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安部龍太郎著『生きて候』/文芸評論家・高橋敏夫氏による文庫解説を公開!

 安部龍太郎さんの朝日文庫『生きて候』(上・下)が刊行されました。徳川家康の謀臣・本多正信の次男として生まれた本作の主人公・本多政重は、徳川家を出奔した後、主君を次々に変えていきます。安部さんはなぜ、戦国時代には稀な生き方をした政重の半生を小説にしようとしたのか? 文芸評論家の高橋敏夫さんが本作品の核心に迫ってくださった文庫巻末解説を掲載します。

安部龍太郎『生きて候』(上・下/朝日文庫)
安部龍太郎『生きて候』(上・下/朝日文庫)

 安部龍太郎の物語世界には、なにかとてつもなく不穏なものが見え隠れする。
 血なまぐさい臭いをはこぶ不穏な風がふいている。
 物語世界に、ときおり亀裂がはしり、その裂け目から、まがまがしく、むごたらしい、ゆがんだイメージと雑音とが、とめどなくあふれだす……。凄惨な合戦場面や、互いに深傷を負いながらなおつづく剣戟シーンだけではない。甘美な恋愛のさなかにも、このうえもない栄誉をえた喜びの頂点においても、また、かがやかしい前途に胸をふくらませるときにも。
 その瞬間、極上のエンターテインメントだけがもつ躍動感のもとに展開されてきた物語は、忽然と消失してしまう。合戦の華麗な絵巻物にただ酔っぱらっていたい読者や、安定した秩序にまどろむのを好む読者は、突然はしごを外されたような恐怖感におそわれよう。
 やがて、物語がもとの世界を回復するようにみえても、もう世界はもとのままではない。読者は不穏な風を世界のそこここに感じながら、物語を読みすすめるしかないのである。
 しかし、安部龍太郎を愛読する者にとって、このまがまがしく不穏な風は、けっして不快ではない。むしろ、不穏な風にさらされるとき、読者はむごたらしさとともに、ある種の解放感をおぼえるはずである。

 なぜか。おそらく不穏な風が、この人物がこの人物のままでありつづけることへの、この物語がこの物語でありつづけることへの、この世界がこの世界でありつづけることへの、ささやかな異和感から強烈な憎悪までをあらわすなにか、だからだろう。と同時に、この人物、この物語、この世界をつきぬけて、いまだない新たな人物と物語と世界にとどくのに不可避の風であることを、読者に感じさせるからにちがいない。

 人は地域や時代などさまざまな限定性あるいは約束ごとのもとに生きている、としたうえで、安部龍太郎はこう述べる(『極め付き時代小説選1 約束』中公文庫、編者縄田一男との解説対談)。「僕は定住者の掟というものに自分がしばられていることを強く意識しているし、過去の人間も相当それは意識していただろうと思うんですよ。ところが、そういう約束には意味がないんだという、逆のアプローチもあるんですよね。(中略)そうすることによって絶対的な精神の自由を求めたいという意識もあるんです。それと同時に、しばられている人間は、最後には叫ぶか祈るかしかないんじゃないかと思っている」。「室町時代の『閑吟集』に『一期は夢ぞ、ただ狂え』といううたが出てくるでしょ。狂えというのは、自分の好きなことに突き進んでいけという意味なんですよね。(中略)それは余りにも大きな約束ごとに、その当時の人たちがしばられていたからだと思うんです。だから、狂うほどでなければ、しばられたところから抜け出せない、そういう意識があった」

 大和時代から明治維新期にいたる歴史上の謀反、謀殺、敗死、滅亡などを執拗に活写する凄烈な単行本デビュー作『血の日本史』について語られたものだが、これは、次つぎに発表される作品『彷徨える帝』、『関ヶ原連判状』、『信長燃ゆ』、本作『生きて候』にあてはまれば、その後の『等伯』(第一四八回直木賞受賞作)、『維新の肖像』、『蝦夷太平記』、現在えがきつづけられている巨篇『家康』にもいいうる、見事な自注となっていよう。

 安部龍太郎の物語世界に不穏な風を感じる読者は、容易に変更できない重苦しい制約のなかにいてなお制約を突破し変更しないわけにはいかない者の、声にならぬ「叫び」や「祈り」を聞き、「狂」のもたらす言葉と振る舞いの激変を見ているのである。
 若いころドストエフスキーに心酔し現代小説を書きつづけていた安部龍太郎が、『太平記』にしたしく接したことをきっかけに、現代小説から歴史時代小説に移ったのも、うなずけよう。現代小説にくらべ歴史時代小説のほうが大きな制約を顕在化しやすく、それゆえ制約と衝突する人の「叫び」や「祈り」をはっきりとえがきだすことができる。

『生きて候』は、安土桃山時代から江戸時代初期を生きた本多政重を主人公にしている。歴史記述のうえでも、また歴史時代小説においてもとりあげられることのきわめてまれな人物である。定評のある『戦国武将・合戦事典』の記述をみてみよう。

「加賀の金沢藩主前田氏の重臣本多氏の家祖。天正8年(1580)生まれる。徳川氏譜代の重臣本多佐渡守正信の次男、上野介正純の弟。早くから徳川家康に仕えていたが、慶長2年(1597)徳川秀忠の乳母の子を斬って伊勢に逃れ、間もなく京都で大谷吉隆(編集部注・吉継)に仕え、関ヶ原の戦では西軍に属した。敗戦後は前田利長ら諸将の間を渡り歩き、同9年米沢上杉氏の家宰直江兼続の養子となり、上杉景勝から偏諱をうけ勝吉と名乗ったが、同16年藤堂高虎の推挙により再度前田氏に仕えることとなり、やっと落ちついた」云々(峰岸純夫・片桐昭彦編『戦国武将・合戦事典』吉川弘文館)。

 歴史学者によっても、本多政重は、「渡り歩き」「やっと落ちついた」などの言葉で揶揄的に語られる。江戸幕藩体制成立後には広くいきわたったであろう「忠臣二君に仕えず」的な倫理の側からの非難を想起させるが、それだけではない。近代日本における家族主義的国家観にも、さらには、戦後の高度経済成長を支えた日本的経営の終身雇用、年功序列などの慣行にも、幾人もの主君を「渡り歩いた」本多政重は、まことになじみにくい人物なのである。
 しかし、この人気のなさが、江戸から現代にいたる倫理的な「約束ごと」にかかわるのだとすれば、本多政重を主人公にすることじたい、分厚く沈殿する「約束ごと」を敵にまわすことになろう。

 歴史の常識を覆し、新しい価値づけのもとに再定義するのが、すぐれた歴史時代小説のなしうる特権的なふるまいなら、分厚い「約束ごと」によって本多政重が引き受けさせられてきた常識の転覆と変更と創造的な再定義は、いっそう重要さを増す。歴史上の多くの常識崩しにとりくんできた安部龍太郎が、本多政重をとりあげることの意義を見逃すはずはない。

 物語は冒頭から、鉄砲の名人に、愛馬を駆り真正面から大槍で戦いを挑む本多政重を登場させ、その過剰な勇猛果敢さが、はやくも不穏な風をよびよせる。
 敬愛していた養父の死。徳川家内でそれぞれ陰湿な政治的権力を行使する実父本多正信と兄の正純へのなじめなさ。親友の家に突如降りかかった不幸に際しては友に加勢、徳川秀忠の近習を斬り殺し、江戸を出奔した。ここから、政重の長く、苦しい旅がはじまる。
 政重にとって、江戸がとどまるにたる場所でなかったように、秀吉が権勢をほしいままにする伏見城も、華やかさのなかに「滅び」の「不吉な予感」をもたらすものでしかない。「勝ち組」の腐敗は政重を別な場所へとかりたてる。

 みずからの力を存分に発揮しうる場をもとめ、朝鮮にわたった政重がまのあたりにするのは、しかし、信長から秀吉にいたる戦国武将たちがいたるところでくりひろげてきた、容赦ない大量殺戮のありさまだった。朝鮮人にたいする無差別殺戮が、加賀一向一揆に向けられた信長の「なで斬り」(皆殺し)の記憶をよびおこし、こころの奥から、一揆の有力者の娘だった母の自死をもつれてくる。物語中、不穏な風がもっともつよくふきつける場面といってよい。
「この戦は駄目だ。何としてもやめさせねばならぬ」という政重の悲痛な叫びは、朝鮮における戦だけではなく、戦の世じたいの終わりへの祈りである。
 政重がその後、関ヶ原の戦いをこえてもなお、仕える主をつぎつぎにかえながら世を疾駆しなければならないのは、戦の世とそれをささえる体制への、終わりのみえない抗いゆえであり、それが物語の末尾に記された「生きて候」の意味なのである。

 安部龍太郎のえがく本多政重の生には、いわゆるクライマックスはない。かっこよく生きてかっこよく死ぬといった、戦国武将ものではおなじみの華々しいクライマックスはない。相手が、見やすいひとりの敵、ひとつの集団でないとき、そんな一回きりのクライマックスは物語には禁じられている。もしクライマックスというなら、本多政重の日々の叫びと祈りのひとつひとつが、すべてかけがえのないクライマックスである。

『生きて候』は、戦の世を生きる深甚なる教養小説にして、苛酷な戦をくぐりぬけた者だけに許される稀有な非戦小説といってよい。
『生きて候』が、戦の世の終わりへの祈りにみちていたなら、安部龍太郎が2015年からえがきつづけている『家康』は、「厭離穢土 欣求浄土」を願い泰平の世を実現せんと日々奮闘する徳川家康をとらえる。家康版『生きて候』か。物語が具体的で長大なものにならぬはずはない。

 そして、『生きて候』に関係してもうひとつ。物語で本多政重に魅せられた読者には、うれしい報せがある。現在、北國新聞と富山新聞に連載され、加賀藩祖前田利家と二代藩主前田利長親子の活躍がえがかれる『銀嶺のかなた―利家と利長』には、前田家に仕えて藩政を補佐する政重が登場するという。いったい政重はどのような姿をあらわすのか。たのしみに待ちたい。

※本解説は、『生きて候 下』の集英社文庫版に収録されたものを大幅に加筆・修正しました。


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