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驚愕の展開に慄然!川瀬七緒の資質がたっぷり詰まったホラーミステリー/『うらんぼんの夜』西上心太さんによる文庫解説を公開

 川瀬七緒さんの『うらんぼんの夜』(朝日文庫)が刊行されました。地蔵を信仰する小さな集落で育った高校生の奈穂。昔ながらの因習に嫌気がさしている彼女は、東京から来た転校生に憧れるが、なぜか村の老人たちは、余所者に異常なまでの警戒心を抱き始め……。乱歩賞作家による怪しげなミステリーに、西上心太さんが解説を寄せてくださいました。その全文を掲載します。

川瀬七緒著『うらんぼんの夜』(朝日文庫)
川瀬七緒著『うらんぼんの夜』(朝日文庫)

 内と外。

 内側だけにしか通用しない論理や倫理、あるいは因習に抗う少女の物語……である。

 本書は2021年6月に書き下ろし作品として刊行された作品の文庫化だ。新型ウイルスへの言及があるので、2020年代が舞台の物語と比定して問題ないだろう。

 福島県のとある町からバスで40分ほどかかる、山に囲まれた農村地帯の農家。それが16歳の高校生・遠山奈穂が住む実家である。高校は夏休みだが、彼女の毎日は遊びとは無縁だ。猛暑の中、毎朝畑に出て、トマトやジャガイモの収穫作業に従事しているのだから。成績優秀で勉強熱心な彼女は、英語の教材をスマートフォンで聴きながら、農薬除けの安っぽい雨合羽を着込み、首筋を日光から守る垂れがついたダサい野良帽姿で直射日光を浴び、汗にまみれる毎日を過ごしている。およそ女子高生のあるべき姿と対極にあると、奈穂は自嘲している。頭の中は卒業して早く家を出たいという思いでいっぱいだ。だが登校日に畦道を歩く時でも、彼女の視線は自然と水田に向かい、稲穂が病に冒されていないかと注意を払ってしまう。高校生でありながら、農業従事者として実は高い意識を持ちあわせているのだ。

 大百舌村大字柳原字川田にある遠山家は、98歳の曾祖母、祖父母、両親、兄、そして奈穂という、4世代にわたる7人家族だ。川田の集落には遠山家を含む9世帯があり、この九世帯が「内部落」という強い絆の繋がりを持っている。「内部落」以外の集落はすべて「外部落」という位置づけで、「内部落」の繋がりとしきたりが、すべてに優先する。ここはそういう土地なのである。

 奈穂は農作業を呪いながら、農業専従の両親よりも遥かに優れたセンスの持ち主だ。家の畑とは別に畑を3枚借り、肥料や栽培方法を工夫したトウモロコシを作っているのだ。彼女が作る糖度の高いトウモロコシは、高い価格設定でも道の駅で飛ぶように売れている。その売上を故郷を離れるための軍資金にする目論見なのである。

 奈穂の曾祖母は7年前から寝たきりだが、「内部落」を仕切っており、奈穂の祖母を含む1世代下の老婆たちの精神的な支柱でもある。奈穂こそが自分の後を継がせ、この地区を任せられる存在であるというのが曾祖母の考えである。

 そんな土地に波紋が広がる。村役場の空き家事業によって、東京から母親と3兄妹の4人家族が引っ越してきたのだ。一家の末娘である北方亜矢子は蒼白くてきめ細かい肌を持つ、都会的な美少女だった。奈穂の高校に編入した亜矢子は、奈穂の予想通り同じクラスになり、2人の交流は深まっていく。

 おりしも時は8月。村でもっとも重要な行事「うらんぼん」が近づいてくる。「うらんぼん」とは「盂蘭盆会」が転訛したものだが、村にとって特別な審判の日と位置づけられ、悪人に恐ろしい裁きが下るという言い伝えがある。

 さらに奈穂の「内部落」には重要なシンボルがある。竹藪の奥に祀られた「内部落」の守り神である地蔵である。その顔は風雨によって削られ表情はわからない。首には大量のよだれかけがかけられている。しかも「内部落」生まれでない者、16歳未満の者はお参りしてはならないという厳しい禁忌があった。地蔵の周囲には誰かが近づくと音が鳴るように、竹を短冊形に切った板を吊るした仕掛けが施されており、近くに住む老婆が四六時中、近づく者に目を光らせている。

 だが、奈穂はある日、そのような禁忌を知るよしもない亜矢子が、地蔵に祈りを捧げているところに出くわす。偶然にも誰の目にも触れることはなく、そのことは2人だけの秘密で済むはずだった。やがて奈穂は村で小さな異変が起きていることに気づく。害虫のヨトウムシやアシナガバチの発生が増え、クマが村の近くにまで現れ、イノシシが村の畑を荒らし始めたのである。そして獣が荒らす畑もない亜矢子の家の裏手の山に、害獣除けのフェンスが奈穂の祖父によって張られていたのだ……。

 曾祖母と祖母は、災いの予感に年寄りたちが皆気づいていることを奈穂に伝える。

「この土地には血が通ってて、どっかの土が病気になりゃあこうやってたちまち知らせが飛んでくる。お天道さんも風も雨も虫も動物も、災いの前には必ず知らせを寄こすんだぞ」

「ほんの小せえ知らせを見逃したらたいへんなことになる。そのあたり目配りすんのが女衆の役割だ。村が生きるか死ぬかの要は、昔っから女どもなんだぞ」

 よそ者を毛嫌いし、内側の論理や倫理で語る曾祖母と祖母の言葉は、当然ながら奈穂の若い考えと正反対であり、相容れないものである。だが、ある事件をきっかけに「内部落」の住人たちが異様な行動に出る……。

 川瀬七緒は福島県生まれ。2011年に『よろずのことに気をつけよ』で第57回江戸川乱歩賞を受賞してデビューした。このデビュー作は文化人類学者が因習的な地方の集落に赴き、呪術絡みの事件を追っていく物語だった。やはり閉鎖的な共同体における人間関係や、スーパーナチュラルな要素を加えた物語に惹かれるのだろう。

 受賞第一作は、その後の作者の看板となる法医昆虫学捜査官シリーズの一作目『147ヘルツの警鐘』(2012年、講談社→2014年『法医昆虫学捜査官』に改題、講談社文庫)であった。女性の昆虫学者が主人公で、腐乱遺体に群がる昆虫やその死骸、卵などから死因や死亡時期を推定していく。虫オタクで猪突猛進するヒロインと、嫌々コンビを組まされた刑事との関係も楽しい、他に類例を見ない捜査小説であり相棒小説である。『スワロウテイルの消失点』(2019年、講談社→2021年、講談社文庫)まで、7作が刊行されている。

 他のシリーズには、元刑事、セレブな警察マニア、凄腕の女性ハンターのトリオが活躍する『賞金稼ぎスリーサム!』(2019年、小学館→2023年、小学館文庫)、『二重拘束のアリア』(2020年、小学館)の賞金稼ぎシリーズ、人が着ている服の皺や歪みなどから、その人が受けた暴力や、抱えている疾患を読み取ることができる仕立屋が主人公の『ヴィンテージガール 仕立屋探偵 桐ヶ谷京介』(2021年、講談社→2023年、講談社文庫)、『クローゼットファイル』(2022年、講談社)の仕立屋探偵シリーズがある。どのシリーズも個性的で、評価も人気も高い。

 仕立屋探偵シリーズや、老テーラーと少年が寂れた商店街に風穴をうがつ『テーラー伊三郎』(2017年、KADOKAWA→2020年、『革命テーラー』に改題、角川文庫)は、服飾デザイナーという顔も持つ、作者のキャリアを生かした作品といえるだろう。

 近作の『四日間家族』(2023年、KADOKAWA)は、集団自殺目的で集まった4人のメンバーが、赤ん坊連れ去り犯という濡れ衣を晴らすため、犯罪組織と闘う物語だ。SNSによる「悪」の認定と、そこからもたらされる「正義」の暴走という現代的なテーマも背景にあるサスペンスだ。

 本書は閉鎖的な地区に住む、閉塞感にとらわれた少女の奮闘、という形で物語が進んでいく。

 ところが!

 終盤に差しかかると、この物語はそのような図式的な二項対立には収まらないことがわかって驚愕し、さらにその後の展開に慄然とさせられるのだ。しかも割り切ることのできないオカルト的な現象もほのめかされる。あるいは、農村に暮らす少女たちのもがきと、心に抱えた苦しみを解放する物語であるとも、言えるかもしれない。

 若い少女から老婆まで、あらゆる年代の女たちが個性豊かに活写されるのも、人物造形に長けた作者ならではである。土俗的な要素に加え、植物や虫などさまざまな生物の生態に関する叙述も、ストーリーと密接に関わっているのだ。川瀬七緒の資質がたっぷりと詰まったホラーミステリーをお楽しみいただきたい。


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