11月12日の話をしよう

11月12日の話をしよう。

 剪定事象は百年単位で打ち切られると聞いたことがある。
 今から百年前というと、そうだな、ちょうど第一次世界大戦が終わり、戦間期として軍縮体制が敷かれる頃合いと、書物に書かれている。
 時の大統領ウォレン・ハーディングが主催した会議が始まる。ワシントン会議。運命の悪戯の序章。
 俺はその運命の詳細を知らないが、大概、モノというものは人間のエゴに振り回される。そんなものだ。あのワシントンの地で、運命を捻じ曲げられる。ああ、そんなことがなければよかったのに、と一瞬思考が過ったのは、俺の中の憐憫なのだろうか。

 もしもの話は今日で終わりだ。汎人類史はその"なかった"記録を打ち捨ててしまう。そこには慈悲も悪意もない。ただのシステムとして、ゴミ箱に放り込まれてしまうのだろう。

 ただ……万が一だが、その歴史の残滓を掬う人間がいるかもしれん。そこから空想を広げる人間もいるかもしれん。
 そうなると、打ち切られた歴史は断片ながらも、現世で踊りつづけることになるのかもな。

 俺もその意味ではサーヴァントとして、"同類"なのだろうな。
 俺が"もしも"の存在であることは理解している。俺が"モノ"であることも理解している。そして俺はその在り方を善しとする。
 今となっては当てはまるモノが槍なのか駒なのかはわからなくなったが。

 俺はサラトガ・クーラーを飲み干す。酒は飲む気にならねぇ。
 俺の周りには独立戦争の幽霊が未だにいるのだろうな。

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