ただ、夏だけは本物である

とある大学生の独白的スペースを半波整流波形のフーリエ級数展開をしながら聴いていた。22時から日付を越えるまで、彼女の、夜と親和性の高い声色を僕は心地よく思っていた。スペース然りライブ然り、もっと生活に近しい事柄で言うと誰かとの会話において、その場で他者の言葉が持つエネルギーは大きい。瞬間速度で理解より先に感情を動かしたなら、その言葉は美しいがそれは突発的なエネルギーに過ぎない。しかし、理解の先にある感情をも揺り動かすならそれは本物の美しさであると思う。そして、彼女の言葉にはその本物の美しさがある。僕はそれを聴いていた。そのスペースにおいて、彼女と対話しているのは夜と自己と過去であり、僕はただの傍聴人でそのスペースには存在が彼女と僕以外に許されていなかった。憂鬱を飼い慣らし、文学や哲学、歴史に魂を売っている彼女は、スピリチュアルなアフォリズムをため息混じりに吐き出して夜を深化させていった。

彼女のスペースに参加するのは何回かあったのだが、彼女の落ち着きを払った透徹な声と自分の荒んだ声を比べた時に惨めになったことや、教養と経験の圧倒的な違いに辟易したことが高じて、リクエストを送れずにいた。なんならDMさえも憚られた。催促されてやっと送ったものも、意味の分からない詩紛いのもので十分に困らせていた。それでも彼女は静かにそれを読んでくれたし、解釈を投げかけて会話を繋ごうと計らってくれた。僕はそれ以来、彼女の声を聴くことだけにしていた。それは昨夜も同じだった。

Twitterを半年辞めていたことを彼女も知っていて「相変わらずなご様子で、私はちょっと嬉しいですよ」と言われた時に、やっぱり好きだなと思った。彼女も本質的に変わっていなかった。そういうファムファタール的な一面をチラチラ覗かせてくるあたりが。ともあれ、半年以上前に声を聴いた時から彼女の、言葉が止め処なく美しいリズムを伴って溢れてくるような流麗な喋り方は変わっていなかった。中身は尖っていたが。中でも好きだったのが「欲しい言葉が他人から得られない話」「歴史は事実の認定という話」「タバコと世間体と理想論と夏の話」「秋波と信仰の話」「青二才とキリストのトリップにまつわる解脱の話」「曼荼羅の裏側が見えた話」だった。僕はひそかに彼女を信仰していて、それは彼女に絶対にバレてはいけないことだと思っていた。だから彼女のツイートを全ていいねしないよう極力ブックマークにしまうようにしているし、彼女についてのツイートをFFのアカウントでしないようにしているし、これも読まれないように無関係なタイトルにしている。しかし、「秋波と信仰の話」で彼女にそのことについて柔らかく釘を刺されてしまった。

「若干湿度を含んだ視線を向けられたらわかるじゃん。私はわかるよそういうの」
「いるんだよね。たまにさ恋愛的な意味でもそうだし同性の友達とかでも、勝手にこっちを神聖視して御意見番みたいに崇め出す人」

青い警告信号を出されたような気分だった。そういうところを見透かされてる感じがするからこんな狂信的な信仰に繋がってしまうというのに。そこから軽く軌道をずらされながら最近の恋愛事情に生来の男嫌いが手伝ってミサンドリーが酷いという自己嫌悪で話のオチを作っていたんだけれど。その後は映画の批評やら、短歌の創作についてやらを話していた。

彼女のスペースは彼女のものであり、僕がそこに足を踏み入れてから約一時間半ほどで跡形もなく消えてしまった。それは一種の幻想のようで、言霊を飲み込んだ時のような浮遊感で、ただ夜目の効く真夜中だった。

「今日は久しぶりに顔…顔っていうのもおかしいか…生存が確認できてよかった」

と消え入るように優しい声の後、気づけば僕は静寂の中で夜と打ち解けていた。

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