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ドロドロした人間の欲望に勝てるのは? 山本一力『欅しぐれ〈新装版〉』/文芸評論家・縄田一男氏による文庫解説を特別公開!

「深川者を舐めてかかったら、大火傷を負うということでしょうかねえ」--命を賭けての大勝負、深川の人情が沁みる時代小説『欅しぐれ〈新装版〉』(山本一力著)が発売となりました。老舗履物問屋のあるじ・桔梗屋太兵衛と賭場の胴元・猪之吉。ふとしたきっかけで知り合ったふたりは、互いの人柄に惹かれ、盃を交わすようになります。やがて桔梗屋がかたり屋に狙われていることが発覚。病に伏した太兵衛は、自らが逝った後の店の後見を猪之吉に託そうとしますが……。正か邪では割り切れない人の世で、渡世人が実直な商人のために見せた男気! 心揺さぶる長編小説の文庫新装版刊行によせて、文芸評論家の縄田一男氏の解説を掲載します。

山本一力著『欅しぐれ 〈新装版〉』(朝日文庫)
山本一力著『欅しぐれ〈新装版〉』(朝日文庫)

 山本一力さんの作品にしばしば描かれるのは、越境する交誼こうぎ、すなわちよしみ、いやそれより重いもの、命懸けの信義である。

 越境すると書いたのは、信義を結ぶ男同士がまったく別の世界に生きていて、にもかかわらず厚い想いを通わせるからである。

 本書における二人とは、履物問屋・桔梗屋の主の太兵衛と渡世人の猪之吉である。二人が、それぞれを見定めるきっかけも巧みなら、柳橋吉川の二階屋敷で大川を見ながら酒肴に興じる場面も抜群の冴えである。

 二人はこの時の会話でお互いの生業なりわいが命懸けで行われていることを語り、それを承知する。この時、「猪之吉は、凄味を帯びたままの目で太兵衛を見詰め」ており、会話であるといっても、読んでいるほうも気が抜けない。やっと一息つくのは猪之吉が「これからは、五分の付き合いをさせてもらおう」と言って湯吞みを置いた時である。

 この良い意味での緊張感は、一力さんの作品の中でも群を抜いていると言っていい。

 それから間もなく、猪之吉は、自分が留守にしている間に、桔梗屋が振出した二百両の為替切手の両替を目的として賭場に来た半端者の客がいたことを知る。

 三月の出会い以来、太兵衛と猪之吉は毎月十日に吉川で盃を交わしていた。ところがひどかった太兵衛の咳が一段とひどくなっている。猪之吉は太兵衛を案ずる一方で桔梗屋に何が起こっているのか、それを調べるのに余念がない。猪之吉は、為替切手の謎を追ううちに浜町の芳蔵という目明しから江戸中に網の目を張ることのできる意外な黒幕に辿り着く。

 ここで特筆すべきことがある。一力さんがしばしば作中で描いているのは、江戸を舞台にしていながら松本清張ばりの経済犯罪ではないだろうか。そして犯罪の輪郭は見えてきたが、ことがはっきりしないうちは太兵衛さんも訴え出る訳にはいかないだろうと判断した猪之吉は「今日からは、おれもけさせてもらおう」とはっきり言い放った。

 これは余談だが、たびたび思うのは、四国は高知の産の一力さんが、何故こうまで気風きっぷが良い江戸っ子を見事に描けるのかという点だ。もっとも高校からは東京だから、それ以降の人生でそうした人たちに出会ったのかもしれない。さらにもう一つ言えば、経済犯罪は人間の最も醜い部分をさらけだしがちで、“わるいやつら”の見本市となっている。

 そんな中、太兵衛の命は旦夕たんせきに迫っている。その中で太兵衛は猪之吉に、自分が逝った後は桔梗屋の後見に立ってくれと申し出る。しかし猪之吉は「堅気の大店におれのような渡世人が乗り込んだら、乗っ取られると大騒動が持ち上がる。それでもいいのか」と答える。

 案の定、太兵衛が頭取番頭の誠之助にこのことを打ち明けると、「旦那様のお指図であれば、どのようなことでも、ためらうことなく従いますが、もしも旦那様がお亡くなりになったあと、渡世人から桔梗屋の舵取り指図を受けると思っただけで、虫唾むしずが走ります」と吐き捨てる。そして誠之助が、これだけは承服いたしかねますと涙を流した時、ふすまが開き「しっかり聞かせてもらったぜ」と猪之吉が屋敷に入って来るくだりは本書の中の名場面と言えよう。

 一力さんは誠之助の両目に、恩義を思う感謝の色と、筋を曲げられない男の矜持とが入り混じった色が宿っていたと記している。

 猪之吉はここにまた一個の命懸けの男を見たのである。そしてまた誠之助も猪之吉の深く、澄み切っていた目と、まっすぐ自分を見詰めていた大きな瞳を捉えたのである。作者は書く――「猪之吉のように深く澄んだ瞳の男は、大店の番頭のなかにも覚えがなかった」と。

 そして誠之助は、自分でも思いもよらなかったことだが、よろしくお願いしますと、賭場の親分に頭を下げるのである。

 ドロドロした人間の欲望に勝てる唯一のものは、損得勘定抜きの男たちのよしみしかない。

 この解説を先に読んでいる方は、是非とも本文のほうに移っていただきたいが、今、桔梗屋を襲っているのは、お店乗っ取りの陰謀だ。その陰謀の主体となっているのが、二千足の雪駄あつらえ注文。千両の商いであるが、これが実は騙りなのだ。

 相手が初めに描いた絵図は、紙切れ同然の為替切手をつかませて、桔梗屋に猪之吉を怒鳴り込ませ、その様を世間に見せつけ、桔梗屋の信用をおとしめるというものだった。だがそれは猪之吉を舐めていたと言えよう。

 この丁々発止とした真剣勝負の中で、桔梗屋の側は鉄壁の布陣を見せる。

 現実の世界のことは知らぬ、だが小説の世界ではこうでなければならないだろう。

 猪之吉は太兵衛のことを「こどももおらず、ひとり残される連れ合いを安心させようとして、無念の思いを押し隠した器量の大きな男」であると信じ、「命にかけて、太兵衛さんの頼みを引き受けさせてもらいやしょう」と命懸けでお店を救う決心をするのだ。

 正味でものを言う男たちのなんと清々しいことか。

 ここからが猪之吉の腕の見せどころで――もう解説のほうを先に読んでいる人はいませんね――彼は狂歌師に即興で詠ませた辞世の歌、

『履き替えに
  二千を持ちて旅立てば
  西国の旅 遠きをいとわじ』

 と共に、一発逆転を狙うのだ。

 敵側の黒幕は、己れの陣営の不利を悟り、「首尾よく桔梗屋が乗っ取れたとしても、(深川の)佐賀町の百本桜並木に居を構えている連中は、相当に手ごわい」と相手の力量を認めて言う。

 さらに一力さんの小説のうま味は小道具の使い方や、食の描写にも及んでいる。

 後者について言えば、一力さんは、大の池波正太郎ファンであり、池波亡き後、一力さんほど美味しそうな食の場面を書ける時代小説作家はまずいないと言っていいだろう。

 そして最後に、いま一度念を押しておきたいのは、嫌なニュースがあふれる中、私たちは山本一力さんの小説のページを繰れば、正味でものを言ってくる奴、損得勘定のできない奴、自分が言った一言に命を懸ける奴――そんな男たちにいつでも出会うことができるということだ。

 人はそれを、
“しあわせ”
 と言うのではあるまいか。


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