ったライブだった。
あれやこれやと好き勝手書いたけれど、我ながら、これは私が心にしまう最高のラブレターになった。

あの日得たこの感情に、幾久しく震えていたい。


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