クソゲーとは自分を映す鏡である

二人の囚人が鉄格子の窓から外を眺めたとさ。
一人は泥を見た。一人は星を見た。(※注1)

正月休みの暇で、無限に間食を取るか内心と向き合うしかすることがなく、気付けば自分のことばかり考えていた…なぜクソゲーという単語に過剰に腹が立つのか。昨今ゲーム系ニュースサイトやライターの間でもクソゲーという単語を使う是非について議論されたりしているのを見ても、建前としては感想なんて自由に言えば良いと思っていたものの、一方でゲームを悪く言うななどと事あるごとに声を荒げてクソゲーをクソゲーだと言い辛くしている側の自分であったが、正月のくだらない番組を見る気にもなれず布団に篭ってスマホを弄り続けているうちに気持ちが整理できたのでこんな文章を書いた。

そもそも前提として、客観性があり万人が納得できるゲームレビューや感想などあり得ない。ゲームに限らず漫画でもアニメでも映画でもそうだけど何を感じるかは性格や人生経験などで変わってくるし、ゲームの場合は腕前によるところも大きいので、誰もが名作として疑わないであろうスーパーマリオですら下手糞な人が遊んで100%楽しめるとは思えない。コンボイの謎と同レベルのクソゲー判定をされてしまうかもしれない。ゲーム体験は主観が多分に含まれるもので、評価も所詮その人の次第。自分があらためて書くまでもなく、これについて異を唱える人もいないはず。

つまり社会性と理性を持った人間ならばゲームレビューや他人の感想はこのような前提でもって接するべきで、いちいち腹を立てるのは小中学生のキッズなら兎も角いい歳した大人ならすべきではない、と考えるのが普通だと思う。

少し自分のことを書く。自活するようになってからは人並みの生活をしているけど、子供の頃は貧乏だった。廃品回収で捨てられたおもちゃや不揃いの漫画を持ち帰った。正月休み明けの学校で、貰ったお年玉の額の話題になるのが嫌だった。友達が小遣いを貰っていて自分の家だけそういうシステムがないことを指摘するまで親は小遣いをくれなかった。ファミコンが欲しかった。スーファミが欲しかった。ゲームボーイが欲しかった。プレステが欲しかった。友達の持っている物に憧れて何もかもが羨ましく見える卑しい子供だった。最低な話だけど友達から借りたものを返すのが惜しくて、あわよくば借りパクできないかと忘れられるのを期待して怒られるギリギリまで粘った。ポケモンの新作が発表される度に思い出語りで盛り上がっている人たちを見ると輪の中に入れない自分はインターネットから消えてしまいたくなる。MSXはあった。カシオのゲームはあった。ワゴンの中で乱雑に散らばったソフトを買ってもらった。箱には100円の値札が貼られていた。

ファミコンもマリオブームも知らずにいたのでMSXのガタガタスクロールにもくすんだ色彩のグラフィックにも何の疑問も抱かなかった。親の社宅の入居期間が終わり、追い出される形で引っ越した先で友達の家でマリオやロックマンをはじめて遊んだ時はMSXとは全く別次元の高級なゲームに見えた。ある日、友達が自分の家に遊びに来てゲームを遊びたいと言うのでMSXの妖怪屋敷や魔法使いWIZでもてなしたが、それ以来2度と自分の家でゲームで遊ぶことはなかった。

余談。子供の頃にゲームやアニメを卒業しておかないとオタクになる話をTwitterなどでたまに見るけど自分もその類だと思う。昔に憧れたゲームや漫画をお金を自由にできる大人になってから買い集めている。意識はしていないけど子供の頃の心の空白を取り戻すのが人生の目的みたいになっていて、なのでゲームが好きと言ってもコレクター趣味はなく、希少なものだから買うということはあまりしない。基本的には子供の頃に欲しかったものばかり買っている。我ながら後ろ向きな生き方だと思う。こうなって欲しくなければ親は子供にちゃんと物を与えた方が良い。あと子供の頃に流行り物を与えておかないと友達との話題についていけなくなりぼっちになる。ぼっちになると内向的な趣味になりオタクが加速するし、先ほどのポケモンの件のように大人になってからも疎外感を味わうことになる。やはり物は与えた方が良い。

話を戻す。かつて「古ゲー玉国」というサイトがあった。レトロゲーム系のサイト(もっとも当時はホームページと呼ばれていたけど)からリンクが貼られているのをよく見たし、「ファミコンDATA BASE」というコンテンツが人気のようで、トップページの一番上にでかでかと載せられていた。「人気のようだった」という書き方をなぜするか、それは自分が良さを全く理解できなかったから。というか、嫌いなサイトだった。データベースというだけあってゲームの発売日や値段、スクリーンショットが網羅されているのだけど、最後の一言コメント(※注2)がとにかく嫌だった。「つまらない」「思い入れがない」「しょぼい」といったネガティブワードの多用、どうでもいい見た目の突っ込み、ゲームと無関係の自分語り。

学校が終わるとゲームを遊ぶためだけに自転車で山を2つ越え友達の家まで行き、夕飯の時間になるまでのわずかの間にできるだけ先まで進もうと必死にゲームの腕を磨いた自分。捨てるからと貰ったお古の大技林をボロボロになるまで読み込み、見ず知らずのゲームに思いを馳せ、ゲーム博士としてクラス内ヒエラルキーを保とうとした自分。同じく捨てるからと貰ったマル勝スーパーファミコンやVジャンプを押し入れに大事にしまって読み込んでいたら、ある日ふとしたきっかけで親の逆鱗に触れすべて捨てられた自分。MSXのカシオゲーを松本零士のパイロットハンター(※注3)のような気持ちで何年も何年も繰り返し大事に遊んでいた自分からすると、カジュアルに切り捨てていく「古ゲー玉国」の一言コメントを面白おかしく楽しむことはとてもじゃないけども無理だった。一応フォローしておくとちゃんと褒めたコメントもあったと思うけど、ネガティブな部分が目についてしまい受け付けなかった。

この気持ちは今も変わらない。クソゲーをカジュアルに消費して笑っている人たちを正視できない。面白い自分を演出するためだけにクソゲーをイジる配信者が耐えられない。「伝説の」「クソすぎる」「最凶」「クソゲーランキング」などと言ったタイトルで過剰に煽る動画投稿者はゲーム系迷惑ブログと同類ではないかと思う。明らかに劣っている点をあげつらい、よってたかって馬鹿にするのはいじめと何が違うのだろうか。…でもこれはただの嫉妬なのだ。満足にゲームを与えられなかった頃のトラウマがえぐられているだけにすぎない。

クソゲーを笑って消費できる人の方が普通なのだ。恵まれた家で親の愛情を受けてまっすぐ育った普通の人たちだ。鬱屈した気持ちで歯噛みする自分の方が狂っているのだ。

それでも負け惜しみくらいは言わせて欲しい。ファッションでクソゲーを遊び、ゲームカタログ@Wikiのレビューを自分の言葉のように吐いてゲーム通ぶっている者たちよ。お年玉と合わせても年に1本しかゲームが買えない程度のなけなしの小遣いを貯めて鋼鉄のガールフレンドを買ってしまった人(※注4)の前でも同じように笑えるか…?

ファミコン版エグゼドエグゼスを見るたびフラッシュ攻撃と言う脳死おじさん、マイクロニクスはフレームレートが低くてクソだの言う制作会社に詳しいおじさん。物を知らなかった子供の頃なら兎も角、アーケードと家庭用に天と地ほどの性能差があった時代の移植に未だに文句を言うことにどれほどの意味があるのだろうか。ありふれた感想すぎて知識のひけらかしですらなくなっている自覚はあるのか。

ゲームを買うのに困らない程度の収入はあろう歳にもなってハードオフで掘り出した中古ゲームの安さ自慢という、およそゲーム好きとは思えないゲーム業界に一銭にもならない行為を恥ずかしげもなくしてしまうおじさん(※注5)。Twitterでわずかばかりの自尊心を満たすだけにゲームを消費するおじさんにいくらの価値があるのか。子供の頃、なけなしの小遣いで買ったゲームを必死で遊んだ時の気持ちを大切に、インターネットの意見に流されないようにしよう。移植物をなんと言われようと家庭用が初めての子供には素晴らしく映ったゲームもあるのだ。自分の感性を信じろ。ファミコンの魔界村はよくできてるぞ。マイクロニクスを、ミラクルロピットを愛そう。

ゲームに良し悪しはない。誰にでも平等に、ただそこにあるだけ。遊んでどう感じるかは自分次第。

だから自分は、自分の好きなゲームを悪く言われたくない。

本心はこれだけだった。元々これだけのシンプルな感情だったはずなのに、オタク特有の習性で偉そうに理屈を並べ、難しく小賢しいこと言って、本心とズレた理屈でクソゲーと言うななどと常々主張していたと思うと我ながら馬鹿らしい。言い訳を並べても気持ちは晴れないはずだ。

ライターがクソゲーなどという強い言葉を使うとメディアの信頼度に関わる、苦労して作ったゲーム制作者の気持ちを考えれば悪くは言えないはずだ、そういった意見も目にしたことがあるが、そんなことはプレイヤーである自分には極端な話どうでもいいことだ。自分の気持ちが一番大事だ。夢中になって遊んだゲームをクソゲー呼ばわりされて気持ちの良い人間などいない。それだけだった。





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注1.ジョジョの奇妙な冒険、第1部冒頭のフレデリック・ラングブリッジ「不滅の詩」。イギリス人で知らないものはいないタルカスとブラフォードが荒木飛呂彦先生の創作だったりするので記事を書く上で調べたところ、カーネギー名言集から引用したらしいが「不滅の詩」と言う題名はどこで付いたか分からない、というのを調べた人がいて面白かった。

注2.カラテカの例、「主人公にしても姫にしてもなんで肌あっかーいの?紅潮しておる?」今見てもなかなかあったまるコメント。自分が見た印象だけど、神経を逆なでするくらいなら無理して書かなくてもというようなコメントが多かったように思う。

注3.「いいか、これは、この世界でいちばんいい銃だ!いちばんすぐれた小銃なんだ!!」「おれには、これしかないんだ!だから、これがいちばんいいんだ!!」名台詞。

注4.筆者。それはそれとして鋼鉄のガールフレンドは悪くないゲームだと思っていたので後年ネットの評価を見て驚いた。値段はまあ兎も角…。

注5.コレクターの気持ちとしてプレミアソフトを安価に購入したことに価値を感じているのかもしれないけど、ゲーム会社に1銭にもならない中古ばかり買ってゲーム好きを名乗るのはそれこそ制作者に対して後ろめたさとかないのだろうか?綺麗事か?…と書いてる自分も似たようなものなので、新作ゲームも買うように心がけてはいる。

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