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斎藤家三代にわたる動乱を描く、木下昌輝『まむし三代記』/文芸評論家・高橋敏夫氏による文庫解説を特別公開!

 美濃の「毒まむし」と恐れられた斎藤道三、その父である法蓮房と、道三の子の義龍。三代にわたる野望と戦いを描いた、木下昌輝氏による長篇時代小説『まむし三代記』(朝日文庫)が発売となりました。「国滅ぼし」と呼ばれる大いなる武器をもって親子二代による国盗りを成し遂げた法蓮房と道三、そして真実を知った義龍の決断――。著者独自の解釈を加えて繰り広げられる歴史巨編、文庫版の刊行によせて文芸評論家の高橋敏夫氏の解説を掲載します。

木下昌輝著『まむし三代記』(朝日文庫)
木下昌輝著『まむし三代記』(朝日文庫)

 まむし三代記。

 暗い輝きが幾重にもつづく、なんとも刺激的で、魅力あふれるタイトルではないか。

 このタイトルに魅かれて本作品を手にとった読者も、けっして少なくあるまい。わたしもそんな読者のひとりである。

 ピカレスク(悪漢、悪党)歴史時代小説というジャンルがあるなら、木下昌輝の『まむし三代記』は、タイトルからしてすでにそれを予想させる。灰褐色まれに赤褐色の体色で、鋭い毒牙をたてて相手に襲いかかり、親を殺して生まれてくるという俗説まである毒蛇「まむし」は、他人にひどく怖れられ嫌われ遠ざけられる者の、不気味な異名ともなっている。

 そんな忌むべき「まむし」が堂々とかかげられ、しかも「まむし」は一代でおわらずに、二代、そして三代とつづくというのだ。

 明朗快活で誰にも好かれ、裏表のない薄っぺらな英雄豪傑の物語など大嫌い、という読者に、タイトルどおりダークで大胆不敵、加えて奇想天外でときにユーモラスでもある『まむし三代記』は、うってつけの物語となっている。

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 歴史時代小説で「まむし」(蝮、マムシ)といえば、斎藤道三である。

 室町時代後期、応仁の乱のはじまった1467年からほぼ百年つづく動乱の戦国時代に、低い身分から並はずれた権謀術数をめぐらして次つぎに上位の者を倒し、ついにはそれぞれに頂点をきわめて「下剋上」をなしとげた者たち。その代表格には、道三、松永久秀、宇喜多直家が、戦国三大梟雄としてならぶ。

 とはいえ、三人のなかで、特に「まむし」と称され広く知られるのは道三だけである。ここには、司馬遼太郎の代表作のひとつ『国盗り物語』(1963~66年連載)が深くかかわっていよう。前編で道三を、後編で織田信長を主役にすえたこの作品で、道三は「蝮」とくりかえし、くりかえし呼ばれる。

 物語中、「美濃の蝮」との人々の陰口に閉口した道三は、「蝮なんぞで、あるものか」と抗う。「蝮は蝮でも、この男は人気のある蝮だった」と道三の善政を領民の側から讃えるこの物語は、刊行時の帯に記された「作者のことば」(『司馬遼太郎全集 第三十二巻』1974年) にもある、「道三は過去の秩序を勇気をもって、しかも平然としてやぶった『悪人』であり、悪人であるが故に近世を創造する最初の人になった。そのみごとな悪と、創造性に富んだ悪はもはや美である」云々という、道三への最大級の評価を作品化したものだった。「悪人」のみごとな逆転劇が多くの読者にうけいれられぬはずはない。しかし――。

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 しかし、退屈な寺をとびだし京の油問屋の商人として財をなすも、「国主になりたい」思いをつのらせ、美濃の武士になってからは猛スピードでのしあがり、ついに無能な守護を退けて美濃の「国盗り」を実現する司馬の「蝮の道三」は、実際は一人ではなかった。美濃の国盗りをしたのは道三一代ではなく、道三の父(長井新左衛門)と道三本人の二代にわたるものであった。

 これがはっきりするのは、戦後の『岐阜県史』の編纂過程で見いだされ、1973年の刊行本に収められた「六角承禎条書写」による。中世政治史学者の木下聡は編著『論集 戦国大名と国衆16 美濃斎藤氏』(2014年)の総論で、国盗り一代説から二代説への転換の経緯とその意義をまとめている。長く道三について書いてきた歴史家の横山住雄は、『中世武士選書29 斎藤道三と義龍・龍興 戦国美濃の下克上』(2015年)の第一章を「道三の父・長井新左衛門」としている。

 歴史的常識の解体からは、新たな歴史時代小説の沃野がひろがる。道三の国盗り二代説が、歴史時代小説にもうけとめられて、たとえば岩井三四二の『簒奪者』(1999年)が、また、宮本昌孝の大長篇『ふたり道三』(2002~03年)が書かれた。

『まむし三代記』も、道三の国盗り二代説をふまえている。それだけではない。ふまえたうえで、二代説を「国盗り」を超えて、戦国の世の争いと戦いに病んだ「国を医す」こと、すなわち経世済民をより良く発展させ、理想の国を実現するための不可欠のプロセスとみなしている、といってよい。二代では済まず、三代となるのはそのためである。

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 では、『まむし三代記』で、三代とはいったい誰々なのか。

「蛇ノ章」、「蝮ノ章」、「龍ノ章」という三章立てからすれば、道三の父で謎の死を遂げる法蓮房(松波庄五郎、長井新左衛門などと名乗る)、道三本人(峰丸、長井新九郎)、道三の嫡男で長良川の戦いで道三を討つ義龍(豊太丸、新九郎、范可)の三代である。

 他方、物語の結末近くでの義龍その人の言葉、「あの方たちの功績だ。父子三代の力で、国を医したのだ。本当に、大したもんだよ。おれなんかは、およびもつかない」からすれば、道三、法蓮房、法蓮房の父の松波高丸の三代となる。

 ただし、「およびもつかない」ことに思い至る義龍に、三代を讃え、そして三代につらなる自覚があるとみなせば、四代となろう。実際、「蛇ノ章」、「蝮ノ章」、「龍ノ章」三章すべてに出現する高丸視点の「蛇は自らを喰み、円環となる」は、「国を医す」ことにそれぞれの仕方でかかわる三代の始まりに、高丸の存在があるのをつよく印象づける。司馬の『国盗り物語』が「まむし一代記」なら、『まむし三代記』は「まむし四代記」か。

 さらにいえば、「国を医す」のをそれぞれに切望するこの四代のあとは、さらにつづき、つづき、つづいて――今の世に「国を医す」ことを求めるわたしたち読者の現在にまでとどくのではあるまいか。優れた歴史時代小説はときに、現代小説以上に「現在」をくっきりとうかびあがらせる。

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 さて、「国滅ぼし」である。

 物語冒頭の短いプロローグで、表現を微妙に変え執拗にあらわれる「国滅ぼし」は、いうまでもなく、『まむし三代記』独自の禍々しき表現にして、物語を最初から最後までひっぱりつづける凶悪なる「主役」にほかならない。

 作者は、「あとがき」でも「国滅ぼし」自体はもとより、「国滅ぼし」に深く関係するものについても「あるもの」と称し、あくまでも本作品を注意深く丁寧に読みすすめる読者みずからによって、謎めいた「国滅ぼし」なる凶器の解明がなされるのを求めている。だから、この解説でも、「国滅ぼし」を、「国を医す」ことの対極に位置する禍々しいなにかと示唆するにとどめよう。

「あとがき」で「あるものを、戦国大名はずっと早くから国産化していたのではないか」と記される「あるもの」。そのいち早い実現に道三がかかわっていたというのは、たしかに作者の「妄想」かもしれない。しかし、この「妄想」によってのみ、従来にない、まったく新たな「まむし四代」の物語が黒光りする姿をあらわし、同時代の政治、社会、経済を背景に躍動することになった。 

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 そして、源太だ。

 物語の終わり近く、「お前は大したもんだよ」、と「あるもの」を讃えつつ源太は、女房の炊いた温かい飯をかみしめる。

 若き法蓮房の最初の謀の仲間にして、法蓮房亡きあとは道三に、さらには義龍に仕えて、時に深刻に時にユーモラスに「まむし三代」のダークで苛烈な歴史を語りつづけてきた源太は、物語になくてはならぬ存在である。

 だが、まだ物語は終わらない。

「蛇ノ足」は物語の蛇足ではなく、「蛇は自らを喰み、円環となる 零」は零そのものではない。凝りに凝ったタイトルのもと、おどろきの事柄がつぎつぎに出現して――。

 それらは、わたしたち読者を物語の始まりへとさしもどし、物語をより豊かに、より濃密に生きなおすことをつよく、執拗に求める。

 大したもんだよ、『まむし三代記』。

 歴史時代小説界の華麗なる梟雄にして稀代の物語策士、木下昌輝を讃えたい。


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