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太田和彦が“居酒屋がない”と嘆いた大阪がこの10数年で劇的に変化した理由

 居酒屋をめぐって47都道府県を踏破した太田和彦氏が、居酒屋を通して県民性やその土地の魅力にせまった『居酒屋と県民性』(朝日文庫)から、大阪の居酒屋と県民性について、一部抜粋・再編してお届けする。太田さん推薦の居酒屋も必見だ。

太田和彦著『居酒屋と県民性』(朝日文庫)

【大阪】ルネッサンスがおきた大阪居酒屋

 日本で最もポピュラーな県民性は大阪だろう。

 見栄を張らずに本音で生きる。「がめつい」と言われようがもうけてナンボ。ボケとツッコミ、理屈より笑い。のらりくらりした大阪弁は脱力感も説得力もある。
 
 東京人「それでよろしいか」
 大阪人「そな白黒つけたらあきまへんがな、まあええでっしゃろ、ここはあんたの顔もたてなあかんさかい、ええようにしといてや、ほなさいなら」

 これでは勝負にならない。

 また大阪は「天下の台所」として日本中から食材が集まり、「関西割烹」は日本料理の頂点となった。その基礎は北前船が大阪に運んだ北海道昆布による出汁だしで「有名割烹◯◯で修業した」は料理人の何よりの勲章だ。<包丁一本、さらしに巻いて~>大阪の料理人をうたった「月の法善寺横丁」は大阪ならではで、他の地でこういう歌はできそうもない。

 厳しい商売道をつらぬく奉公の世界は「どケチ」と言われようとも、さばのアラの<船場汁>のように、普通は捨ててしまうような食材を巧みに使い切る「始末のよい」料理も生んだ。反面、本当においしいものには「これは値打ちがある」と金を惜しまない。お金の使い方を知っているのだろう。それやこれやで大阪は「食いだおれ」の地となった。

 ではその地の居酒屋はどうか。

 およそ20年も前、東京の居酒屋のあらましは見えた私は、大阪はどうだろうと何度か出かけ、意外な印象を持った。それは「安かろう面白かろう」の「ウケ狙い」の肴と、灘大手三増酒のまずい酒で「安く酔えればそれでよい」。そういう店ばかり入ったのだろうと言われればそうかもしれないが、串揚げやタコ焼を大切にするのがわからない。

「気の利いた肴でじっくりと良酒を愛でる」が居酒屋と思っていた私に(それは今から考えれば東京の価値観だったのだが)、大阪の居酒屋は料理や酒よりもボケツッコミなどの遊び場に見えたのである。「名にし負う大阪の味は、たとえ居酒屋であっても、いやそこでこそ底力をみせるだろう」の期待は全く不首尾に終わり、「居酒屋の風格」などと気負った気持ちは哄笑こうしようとともに消され(風格? それで腹ふくれまっか?)、敗北感とともに帰京したのだった。

 その後も印象は変わらず、大阪居酒屋にロクなものはないと思っていた気持ちに、これが大阪の居酒屋かと目を開かせたのが、中心部を離れた阿倍野の「明治屋」だった。

 まずその建物(東京人は「味」の前に「箱」が大切)。創業昭和13年からの木造2階家は古い大阪商家の風格をたたえ、ひんやりした三和土たたきとカウンター、カウンターの高さに合わせた幅細の机。どっしり座る四斗樽しとだる提灯ちようちんの上がる神棚などの時間が止まったような静謐せいひつ感。午後1時の開店に、ぽつりぽつりとやって来る客は静かな1人酒だ。きずし、ねぎタコ、出汁巻、水なす、皮くじらなど艶のある肴。何よりも古風な銅の循環式燗付かんつけ器による燗酒の甘みのある旨さ。大阪の中心部にこういう店はなかった。厳密には、もっと昔にふらりと入った心斎橋の「中野」にそれを感じ、食通で知られた山本嘉次郎の古い本で「昔のなにわの風格を残す貴重な店」と知ったが、隣家の火事で閉店してしまった。

 ともかく、これが本来と思いたい大阪の居酒屋はみつかり、それは大変レベルの高いもの(小生言う「日本三大居酒屋」の一軒)だったが、他には見つからなかった。

 その大阪居酒屋に、ここ10数年で劇的な変化がおきた。それは灘の酒一辺倒だった関西に、「山中酒の店」で全国の地酒を紹介普及させ、さらに自ら模範的居酒屋「佳酒真楽かしゅしんらく やまなか」を開いた山中基康さんのもとで修業した若手が、次々に独立して自分の店を開いたことによる。

 その方法は、まず山中さんの店で酒と料理を学ばせ、次に山中さんが作った居酒屋「まゆのあな」を若手だけで運営させて現場や経営を身につけ独立の力をつけさせた。店名「繭の穴」はここから羽ばたけの意味だ。やがて店長経験者から「かむなび」「燗の美穂」「うつつよ」が誕生。注目すべきはどこも自分の個性を強烈に出していることで、山中さんの「ウチと同じ店を作ってもはじまらない」という教えの実践だ。これも、ちょっと当たるとすぐ2号店3号店を作って経営者気取りの東京居酒屋とはちがう、大阪の商売人魂と思いたい。山中さん自身も「さかふね」「へっつい」「だいどこやまなか」「たちのみやまなか」「十割そばやまなか」と様々な個性ある店をつくった。食いだおれの大阪人はもともと舌は肥えており、そこにしっかりした酒と料理が登場するとたちまち客は集まり、大阪の居酒屋地図はがらりと変わったのである。

 一方実力派居酒屋同士で仲のよかった「かむなび」「よしむら」「蔵朱くらつしゆ」の3人が「日本酒まんじ固め」というグループを作って始めた、居酒屋と酒蔵を結んで大阪天満宮で開くイベント「上方日本酒ワールド」は年々盛況の名物となり、訪ねた東京居酒屋の若手は刺激を受け、東京版「大江戸日本酒まつり」を神田明神で開くようになりこれも盛況だ。

 さらに「かむなび」や「燗の美穂」で修業して自分の店を持った「べにくらげ」、山中酒の店で修業した「はちどり」。日本酒愛が高じ、神戸からお母さんを呼んで店を開き、日本酒イベントも続けるミス大阪居酒屋美人の「日本酒うさぎ」。モダンな居心地で新しいセンスの肴がいい「寧」。若者に人気の地・ウラなんばにあって、繊細最高のおでん、どて焼きで浪速っ子を泣かせる「酒肴 哲」など、かつて大阪に居酒屋はないとうそぶいていたのは大間違い、今やどこに行くか大いに迷う「居酒屋の町」になった。

 同じ居酒屋同士、「商売がたき」ではなく「共存共栄」で業界を盛り上げようという若手らしいしなやかさが大阪から東京へとひろがり、居酒屋は新しい時代に入ったと言えよう。

【太田和彦さんオススメの大阪の名店】

 ここでは本来の大阪らしさを持っている名店を三つ紹介しよう。

●大阪阿倍野 明治屋(めいじや
 阿倍野再開発の広大な空地にただ一軒、孤高の存在だった明治屋はついに取り壊され、新ビル「あべのウォーク」に入ったが、玄関周りも店内もすべて昔のままに再現して常連を感涙させた。居酒屋は内装を変えてはいけない、をここまで徹底したのは快挙だ。昔通りのカウンターでいつもの酒を飲む。大阪居酒屋の最高峰は「聖地」として残った。

●大阪上町 ながほり
 島之内で実力をたくわえていた「ながほり」は、上町に移って酒蔵をイメージした理想の店を実現した。酒蔵古材を柿渋で仕上げた店内は日本酒の「気」があふれる。復活地野菜をはじめすべて生産者に会って確かめた素材の前人未到の料理に一流ホテル料理長も通う。でありながら「うちは居酒屋です」と言い切る、名実ともに日本の居酒屋の最高峰。

●大阪南田辺 スタンドアサヒ
 ごく平凡な店構えがいつも超満員。安価が信じられない丁寧な料理は老練な父と働き盛りの息子。そしてしゃきっと通る声で差配する美人娘クミコさんの獅子奮迅ししふんじんが生みだす明るい活気。お年寄りと子供連れ一家も来ているのがこの店の良さで、お値打ちな品をにぎやかに楽しみながら一杯やる大阪居酒屋の実力と健全あふれる、創業80年を超えた名店。