ブンゲイファイトクラブというイベントに参加していました


1.ブンゲイファイトクラブとは

 皆様はブンゲイファイトクラブ(以下BFC)というイベントを御存じでしょうか?

 ざっくり説明をすると、原稿用紙6枚以内の掌編を応募し、それらの掌編を戦わせて一番強い作品を決めようという企画です。年1回行われ、今年で4回目になります。一番強い作品の決め方ですが、とりあえず今年の段取りは以下のようになっています。

 ① :応募作の中から主催者が数十作を選定する。
 ② :①の中から選考委員が24作を選定する。
 ③ :24作を6作ごと4ブロックに分ける。
 ④ :判定人(ジャッジ)複数名によって各ブロックの代表作を決める。
 ⑤ :ジャッジ複数名によって代表4作から2作を決める。
 ⑥ :ジャッジ複数名によって代表2作から優勝を決める。

 このような手順で進むBFCですが、ファイトクラブと呼ぶべきリングが開設されるのは③からというイメージです。代表24作に選ばれてリングに上がることを許された作品は「ファイター」と呼ばれています。

 そしてこの戦いの場に、今回は僕も匿名で参加していました。

 作品名は『或る男の一日』、作者名は『佐古瑞樹』です。苗字は好きなプロゲーマーのsakoさんから取り、名前は男か女か分からないものがいいと考えて瑞樹に落ち着きました。匿名を用いた理由は一応は商業作家なのにファイターに選ばれなかった格好悪いから……ではなく、作品の性質が大きく関わっています。

 まずは以下のリンクから作品をご覧ください。その上で詳細を語りたいと思います。

2.匿名で参加した理由

 BFCには「ジャッジのジャッジ」という、作品の審査を行った人間を作者がジャッジし返すという企画があります。そのジャッジ評に書いた作品コンセプトの話を再度ここに記します。

 この『或る男の一日』という作品の大枠は「その辺の同性愛者」です。タイトルの「或る男」には特定可能なthe manではなく特定不可能なa manであるという意味を込めています。
 安物の薄い布団で寝起きしたり、会社でパソコン何でも屋をやったり、ジムで汗を流したり、ユーチューブのゲーム配信動画を見たり、そういう何気ない出来事の中にゲイ用マッチングアプリがしれっと入ってくる日常。同性愛者としての記号をまとっていない男の性的指向が何の理由も必然性もなく同性に向いているという、おそらくこの世で最も多いであろう同性愛者の姿を書いた掌編となります。(厳密には同性愛者ではなくMSM:Men who have Sex with Menと呼ばれる人ですが、「同性愛者」という言葉が背負うもの、背負わされるものが重要な作品なので、ここでは同性愛者という呼称を使用します)

 そして前述の通り、この作品の性質こそが僕が別名義を使用した理由となります。「或る男」が特定不可能なa manである以上、書き手としては読み手にリアリティを感じさせつつ、そのリアリティは「個」のレベルに迫ってはいけません。男の名前を出さないのは当然として、利用している店や遊んでいるゲーム、飲んでいる缶チューハイなどの固有名詞は書かない。大げさなレトリックを排し、遠くのカメラから淡々と男の生活を記録するような表現を心がける。そういう作品において強い個として確立している「浅原ナオト」の作者名は、ものすごく邪魔だったわけです。

 僕が浅原ナオト名義で『或る男の一日』を発表すると、「ゲイの作者が書いたゲイの小説」という文脈が自然発生し、「或る男」の輪郭がはっきりしすぎてしまいます。これが読み口として非常によろしくない。a manをa manとして読んで貰うために、僕自身もthe writerではなくa writerになる必要がありました。そのために「佐古瑞樹」という被り物を用意したというのが事の経緯です。

3.BFC4に参加した理由

 なぜこういう作品を書いてBFC4に投稿したかを語りましょう。

 BFC4開催前から「その辺の男と何一つ変わらないことをしながら、ただ性的指向が同性に向いているだけのゲイの話を書きたい」という構想はありました。BFC4が先にあり、応募したいから何か考えようという順番で生まれたものではありません。そしてその構想を抱くに至ったきっかけが、2020年9月に自民党の白石正輝議員が「同性愛が広がると足立区が滅ぶ」という趣旨の発言をしたことに端を発した、#私たちはここにいる というツイッターのハッシュタグです。

 このハッシュタグは白石正輝議員の発言に対するカウンターとして作られたものです。ですがこのタグを覗いた僕がいの一番に覚えた感情は、仲間がいる心強さではなく、疎外感でした。

 タグと共に上げられた写真は、だいたいが仲睦まじい同性カップルを映したものでした。一人の写真であっても虹色のグッズを身に着けるなど、同性愛者だと傍目に分かる工夫を施しているものが目立ちました。

 ですが一般的に、同性愛者は自分が同性愛者だと分かる記号を身にまとっていません。「同性愛者らしさ」のようなものは見せず、同性の恋人もおらず、何なら異性の恋人がいたりする人間の性的指向が、当たり前のように同性に向いている。僕のイメージする同性愛者はそういうもので、だけど僕はその面影を #私たちはここにいる というハッシュタグに見つけられませんでした。こういう人たちも確かにいるのでしょう。それを否定するつもりは一切ありません。だけど自分はここにいない。そう思いました。

 僕はその日、夜中に甘いものが食べたくなって買ったコンビニスイーツの写真を撮り、僕の思う「同性愛者」へのメッセージとして #私たちはここにいる のタグと共にツイートしました。そしてこの疎外感は創作の種となり、BFC4に応募した『或る男の一日』として結実したというわけです。

 構想を元に商業作品を書かずBFCという場で発表することにしたのは、端的に言うとここが丁度良かったからです。この作品を狙い通りに表現するには条件が二つあり、それらの条件を満たしつつ商業作品を仕上げることは不可能だと判断しました。

 一つ目の条件は、匿名で発表できること。前述の通り、この作品は僕が書いたという前提の元に読むと読み口が狙いからズレます。よって匿名のペンネームを使える場が必要でした。(ただこれは「可能なら」という話で、二つ目の条件の方が重いです)

 二つ目の条件は、作品の文字数が短くて済むこと。「その辺の男と何一つ変わらないことをしながら、ただ性的指向が同性に向いているだけのゲイの話」を書いた時、主に記述されるものは「その辺の男と何一つ変わらない生活」です。これを100ページも200ページも読ませることは、少なくとも今の僕の筆力では不可能でした。BFCの原稿用紙6枚以内という縛りでもギリギリだったと感じていて、例えばこれが原稿用紙10枚以内だったら他作品と比べてやけに短いものが完成してしまい、その短さがノイズとなって素直に読める代物にはならなかったと思います。(逆に10枚付近まで書くとおそらく読み口が極端にダレます)

 この二つの条件を満たしながら完成するものは「新人の掌編」であり、どう考えても商業ベースには乗りません。とはいえ匿名のnoteなり何なりを作って発表したところで誰の目に止まらないのも明らか。そんなわけで構想はお蔵入り濃厚だったのですが、ふと思いついたわけです。BFCがあるじゃないかと。

 BFCの存在は第1回から知っていました。そして今回書きたい掌編が生まれ、一年に一度しか開催されないという機会の少なさも後押しして、思い切って作品を応募するに至りました。その結果、本選出場を果たし、多くの人の目に触れて講評まで頂けることとなった次第です。とてもありがたいことだと思っています。

4.BFC4に参加した感想

 さてBFCに参加した感想ですが、楽しかったです。

 僕はウェブから拾い上げられた作家であり、新人賞の公募に作品を出したことや文学賞の候補に選ばれたりしたことはありません。よって読者から感想を貰ったり編集から意見を頂いたりすることはありますが、作品への批評を受けたことは一度もないのです。自分の小説がそもそも「ブンゲイ」として通用するものなのかというところから怪しんでいる節がありました。

 そんな状況だったので本選出場者に「佐古瑞樹」の名前を見つけた時は、自分の作品が通用したことに強い手応えと喜びを感じました。残念ながら二回戦進出はできませんでしたが、僕にとっては十分です。作者名を隠さないと成立しないような飛び道具ですから、この辺が散り際としては妥当、というか出来すぎだと思います。

 二回戦用に用意していたネタもあるので、BFCが来年以降も実施されるならば状況次第では参加してみたいと思っています。「佐古瑞樹」というペンネームに思い入れもできたので、またこちらで参加するかもしれません。

 次に参加することがありましたら、「ここがちょうどいい」ではなく「全員倒す」という気概で行くことになると思います。その際は、よろしくお願いいたします。

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