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亡き鷺沢萌さんに励まされ書き上げた、深沢潮さん渾身の大作! 朝鮮王朝最後の皇太子妃・梨本宮方子と、韓国独立運動家と恋に落ちたマサの数奇な運命を描く、『李の花は散っても』刊行記念エッセイ

 深沢潮さんが4月に新刊『李の花は散っても』を上梓されました。構想から完成までおよそ7年をかけた渾身の力作について、また大きな励ましとなった鷺沢萠さんの作品との出会いについて、「一冊の本』4月号に執筆いただいたものを転載します。

深沢潮著『李の花は散っても』(朝日新聞出版)
深沢潮著『李の花は散っても』(朝日新聞出版)

あなたに励まされて

 最初の単行本『ハンサラン 愛する人びと』(新潮社・新潮文庫化の際に『縁を結うひと』と改題)が世に出て10年が経ち、この春13冊目の小説『李の花は散っても』を刊行する運びになった。デビュー作が、自分の属性でもある在日コリアンのことを描いた短編集だったことから、在日作家と呼ばれることもあり、実際、在日コリアンを描いた作品もいくつか書いてきた。作品のみならず、積極的にヘイトスピーチや日韓によこたわるさまざまな事象について発言することもある。

 作家としてのこの10年を振り返ってみて、自分と朝鮮半島は、切っても切れない関係であることは間違いない。そんな立ち位置から見て、いや、多くの人から見ても、日韓の関係というのは、非常に難しい。歴史認識の違いだけでなく、政治や外交に関しても、懸案事項は多い。

 とはいえ、昨今は韓国の音楽やエンタメ、文学作品などが日本で人気である。化粧品や食べ物も浸透している。一方、韓国でも日本のアニメ作品が興行成績一位となったりする。文化においての垣根はほとんどないのではないだろうか。そんな時代なら朝鮮半島出身者への差別が減ったのではないかという質問は、日本人の方々からも韓国本国の人々からもよく聞かれるが、答えは否だ。むしろ差別はより深刻になっているとすら思う。

 2013年、新大久保の街で見た在特会(在日特権を許さない市民の会)のヘイトデモを『緑と赤』(小学館文庫)に描いた。日本各地におけるヘイトデモはヘイトスピーチ解消法が出来たことで減ってはきているものの、根絶はされていない。選挙になると街頭演説という形でのあらたなヘイトスピーチが出てくる始末だ。そして、ネットにおけるヘイトスピーチは相変わらずである。朝鮮半島出身者の集住地域、京都のウトロへの放火事件が2021年8月に起きたのは記憶に新しい。その後も民族団体や朝鮮半島に関係する施設へのヘイトクライムなどが相次いでいる。

 いまでこそ明確に差別的な言動への抗議を口にしたりするが、そもそも小説を書くまでは、在日コリアンである自分と真正面から向き合うことができなかった。初めて書いた小説らしきものは15年以上前で、そのころ流行っていたブログに掲載した、バブル時代が舞台の稚拙な恋愛小説だ。その後もママ友たちの悲喜こもごもを題材としていた(こちらは、『ランチに行きましょう』〈徳間文庫〉になっている)。

 通称名で暮らし、長らく日本人に擬態し、在日コリアンであると堂々と表明したことがあまりなかった自分にとって、在日コリアンについて小説に描くなどということはとてもじゃないが、難しくてできなかった。在日コリアンであるということが、痛みをともなうアイデンティティだったのだ。だから、作家を目指してから猛烈な量の読書をしてもいわゆる在日ものを読むのは避けていた。けれども、さまざまな文学新人賞に応募し始めたころにある編集者と出会ったことが転機となった。大人数の会食の席で、たまたま隣になったその編集者から来し方を問われ答えると、「なぜ自分のことを書かないのか」「一度書いてみたらいいのではないか」「逃げずに書けば、きっと深いものになるはず」とアドバイスをされた。

 悩んだものの、「いい小説を書きたい」との意志が勝り、思い切って在日の縁談をとりしきるお見合いおばさんの話を書くことにした。それが、「金江のおばさん」(『縁を結うひと』に所収)で、この小説が「女による女のためR-18文学賞」の大賞を受賞し、作家となることができた。アドバイスをくれた今は亡きその編集者には深く感謝している。

 お見合いおばさんの紹介で同胞と結婚しその後離婚した自分にとってこの物語を書くことは、気持ちをえぐられる作業の連続だった。執筆前に、それまで避けていた在日作家の作品や在日ものといわれる小説を読み漁ったが、読み終えるたびに、かさぶたをはがされるような気持ちになり、自分が在日コリアンについての小説を書くのはやはり無理だと思っていた。

 そんななか出会ったのが、鷺沢萠さんの作品だった。書店で見つけた『ビューティフル・ネーム』(新潮文庫)という短編集の表題作は、通称名を使っていた主人公が本名で生きる先輩に出会い自身も本名を名乗るまでの物語だ。鷺沢さんの筆致はなめらかでやわらかく、切ない感情を呼び起こすものの、激しい痛みはそこになく、傷がうずくこともなかった。自分も「こんなふうに書きたい」と心から思った。そして、生まれたのが「金江のおばさん」だ。

「川崎市ふれあい館」の館長、崔江以子さんは、「ヘイトスピーチ解消法」や「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」の成立に尽力したことで、いまでも続くすさまじいヘイトスピーチを浴び、刃物やゴキブリが送られてくるといったヘイトクライムの被害者だ。崔さんのヘイトスピーチ裁判を支援するうちに、驚くべきことを知った。なんと崔さんは鷺沢さんの親友だったのだ。そして、『ビューティフル・ネーム』の登場人物である先輩は、崔さんがモデルだった。さらに、崔さんからは、「第三国人」発言をした元都知事と都内のイタリアンレストランで遭遇したときに鷺沢さんが抗議の直談判をしたエピソードを聞いた。鷺沢さんが生きていたら、当時と変わらずレイシズムがはびこるいまのこの社会をどう思い、どんな作品を書いただろうかと思わずにはいられない。

 鷺沢萠さんが亡くなって20年近くが経ち、ご家族が鷺沢さんのお住まいを整理なさったそうだ。その際に鷺沢さんの所有していたご著書を譲り受けたという崔さんから、10冊を超える鷺沢さんの初版の小説をいただいた。こんな光栄なことはなく、それらの本はまぎれもなく、私の宝物だ。

 このたびの『李の花は散っても』という小説は、政略で朝鮮王朝最後の皇太子と結婚した皇族梨本宮方子と、独立運動家の金南漢と恋に落ちた市井の女性マサ、二人の物語だ。朝鮮が日本の植民地だった約百年前の大正時代から昭和が舞台となっている。この時代の朝鮮人への差別はすさまじい。朝鮮人へ投げかけられたヘイトスピーチや関東大震災の際の朝鮮人虐殺といったヘイトクライムが遠い昔の出来事ではなく、あまりにも身近な世界であることを思うと、しばし執筆の手は止まりがちだった。そんなとき、傍らに置いた鷺沢さんの小説を読み返し、なんども勇気を奮い起こした。

 鷺沢さん、あなたの亡くなった桜の季節がめぐってきました。あなたと崔さんとの友情のおかげで「李の花は散っても」を世に送り出すことができます。

 本当にありがとうございます。