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日本刀の魅力に溢れた傑作時代小説連作集/山本兼一著『狂い咲き正宗 刀剣商ちょうじ屋光三郎』末國善己氏による解説を特別掲載!

山本兼一さんの『狂い咲き正宗 刀剣商ちょうじ屋光三郎』(朝日文庫)が刊行されました。将軍家の刀管理を司る御腰物奉行の長男に生まれた黒沢勝光は、刀の不思議な美しさに憑かれ、名刀・正宗を巡って父と大喧嘩してしまう。勝光は、刀剣商に婿入りして光三郎と名乗るが……。親子・夫婦の情愛や師弟の交情を刀剣の裏世界の駆け引きも絡めて描いた時代小説連作集で、作家の今村翔吾さんも高く評価してくださっています。今年没後10年の山本兼一さんの本作再刊に合わせ文芸評論家の末國善己さんがさらに加筆くださった文庫解説を特別に掲載します。

山本兼一『狂い咲き正宗 刀剣商ちょうじ屋光三郎』(朝日文庫)
山本兼一『狂い咲き正宗 刀剣商ちょうじ屋光三郎』(朝日文庫)

 日本刀は、“武士の魂”といわれる。だが、源平合戦の昔から恩賞として家臣に贈られることもあった刀剣は、切れ味、刃こぼれしないといった実用性と同じくらい、鑑賞用として、稀少性はもとより地鉄や刃文の美しさなども愛でられていた。

 特に、戦乱が終わった江戸時代に入ると、刀剣は美術品、贈答品としての価値が重視されるようになり、鞘、柄、鐔などの装飾品にも趣向を凝らすようになる。美術品としての日本刀に着目した本書『狂い咲き正宗』は、徳川将軍家の刀剣を管理する御腰物奉行・黒沢勝義の嫡男で、将来を嘱望されるほどの鑑定眼を持っていたにもかかわらず、徳川家の宝剣・本庄正宗が「相州鎌倉の住人正宗の作」ではないと言ったことで勘当され、町の刀屋ちょうじ屋の婿になった光三郎が活躍する連作集である。

 江戸初期の刀工・長曾祢興里(後の虎徹)の生涯を描いた『いっしん虎徹』を書いた山本兼一だけに、各章には古今の名刀に関する情報も満載。特に刀剣や剣豪小説が好きなら、思わず唸ってしまうはずである。現在でも贋作が多い刀剣ビジネスの世界に飛び込んだ光三郎が、一筋縄ではいかない刀剣マニアと丁々発止のやり取りを繰り広げるだけに、コンゲーム(騙し合い)をテーマにしたミステリーが中心になっているが、せつない恋愛話や刀工の仕事に迫った技術の話なども織り込まれ、一作ごとに趣向を変えているので、著者の確かな手腕を感じることができるだろう。

 巻頭の「狂い咲き正宗」は、光三郎が勘当される切っ掛けになった因縁の本庄正宗が折れ、黒沢勝義から本庄正宗と瓜二つの刀を探すことを頼まれることになる。

 本書は、ペルリ率いる黒船が日本に来航し、武士が再び刀剣に注目し始めた幕末が舞台になっている。混迷の時代ゆえに本庄正宗も、兜、具足胴、鹿の角といった固い物を斬って吉凶を占う「堅物試し」に出されることになり、試し斬りをしていた時に折れてしまったという。正宗を否定する光三郎を勘当した勝義が、贋作でも構わないから正宗を探す皮肉な展開になっているが、商人として生きる決意を固めている光三郎は依頼を受け、報酬として五千両を要求。当然ながら、御腰物奉行に支払える金額ではないので、これをどのようにして取り立てるかが、本作の眼目となっている。実の父親であっても情け容赦なく“罠”を仕掛ける光三郎の悪党ぶりが痛快で、光三郎が権威にしがみつく武士をやり込める本書のテーマが凝縮した作品となっている。

 続く「心中むらくも村正」は、“妖刀”として有名で、サブカルチャーの世界では世界的に名を知られている村正を題材にしている(1981年にアメリカで制作されたコンピューター用ロールプレイングゲームの元祖のひとつ「Wizardry」にも、武器としてMuramasa Blade が登場する)。南町奉行などを歴任した根岸鎮衛の随筆集『耳嚢』にも、「村政(注・村正)の刀御当家(注・徳川家)にて禁じ給ふ事」という一章があるので、徳川家が村正をタブー視していたことが広く知られていたと分かる。

 そんな村正を、黒沢勝義の部下・石田孫八郎が持っていたことが発覚。下手をすれば勝義の責任問題にも発展しかねない事態だが、孫八郎は「吉原の花魁からあずかった」と言うだけで詳しい事情を話そうとしない。勝義に頼まれた光三郎は、吉原に通って真相を調べることになるのだが、やがて庶民の命など歯牙にもかけない権力者の横暴や、没落しても家宝の刀を守ろうとする人間の情念が浮かび上がり、ささやかな幸福を求めた孫八郎と遊女にも運命の変転が訪れるので、やるせなさも募る。

 事件解決のため何度も吉原に通う光三郎に、新妻のゆき江が激怒。嫉妬深いゆき江と光三郎のユーモラスなやり取りは、本書のもうひとつの読みどころとなっていく。

「酒しぶき清麿」は、光三郎も認める名工でありながら、名人気質ゆえに気が向いた時にしか仕事をせず、いまは酒びたりになっている山浦清麿に焦点を当てている。

 清麿は、水心子正秀、大慶直胤と並び“江戸三作”と称された実在の名工で、四谷伊賀町(現・新宿区四谷三栄町あたり)に住んでいたことも、「四谷正宗」の異名で呼ばれていたことも史実である。酒好きだった清麿には、酒毒で作刀ができなくなったことを悲観して自殺したとの説もあり、著者は、この巷説を踏まえて「酒しぶき清麿」を書いたと思われる。

 清麿の弟子を自任する光三郎は、清麿のもとを逃げ出した女房おとくを品川宿で発見。おとくが家に帰れば清麿が仕事を始めると思った光三郎は、おとくの説得を始めるが、そこで意外な話を聞くことになる。喧嘩ばかりしていても実は仲がよかったり、仲睦まじく見えるものの本当は冷えきっていたりと、夫婦の関係は他人からはうかがい知れない部分がある。清麿とおとくの仲も、常識でははかりにくいが、深いところで繋がっているので、異色の純愛物語として楽しめるのではないだろうか。

「康継あおい慕情」は、黒沢勝義から、徳川家の初代お抱え刀工だった「康継」の売却を頼まれるところから始まる。希望の売値は五百両。相場より少し高い値付けだったが、光三郎は康継を探していた同業の相州屋に五百両で売ることに成功。これで一件落着と思いきや、勝義から裏の事情を聞いた光三郎は、知らぬ間に康継を巻き上げる陰謀に加担させられたことを知る。ここから、光三郎のリベンジが始まるのだが、終盤になると、一見すると単純な計画のなかに、相手を欺くためのトリックが幾重にも張りめぐらされていたことが明かされるので、驚きも大きいはずだ。

 国広コレクターの内藤伊勢守と虎徹コレクターの栗山越前守の争いを描く「うわき国広」は、2人のマニアの狂乱にさすがの光三郎も手を焼くことになる。マニア(mania)はギリシャ語で「狂気」を意味するというが、それも納得できるだろう。

 フランス文学者の辰野隆は、1932年に発表したエッセイ「書狼書豚」のなかで、愛書家は「書癖」「書痴」「書狂」「書狼(ビブリオ・ルウ)」「書豚(ビブリオ・コッション)」の順に病が高じていき、最も重症になると「世界に二冊しかない珍本を二冊とも買取つて一冊は焼捨ててしまはねば気がすまなくなつて来る」と書いている。「うわき国広」に登場する内藤伊勢守と栗山越前守は、いわば“刀豚”の域に達しており、巻き起こす騒動も常軌を逸している。マニア、コレクターの生態を活写しているだけに、蒐集癖がない人にはユーモア小説に思えるかもしれないが、多少でも何かを集めた経験があれば、身につまされるのではないだろうか。

「浪花みやげ助広」は、「康継あおい慕情」と同じコンゲームものだが、闘う相手が詐欺商法の常習犯なので、光三郎も苦戦を強いられることになる。

 大坂で買った「助広」を売りたいという客が店に来たものの、刀はすべて贋作だった。客が浅草の刀屋しらなみ屋の言葉を信じ、借金をしてまで贋作の助広を買ったことを知った光三郎は、早速、しらなみ屋に乗り込むが、贋作を見抜いたと思ったのも束の間、敵の“罠”が見抜けず、詫び証文を書かされる恥辱を味わってしまう。しらなみ屋の手口は、既に買い手が決まっている、あるいは絶対に値上がりするので損をしないなどと言って、未公開株や債券、原野を売り付ける詐欺商法に酷似している。現代では、同じような詐欺事件がなかなか摘発されないだけに、光三郎が大掛かりな仕掛けを用意して、しらなみ屋に立ち向かう展開は爽快な気分にしてくれるだろう。

「だいきち虎徹」は、同じ刀剣鑑定でも、真贋や値段ではなく、吉凶を占う「剣相」を題材にしている。明治時代に、幽霊、妖怪、超能力といった超自然現象をことごとく否定した井上円了は、『続妖怪百談』のなかで剣相を「近世剣相といふこと行なはれて其持主の性によりてこの剣は災ありこの刀は福徳ありなどと言ひて人を惑し金銭を貪るの族あり」と痛烈に批判、「箇様のことに惑ひて心を労し金銭を費すことなかれ」と警告している。普段は合理主義者の光三郎だが、剣相家の白石瑞祥に、買ったばかりの虎徹が「大凶」と言われ、その直後から次々と不幸に見舞われるので動揺してしまう。人生は才覚や努力だけでなく、“運”に左右されることも珍しくないので、人は神仏や占いに頼りたくなる。「だいきち虎徹」は、こうした人間の弱さを認めながらも、最後に頼れるのは日常の積み重ね、つまりは自分の力であることを示しているので、作品の掉尾にふさわしく前向きな気分で読み終われるのが嬉しい。

 光三郎が、実父の黒沢勝義と決別する原因になったのは、徳川家が秘蔵している正宗の真贋を疑ったことである。光三郎の主張は、宮内省(現・宮内庁)の御剣掛も務めた今村長賀が1896年に唱えた、いわゆる“正宗抹殺論”がベースになっている。今村は、正宗の銘が刻まれた真作を見たことがない、足利義満の時代に最高の鑑定家だった宇都宮参河入道が選んだ182人の名工のなかに正宗が入っていない、正宗が名工と言われ始めたのは豊臣秀吉の時代以降であり、これは刀剣鑑定家の本阿弥家が秀吉の指示で折紙(鑑定書)を捏造したからであるといったことを根拠に、正宗を否定したのだ。

 研究が進み、現在では否定されている“正宗抹殺論”だが、それをあえて光三郎に語らせたのは、無銘の刀であっても、美しさや切れ味を評価することはできるのに、本質を見ようとせず、ただ折紙のみを信用する武家の権威主義や事大主義を批判するためだったのである。だが、著者の批判は、武家だけにとどまるものではない。

 光三郎が生きたのは、欧米先進国は既に銃器を大量生産しており、刀など国際紛争では無用の長物になっていた時代である。こうした変化を察知しながらも、幕府は軍備の改革を行うより先に、“武士の魂”たる刀の神通力で夷狄を打ち払おうとした。

“伝統”を絶対視するあまり“改革”が遅れるのは日本のお家芸で、銃剣突撃の白兵戦で勝利した日露戦争の体験を、兵器の性能が飛躍的に進歩した太平洋戦争でも踏襲し、死体の山を築いて敗戦への道を進んでいる。これは、高度経済成長期の成功モデルだった大量生産、高機能・高価格主義を守り続けたため、いわゆるガラパゴス化し、国際競争力を失いつつある現代日本の製造業もさほど変わっていないといえる。

 著者が、黒船来航という時代のターニング・ポイントを舞台に、日本人の精神性や美意識を体現する一方、因習固陋の象徴にもなっている日本刀が織り成す物語を紡いだのは、“伝統”と“改革”はどのようなバランスであるべきなのかを問い掛ける意図があったように思えてならないのだ。

 もうひとつ忘れてならないのは、光三郎の心境の変化である。規則や慣例に縛られている武士を捨てた光三郎は、経験と智恵だけを武器に傲慢な武家をやり込めるが、物語が進むにつれて、町人も、同業者の集まりには厭でも顔を出さねばならなかったり、顧客や武家にはどんな時も頭を下げ、愛想笑いのひとつもしなければならなかったりと、決して自由ではないことを実感する。これは宮仕えは苦労が多いかもしれないが、自営業者も決して楽ではないといっているにほかならない。

 著者が2014年に享年57の若さで亡くなってから10年が経つが、本書を読むと今もまったく古びていない現代性、普遍性に驚かされる。働き方改革を進める政府は、労働者が能力を柔軟に発揮できる兼業、副業、フリーランサーなど従来の雇用関係とは異なる働き方を改革の1つとして出しているが、これは光三郎のような葛藤を抱える人材を増やす結果になる可能性がある。また政府の経済対策で株価や大企業の給与は上がったが、アメリカのビッグテック企業のように国際市場を席巻するような製品やビジネスモデルを打ち出す日本企業は現れていない。これも光三郎が暴いた日本型組織の問題点が原因だけに、本書の単行本の刊行が2008年とは思えない生々しさがある。講談社文庫版(2011年)の解説に「これからの日本は、ますますグローバル化の波に呑み込まれ、それに伴い、労働市場の流動化も加速していくだろう。光三郎の生きざまは、このような時代に、伝統とは何か、働く意味とは何かを教えてくれるのである」と書いたが、まったく修正する必要がなかった。

 2015年にスタートした日本刀を美男子に擬人化したゲーム『刀剣乱舞』が人気を集め、日本刀のファン層を若い世代に広げている。本書と続編の『黄金の太刀』には日本刀の魅力が詰っているので、刀剣に興味を持っている方は併せて読んで欲しい。


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